第2話 なんだかご機嫌ななめです?

 騎士らしく軍服に身を包んだ四名の調査員の先頭に立つのは、一人の未目麗しい青年だ。


(ヴィ、ヴィルヘルム殿下!? でも、いったいなぜここに!? いえ、ノーチェ様も仰ったとおりジェルラの戦いの功労者といえば、殿下をおいて他にはいらっしゃらないのですが——……)


 王国の第二王子、ヴィルヘルム・アクシオン・エーデルシュタインは、聖女と称えられるオルテンシアと同じ、禍の脅威から人々を救った『英雄』である。


 王族であることを知らしめる黄金色の髪に、幻想的な黒色の瞳。

 通った鼻筋に、本心が分かりにくい薄い笑みを湛えた唇。


 彫刻のように美しい容姿も、均整の取れた引き締まった体と腰に差した立派な剣も。弱冠十七歳にして、大陸最強のソードマスターとして名を馳せる力強いマナの気配ですらも、紛うごとなき彼のものであるのだが……。


(夢を、見ているのでしょうか?)


 不意を突かれたオルテンシアは、いまいちこの状況が呑み込めない。


(だってたしか、以前お会いしたときに『学園に通い始めたら今ほど頻繁には会えない』って。『学業に専念しなければならないから』と仰っていらしたのに。……は! まさか国王陛下からの勅命を口実に、学園をサボって——)


 オルテンシアがようやく納得できそうな答えを閃いた、そのときだ。


「やあ、オルティ」


 数多の星が散った夏の夜空を思わせる黒い瞳が、真っ直ぐ彼女の姿を捉えたのは。


「会えない間、元気だった?」


 ヴィルヘルムの温かな笑みと周囲の注目が、一斉に向けられる。

 その段になってようやく、オルテンシアは直立したままなのに気付き、はっと頭を下げた。


(今はお仕事中です。それに相応しい振る舞いをしなければ)


「栄えある王国の英雄、ヴィルヘルム殿下にご挨拶申し上げます」

「……ああ」

「殿下方におかれましては、この度のご協力と領域への立ち入り調査を許可いただき——」


 隣国の王族であるヴィルヘルムへ、一行の代表であるノーチェが儀礼通りの挨拶を述べる間、オルテンシアはその傍で頭を下げたままでいた。


 するとなにやら、つかつかと歩み寄る気配を感じた。

 誰が、と確認する必要もない。

 周囲を囲む神殿関係者に制止されることなく聖女へ近付ける者も、これほどまでに純粋で研ぎ澄まされたマナを溢れさせている者も、この場にはたった一人しかいないのだから。


(殿下?)


 磨かれた長靴の爪先が視界に映るとともに、ふわりとコロンの爽やかな香りが香る。

 直後、純白のローブと漆黒の軍服が触れ合うほどそばに立ったヴィルヘルムは、身をかがめてオルテンシアの耳元に囁いた。


「顔を上げて、オルティ。そんなふうに堅苦しい挨拶は少し寂しいな」

「っ!」


 あまりの近さにオルテンシアは反射的にぱっと顔をあげる。それから触れそうな距離にあった笑顔に、くらりと眩暈を覚えた。


 幻想的な夜の瞳には、桃色の目を見張った自分の姿が映りこんでいる。


「で、殿下……」

「うん?」

(え、笑顔が……! 美しい上に眩しいです!!)


 それに距離も近すぎる気がする。

 なぜなら無邪気な笑顔を浮かべるこの青年、ヴィルヘルム・アクシオン・エーデルシュタインは、誰もが認める絶世の美貌の持ち主なのだ。

 いくら外見の醜美に惑わされない聖女でも、芸術品のような美しさと鼻が触れそうな距離にあれば、ドギマギするし緊張に息を呑む。


(それに、ノーチェ様がご挨拶している最中なのですが……)


 ちらっとノーチェの様子を見上げると、早々に挨拶を諦めたようだった。完全にその存在を無視された彼は、傷心の表情で二人を見守ることにしたようだ。

 数年来の付き合いであるノーチェには、この状態のヴィルヘルムには何を言っても無駄だと、よくわかっているのだ。


 しかし隣国の第二王子についてよく知らない者たちは、三人の様子にざわざわと戸惑った様子を見せている。

 団長を慕う聖騎士の中には、礼儀を欠いたヴィルヘルムの態度に反感を抱いた者もいたようだ。

 あからさまな言葉にはしないまでも、顰められた眉や引き結ばれた口元が不快感を如実に物語っている。


(ど、どうしましょう。なんだか険悪な空気です!? それに殿下もどうしてノーチェ様を無視したりしたのでしょう。普段の殿下ならそつなく受け答えをされていらっしゃるのに)


 どこか普段と違う様子のヴィルヘルムに、オルテンシアはうんうんと頭を悩ませる。


(もしや殿下は、自ら学業を疎かにされたのではなく、王族としてやむなくこの場に派遣されたのでしょうか。それでこんなに機嫌を損なわれて……)


「オルティ、なにか考え事をしてる?」

「え」

「それにずいぶんと待たせてしまったのかな。顔が青ざめてしまっているね」

「ひゃっ」


 この状況をどう打開すべきか、考えなければならないのに。

 手袋をはめた手で優しく頬を包まれたオルテンシアは、革のひんやりとした感触の後に、確かな体温が伝わるのを感じて狼狽えた。


(あたたかい……温かいのですが!? こんな状況ではまとまる思考もまとまりませんっ)


 しかも今度は聖女を神聖な存在と崇めている司祭たちが、気色ばみ始めてしまったのである。


「第二王子殿下! いくら貴殿と言えど、精霊王の寵愛深き聖女様へ軽々しくお手を振れられるなど、無礼ではありませんか!」

(はわわわ……っ)

「そうですぞ! それに聖女様のことは、俗名ではなく『聖女』、もしくは『聖ルーチェ・プエギエーラ』と、そう御尊名でお呼びくださいませ!」

「貴殿も名誉ある王族ならば、適切な距離と尊厳をお守りになって——」


 だが。

 高まった抗議の声は、冷ややかな眼差し一つで、あっけなく消し去られてしまう。


「……煩いな」

「ひっ!」


 声を荒げ恫喝したわけでも、その腰に下げた剣を抜いたわけでもない。

 オルテンシアへ向ける温かみなど微塵もない、感情を消した瞳を向けるだけで、司祭たちは委縮し、あちこちから小さな悲鳴が上がったのだ。


(す、すごいです。雀の群集のように口うるさい司祭様たちが、こんなにもあっけなく……はっ、感心している場合ではありません)


 普段からピーチク、パーチク。戒律に厳しい司祭たちから、「あれもだめ、これもだめ」「それは精霊王の愛し子に相応しくない」と口うるさく小言を受けている身としては、ヴィルヘルムの偉大なひと睨みに拍手喝采を送りたいところではある。


 あるのだが——元々が相反する騎士の王国エーデルシュタインと、魔法の帝国ジャルディーノ


 いまは禍という共通の脅威を前に同盟を結んでいるものの、盤石ではない両国の関係にひびを入れる事態は避けたい。


「殿下。ほろほろ、この手を……離してくだはいまへ」


 だんだん、むぎゅっと力が入っていた手に指を添え、オルテンシアは懇願する。


「ああ、ごめんね。なんだか虫が煩くて」

(……虫)


 精霊王の敬虔なる僕を虫呼ばわりするなど、なにやら聞き捨てならない単語が聞こえた。

 しかしここは平和のために、聞かなかったことにする。


 解放されたオルテンシアは改めて背筋を正し、聖女としてヴィルヘルムに向き合った。


「殿下の貴重なお時間を無駄にするのも忍びないですし、さっそく場所を移動して状況をご説明させていただいてもよろしいでしょうか?」

「…………。ああ、そうだね」

「?」


 ヴィルヘルムが同意する直前、奇妙な間が一瞬あった気がする。


(しかもなんだか、ノーチェ様を見つめる殿下の眼差しが、いやに鋭いような)

「ガヴァリエーレ卿にも、いろいろと説明してもらいたいこともあるしね」

「!?」

「卿に、ですか?」


 そのうえ、こんな意味ありげなことを言うのだからますます困惑してしまう。


(一体どんなことでしょう。ノーチェ様は……)


 オルテンシアは首を傾げながら、傍らのノーチェを不思議そうに見上げる。

 彼はと言えば——。


「あの、殿下っ? もしや、何やら誤解をされているのではと……っ」


 目に見えてあたふたしていた。


(どうやら、理由に心当たりがあるご様子ですね)


 この数分間のやり取りの中、自分が何を見落としたのかはわからない。

 だがどうやら、ヴィルヘルムが機嫌を損ねている根本もそこにあるようだ。


「ガヴァリエーレ卿」


 オルテンシアでさえひやりとした口調に、ノーチェが背筋を正して呼応する。


「はい!」

「場所を移そうか」

「……はい」

「……」


 なにやら有無を言わさぬ笑顔のヴィルヘルムと、そんな笑顔を向けられて青ざめたノーチェ。

 奇妙なふたりの後について場所を移動しながら、オルテンシアはただノーチェの無事を願って、小さく祈りを捧げたのだった。

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