お仕事中の聖女ですが、婚約者(予定)が邪魔してきます。~なお、その溺愛は不穏です!?
涼暮月
第1話 婚約者(予定)が、
冬の気配がいまだ色濃い森の中。
オルテンシアはあまりの寒さに、両手へふーっと息を吐きかけた。
その拍子に顔の横にかかっていた水色の髪がふわりとなびく。
大陸全土を滅ぼそうとした『
その節目の日を迎える前に、聖女を擁するジャルディーノ帝国では、神殿による巡察の旅が行われていた。
この旅の目的は、禍によって荒らされた土地の浄化と、未だ残る魔物の討伐。それから「禍の日」に敵が消滅する直前、本体から飛び散った無数の光の調査である。
半年にも及ぶ巡察の最後に聖女一行が選んだのは、ジャルディーノ帝国と接する王国、エーデルシュタインとの国境の森だった。
と言うのも、「禍の日」に飛び散った光のひとつが、ここジェルラの森付近へ飛来するのが確認されたからだ。
(やはり、こうして立っているだけでも王国側から瘴気の気配を感じます。周辺の住民から集めた情報と照らし合わせても、なにか異常があるのは確かですね)
氷を含んだ風とともに、肌を焼くようなピリピリとした空気を感じる。
見た目は普通の唐松や杉の群生林だというのに五感は正直だ。
「まるで、禍の影響を受けているような……」
オルテンシアは不穏なものを覚えながら、紫がかった桃色の瞳でうっそうと茂った森の向こう側を見渡した。
それから降り積もった雪の上に、マナによって描かれた巨大な魔法陣へと視線を転じる。
なるべく平らな場所を選んで展開されているのは、王国からの調査団を迎えるための移動魔法陣である。
王国側の森を調査するにあたり立ち入り許可を申請したところ、エーデルシュタイン王室から「精鋭の調査団を派遣する」との返答が返ってきたのだ。
それから二日。
王国側の準備がようやく整ったとのことで、夕暮れ時にもかかわらず、こうして調査団を出迎える準備に追われている。
「まもなく王国との
やがて、茜色に染まり始めた森の中。魔法師の号令に合わせて、巨大な魔法陣が淡く白色に輝き始める。
凝縮していくマナの流れを肌で感じながら、オルテンシアはすっと背筋を正した。
(王国側からは『禍』に詳しいものを送るといわれましたが、いったいどなたがいらっしゃるのでしょう?)
王国側の使者とも呼べる調査団を出迎えるべく、『救世の大聖女』にふさわしい凛とした表情を浮かべながら、頭の中では派遣されるメンバーへ想いを馳せる。
(ジェルラの戦いに貢献した、第三騎士団のグラナト卿でしょうか。それとも王宮魔法師長様? 英雄と名高いウィルヘルム殿下には、まず初めにお声がかかるでしょうが、あいにくあの方はいま——)
と、そのときだ。
「緊張しているのですか、聖女様?」
隣から、小さく笑み含んだ声が掛けられた。かと思えば、長身の護衛騎士がかがみこみ、不意に砕けた口調で耳元へ囁いてくる。
「あの方に会えるのは半年ぶりだものね。やっぱり、久方ぶりに会うと思うと君でも落ちつかないものなのかな、オルティ?」
程よく筋肉のついたしなやかな体を包むのは、聖騎士の中でも権威ある白地に金の装飾が施された軍服だ。
癖の混じった栗色の髪をうなじで切りそろえた彼は、深緑の瞳を柔らかく細める。
「ジェルラの戦いの一番の功労者といえば、やはりあのお方をおいては他にいないだろう」
明らかに揶揄いが目的の台詞に、オルテンシアは思わず正面を向いたまま、きりりと保っていた眉を下げてしまう。
「ノーチェ様……」
「ん? なんだい、その困ったような顔は?」
「……いえ、なんでも。それよりも先ほどのお言葉ですが、あの方は昨年の春から学園に通われているので、きっとこの場にはいらっしゃらないでしょう」
「そうかい?」
「ええ。それにもう子供ではありませんので、ヴィルヘルム殿下とお会いするのに緊張する、ということもございません」
「おやおや、ヴィルヘルム殿下とは言っていないのだけれど……ふうん?」
思わせぶりな口調でそう返し、精悍な護衛騎士は白い歯を見せて朗らかに笑う。
「そうかそうか。オルティは殿下がいらっしゃると思ってそわそわしているのではなく、いらっしゃらないと思って寂しがっているのか」
「……っ!」
(もう! ノーチェ様ったら!!)
もしも周囲に人がいなければ、幼い頃によくそうしてくれたように、ノーチェはその大きな手でオルテンシアの頭を撫でていたかもしれない。
そんな予感を匂わせるほど、にやけた様子の護衛騎士に、オルテンシアはたまらず言葉に詰まってしまう。
たったの十四歳で禍を倒した『救世の大聖女』。
この世に二つとない黄金色のマナを持つ『精霊王の愛し子』。
大陸中の人々からそう呼ばれ敬われる聖女『聖ルーチェ・プエギエーラ』こと、オルテンシア・ガヴァリエーレを年齢相応の少女として扱う者は、そういない。
一人の少女である前に、精霊王と同じ黄金色のマナを宿す特別な存在であるからだ。
しかし聖女の若き護衛騎士、ノーチェ・ガヴァリエーレにとっては違った。
孤児であるオルテンシアを保護し後見人となってくれた公爵は、ノーチェの叔父でもあるのだ。
若い頃、妻子に先立たれ跡目のいなかった公爵は、十年前ノーチェを後継者として養子に迎えた。
つまり同じ公爵に後見されている者同士、幼い頃からその成長を見守ってきた彼にとって、オルテンシアは妹のような存在なのである。
(もちろん私にとっても、ノーチェ様は兄のような方ですが……)
それでも、公の場ではあくまで「聖女と護衛騎士」。
帝国の君主と並ぶ権威を持つ聖女に対し、軽々しく接することは神殿所属の聖騎士団を率いる団長であっても許されてはいないのだ。
(たとえ気安い関係を、私が望んでいたとしても)
「ノーチェ様、いまは公務の最中です。あまりご冗談が過ぎるとあとで公爵様に叱られてしまいますよ」
だからオルテンシアは前を向いたまま、こっそり忠告する。
周りには聖女を神聖な存在と崇める神殿の者たちが控えているし、いつ調査団が現れるかわからない。
礼を欠いた振る舞いや、誰かの耳にこの気楽な会話が入れば、怒られるのはオルテンシアではないのだ。
けれどそんな彼女の気遣いを知ってか知らずか、ノーチェは揶揄うのをやめない。
「おや、可愛い誰かが叔父上の耳に、こっそり告げ口をしたりしなければ問題ないさ」
「う、そうは仰っても」
「それに君と殿下は婚約者なのだし、べつに寂しがってもいいと思うけれどね」
「……まだ、正式に決まったわけではございません」
言葉尻に面白がるような響きを含ませたノーチェへ、オルテンシアはとうとう降参した。
周囲に悟られないよう視線だけを彼に向け、ため息交じりに訂正を入れる。
「今はまだ、私と殿下の婚約はあくまで神殿と王室との口約束です。王国での成人年齢に達したのち本人同士が望めば、という取り決めなのですよ」
「そう? 俺の予想では絶対に、殿下が君を逃さないと思うけれど。だって彼は……」
「彼は?」
「——おっと……!」
魔法陣が一瞬揺らいだその瞬間、ノーチェが素晴らしい反射神経でさっと身を起こした。
「いらっしゃったみたいだ」
それとほぼ同時に、魔法陣の上に浮かんだ銀色の水鏡の向こう側に、ゆらりと人影が現れる。
(あ、あれ……?)
間を置かずゲートを潜り抜けたその人物を見て、オルテンシアは思わず驚きに目を見張ってしまった。
なぜならそれが、予想を裏切る人物だったからだ。
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