第十八話 サメ映画に貴賤はないわ

 家に帰ると、イヴリンは夕食のしたくを始めた。まだ四時過ぎだったが、スーザンの誕生日なので時間をかけて豪華なものを作るつもりらしい。倫子と栞も手伝いを申し出たが、


「何言ってるの。あなたたちは部屋でゆっくりしてなさい」


 イヴリンはそう言い、二人にルームウェアを持たせて二階のゲストルームに案内してくれた。倫子が借りているアパートの一室全体よりも広く、ベッドが二台、ソファとローテーブルが一台ずつある。布団カバーとカーペットはパッチワークで、ソファカバーとカーテンは花柄という、典型的なカントリー調の部屋だ。イヴリンはバスルームの場所も教えてくれ、シャワーも好きなときに浴びていいと言って部屋を出ていった。


 どちらからともなくソファに座りこんだ。とたん、お尻に根っこが生えたかのように動きたくなくなってしまう。自覚していた以上に疲れていたらしい。


 栞も同様らしく、「ふわぁ……」という可愛らしい声を漏らしながらあくびをして、


「何だか急に眠くなってきちゃったわね……」


 目を閉じてソファの背にもたれた。思わず見とれていると、本当に眠ってしまったらしく肩にもたれかかってくる。


「わっ、わっ、わっ!」


 真っ赤になってなるべくそっと押し返すと、


「あら……ごめんなさい」


 栞は目をこすり、


「もしかして、鈴鹿さんってスキンシップが苦手?」


 すまなそうに尋ねた。


「ご、ごめん、そうじゃなくて……せっかく二人きりになれたんだから、あの現象が起こる条件が何なのかディスカッションしたいと思って……」


 本当はあの現象が起こる条件を知りたい気持ちよりも、栞に肩を貸していたい気持ちのほうが強かったが、もちろん口が裂けてもそんなことは言えない。


「そのとおりね。居眠りなんてしてる場合じゃないわ」


 幸か不幸か、栞はたちまち乗り気になってくれた。


「じゃあまず、あの現象がいつ起こったのか、または起こりそうになったのか思い出してみようか」


「ええ。最初はもちろん、うちで映画を観てたときよね。次は……わたしがチェリーパイをやっつけて、スーザンさんがわたしたちにどうしてここにいるのか訊いたときだったわ」


「うんうん。三回目は……イヴリンさんがほかのチェリーパイもひとを襲うようになったら一大事だけど、自分たちには何もできないんじゃないかって言ったときだね。あのとき私、あの現象はもともとのストーリーから外れすぎたときに起こるんじゃないか、ってひらめいたんだ。結局、間違ってたわけだけど……」


「失敗は成功のもとよ、鈴鹿さん。それで最後は、ダニエルさんがわたしたちを追い返そうとしたときよね」


 考えこんでいた二人だったが、


「あっ……!」


 ふいに栞が声を上げた。


「何かひらめいた?」


 期待をこめて栞を見つめる。


「ええ……スーザンさんがわたしたちにどうしてここにいるのか訊く前、わたし、警察を呼ばなくちゃって言ったわよね。でも、信じてくれるはずがないって言われちゃった……」


「うん」


「三回目と最後も、わたしたちがチェリーパイの被害が広がるのを防ぐために何もできなかったときだわ。裏を返せば……」


「チェリーパイの被害が広がるのを防ぐために何かできれば、あの現象は起こらない……? 起こりそうになっても途中で止まる……?」


「それなら、スーザンさんを助けたときにあの現象が起こらなかったことにも説明がつくわね」


「うんうん。で、私たちたぶんあの現象のせいでこの世界に入っちゃったんだから、とにかくあれを起こさないようにするのが大事……それを続けてれば、現実にも帰れるかもしれないんだ。でなくても、気絶して何日も経っちゃうなんてもうごめんこうむりたいし……」


「人助けもできるし、現実にも帰れるかもしれない。まさに一石二鳥ね!」


 栞が手を打ち合わせた瞬間――窓の外が暗くなった。


「えーっ! 何で何で何で!?」


 栞の前ではクールでいたいという気持ちも忘れて叫んでしまう。


「きっとこの考えも間違ってたんだわ。じゃあ何が正しいのかしら……」


 二人は再び考えこんだ。さっきよりもなお必死に。


「え、えーと……警察が捜査してくれるようにすればいい、とか?」


 倫子は言ったが、外はいっそう暗くなってしまった。


「じゃあ……ダニエルさんの恋が実るようにすればいい?」


 今度は栞が言ったが、結果は同じだ。


「じゃ、じゃあ……イヴリンさんに罪悪感とか無力感を感じさせないようにすればいい?」


 またしても同じ。何だか神様と会話しているみたいだ。


 ベンをぎゃふんと言わせればいい、ダニエルを昇進させればいい、スーザンに新しい出会いをもたらせばいい、などの種々雑多な意見が飛び出したあと、


「ひょっとして……この映画のランクを上げればいいのかしら? A級……は無理でも、せめてB級くらいにはなるように……」


 栞が言った。さすがにそれはないのではと思ったが――窓の外は暗くならなかった。


「あら、これが正解?」


 当の栞もきょとんとしているうちに、外は明るくなりはじめる。


「そうみたい……小山内さん、やったよ!」


 倫子はガッツポーズをとったが、


「ええ……でもちょっと悲しいわ。映画の神様はZ級映画がお嫌いなのかしら……」


 栞は顔を曇らせた。


「か、考えすぎだよ! そもそも映画の神様の思し召しだともかぎらないし……」


 あわててフォローする。


「そうね……それにわたし、B級映画も大好きだし。A級だろうとZ級だろうと、サメ映画に貴賤はないわ」


 ――かたちはどうあれ、栞が気を取り直してくれたならそれでいい。

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