第十九話 主人公は、最初からできた人間じゃなくてもいい
「じゃあさっそく、どうすればこの映画のランクを上げられるか考えてみない?」
栞は続けた。
「うん。つまりこの映画の……あんまり良くないところを直せばいいんじゃないかな。サメがなかなか出てこないとか、主人公が誰かわかりにくいとか、血糊とか傷メイクが使われてないとか、女優さんたちのメイクが濃すぎるとか、なくてもいいシーンが多いとか……」
なるべく婉曲な言い回しを選ぶ。
「ええ。問題は、どうすれば、映画の中にいながらそれができるかっていうことねぇ」
「うん……とにかく、映画の中からでも直せそうな欠点から取りかかるしかないね」
「いちばん直しやすいのは、『女優さんたちのメイクが濃すぎる』よね。でも、いくらイヴリンさんとスーザンさんがいいひとでも……ううん、だからこそ、ストレートに言うわけにはいかないわね」
「そうだね……あ、じゃあ、こんな手はどう? まず、イヴリンさんにどんな仕事をしてるのか訊く。教えてもらえたら、次は『あなたたちは大学を出たら何になりたいの?』って訊かれると思う。そしたら二人ともメイクアップアーティストになりたいんだけど、よかったら練習させてもらえないかって言うんだ。大学ではパラレルワールドに行くための機械を開発してるのに、なりたいのはメイクアップアーティストっていうのはちょっと不自然かもしれないけど、何とかごまかせるんじゃないかな」
「名案ね! でもわたし、あんまりメイク得意じゃないんだけど……」
「そんなことないし、私なんてもっと苦手だよ。それでもこの世界のひとたちよりはマシだと思う」
「鈴鹿さんこそ、そんなことないわよ。切れ長の目とか意思の強そうな唇とか、鈴鹿さんの魅力をうまく引き出してると思うわ」
「えっ……」
不意打ちで、メイクの腕だけではなく顔立ちまで誉められてしまい、
「あ、ありがとう……」
どもりながらもお礼を言った。
「え、えーと……次に直しやすいのは、『血糊とか傷メイクが使われてない』かな」
「そうね。何か赤いものを用意しておいて、誰かがケガしたらかければいいんだもの。でも、手当てより先にそんなことするなんて非人道的ね……。傷に沁みそうだし……」
そういう問題以前に、本当にそれでランクを上げられるのだろうか――。いや、だが、やってみなければわからない。
「ま、まぁ、人体に害のないものを使って、そのあとすぐ手当てしてあげれば……」
「そうね……。いちばん手に入りやすいのは、やっぱりケチャップよね。食紅とインスタントコーヒーも混ぜるともっとリアルに見えるらしいけど、ケチャップだけでもないよりはずっといいわ」
「詳しいんだね……」
「ええ。わたし、ホラー映画も好きだもの」
ふつうは、ホラー映画が好きでも血糊の作り方までは知らないのではないかと思ったが、ツッコんでいたらキリがない。だいたいZ級サメ映画ファンだという時点で、栞は「ふつう」とはいいがたいだろう。
「じゃあ、あとでイヴリンさんかスーザンさんにケチャップをもらおうか」
「ええ。なかったら、申し訳ないけどスーパーにでも連れてってもらいましょう」
「うん。ところで……『主人公が誰かわかりにくい』も何とかならないかな」
「えっ、でも、映画の中からじゃ、誰かひとりに焦点を当てることができないけど……。撮影も映像の編集もできないのよ……?」
「そのとおり。でも、映画の中からでも、誰かを主人公にふさわしい人物にして、主人公にふさわしい行為をさせることはできる」
「まぁ……目から鱗だわ」
栞は称賛の眼差しで倫子を見つめ、
「だ、だからさ、その『誰か』にするひとを決めない?」
赤くなった倫子はあわてて話を進めた。
「ええ。主人公にふさわしい人物っていうと……やっぱりイヴリンさんかしら。明るいし親切だし行動的だし……」
「いや……」
倫子はゆっくりかぶりを振った。
「主人公は、最初からできた人間じゃなくてもいいと思う。ううん、むしろできた人間じゃないほうがいいんじゃないかな。エンタメ映画だと、だいたい主人公って何か問題を抱えてて、ラストでそれを解決するでしょ? 大切なひとの死を悲しんでたひとが悲しみを乗り越えるとか、自分勝手だったひとが思いやりのあるひとになるとか、人目を気にしてばかりだったひとが自分に正直に生きられるようになるとか……」
「たしかにそうね……! 鈴鹿さんってほんとに頭がいいのね」
栞の瞳が再びきらきらと輝き、
「そ、そんな、大袈裟だよ」
倫子は手を突き出した。これ以上誉められる前に、
「で、この映画でいちばん問題を抱えてるひとっていえば、ダニエルさんだと思うんだけど……」
本題に戻る。
「同感だわ。イヴリンさんに片想いをしてるし、ベンさんにはいじめられてるし……。もちろん、ダニエルさんをいじめてるベンさんだって問題を抱えてると思うけど、正直お近づきになりたいタイプじゃないわね」
「うん。それに主人公にはひとつは長所があったほうがいいんだよ。観客に見放されないように……。ベンにはそれもないように見える。じゃあダニエルさんにはあるのかって言われたら微妙だけど、いちおう私のお願いを聞いてくれたわけだから……」
「つまり、わたしたちはダニエルさんが問題を解決する手助けをしてあげればいいのね。イヴリンさんへの恋が実って、ベンさんにもいじめられなくなるように……。それだけじゃなくて、チェリーパイとサメから町を救うヒーローにもなれるように……。アニマルパニック映画とかモンスターパニック映画の主人公って、そういうものでしょう?」
「そう!」
力強くうなずくと、
「行動の指針も決まったことだし、わたし、シャワーをお借りしようかと思うの。汗とか土でずいぶん汚れちゃったから……。鈴鹿さんもどう?」
栞は伸びをした。
「い、いや、わたしは小山内さんの次でいいよ!」
「あら、そのつもりで訊いたんだけど……」
「あ……ご、ごめん……」
「そんな、謝ることないわ。それに一緒に浴びてもいいし……」
「つ、次でいい次でいい!」
倫子がぶんぶんと手を振ると、栞はくすくすと笑い、
「そんなに必死にならなくても、無理強いしたりしないわ。じゃあ、浴びてくるわね」
ルームウェアを持って出ていった。倫子は息をついてソファの背にもたれる。
栞は二十分ほどで戻ってきた。アップにした濡れ髪と上気した頬がまぶしく、さりげなく目を逸らしながら部屋を出る。シャワーヘッドが固定されているので少し使いづらいが、文句を言ったらバチが当たるだろう。もっとも、それはあくまでイヴリンとスーザンに対して言った場合のことであり、この世界に自分たちを放りこんだ誰かあるいは何かに対しては、むしろ大いに文句を言うべきなのかもしれない。
それでも、汗を洗い流せば自然と気分も爽快になる。足取りも軽くゲストルームに戻ると、栞はソファに横になって眠っていた。ほんの少し口を開けた無防備な表情、目を閉じているためにいっそう長く見える睫毛、小さな規則正しい寝息。触れたいのをこらえ、ベッドから掛け布団を持ってきてかけてあげた。
自分も一眠りしようともうひとつのベッドにもぐりこんだが、栞が同じ部屋で眠っていると思うとなかなか寝つけない。ようやくまどろみはじめたところでノックの音と、
「お待たせー! ごはんできたわよー!」
イヴリンの声が聞こえたのだった。
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