第十五話 噓も方便!?
「パラレルワールドって、あの……SF映画とかに出てくる?」
イヴリンが恐る恐る尋ねる。
「はい。わたしたちの世界ではこの世界より科学が進んでて、わたしたち大学で、パラレルワールドに行くための機械を開発してたんです。ようやく完成してこの世界に来られたのはいいんですけど、機械が壊れてもとの世界に帰れなくなっちゃって……。あの赤い光も突然わたしたちが消えたのも、全部その機械のせいなんです」
栞の口から作り話がすらすら出てくるのに、倫子は純粋に感心した。もっとも、完全な作り話とはいえないかもしれない。この世界が倫子たちの世界のパラレルワールドだという可能性も、なきにしもあらずなのだから。
「そうだったの……。ひょっとして、あなたたちが来てこの世界の秩序みたいなものが崩れて、チェリーパイがひとを襲うなんてことが起こるようになっちゃったのかしら……あっ、ごめんなさい。あなたたちを責めてるわけじゃないのよ」
イヴリンがてのひらを突き出した。倫子と栞は、もともとここが「チェリーパイがひとを襲うなんてことが起こる」世界だったことを知っているが、もちろん口にはしない。
「それにしても残念ね。あたし、母さんのチェリーパイが大好物だったのに、襲われるかもしれないんじゃ、もう焼いてもらえないじゃない」
「そんなのんきなこと言ってる場合じゃないです」とツッコみたくなったが、
「いけない、そんなのんきなこと言ってる場合じゃないわね」
幸いイヴリンは、倫子の脳裏に浮かんだツッコミを、そっくりそのまま自分に入れてくれた。
「もしも母さんのチェリーパイだけじゃなくて、ほかのチェリーパイもひとを襲うようになったんだとしたら一大事だもの」
「そう、そうなんです!」
倫子は全力で同意した。
「でも、警察に行ってもLooksbookとかWeTubeで訴えても、誰も信じてくれないでしょうし……あ、ねぇ母さん、この子たちが消えたあと、そのチェリーパイはどうしたの?」
「燃やしちまったよ。粉々になってたけど、もっかい動き出さないって保証はないだろ」
「そっか……じゃあ、証拠品を見せることもできないのね」
「見せたところでムダだったに決まってるさ。どっからどう見ても、何の変哲もないチェリーパイだったんだから」
むしろ変哲しかないチェリーパイだったと、再びツッコみたくなった。
「結局、あたしたちには何もできないのかしら。気がとがめるけど……」
イヴリンがマスカラをたっぷり塗った睫毛を伏せたとき、またしても窓の外が暗くなった。
「いやだ、またあんたたちの機械が暴走してるのかい?」
スーザンの問いに、
「あっ、そうみたいですね」
栞がしれっと答えた。一方、倫子はある可能性に思い当たる。
もしかして……そうだ、そうかもしれない……!
目の前がぱっと明るくなったような気がして、体がじわりと熱くなった。
「イヴリンさんとスーザンさん!」
思わず叫んでしまい、
「あたし、あなたたちに名前教えたっけ?」
「あたしも教えてないよ」
二人に怪しまれてしまった。「表札で知ったんです」と言おうとしたが、アメリカが舞台の映画で日本のような表札は見たことがない。と、
「あの……わたしたち、あらかじめこの世界のことを……お二人のことも調べてきたんです」
栞が助け舟を出してくれた。
「なぁんだ、そうだったの」
「そっちの世界のひとは超能力でも持ってるのかと思っちまったよ」
二人はすんなり納得してくれ、倫子はほっとした。
「そうだ、よかったらあなたたちの名前も教えてよ」
「それどころじゃないんです」と言いそうになったが、空はまだ赤く光ってはいない。それに倫子の考えが正しければ、二人に名前を教えても気を失うことはないはずだ。
「はい……私は鈴鹿倫子っていいます」
「わたしは小山内栞です」
「リンコとシオリね。今更だけどよろしく」
イヴリンが差し出した手を順番に握った。スーザンとも握手すると、
「ところでリンコ、あたしたちに何を言おうとしてたの?」
イヴリンは本題に戻ってくれる。
「あっ、その……やっぱり警察に行ったほうがいいんじゃないかって……」
「え、でも……あ、もしかして、リンコたちの世界ではチェリーパイがひとを襲うのは当たり前のことなの?」
「そういうわけじゃないんですけど……」
そのとき、栞の助け舟を利用させてもらうことを思いついた。
「私たち、この近くの警察のことも調べてきたんです。だから、どんなに馬鹿馬鹿しく聞こえる話にも耳を貸してくれる、すごく誠実な刑事さんがいるのも知ってるんです」
これも完全な作り話とはいえない。メインキャラクター(なんて大層なことばはこの映画にはふさわしくないような気がするが)のひとりである刑事ダニエル・ロビンソンは、イヴリンに一目惚れするのだ。内容にかかわらず、イヴリンの話になら耳を貸してくれるだろう。
「そんなひといたかねぇ。亭主がぽっくり逝っちまったとき警察が来たけど、みんな横柄だったよ」
スーザンが口を挟んだ。
「え、えーと……最近赴任してきたばかりのひとなんです」
「ああ、そうだったのかい」
たちまちスーザンの顔から不満と不審の色が消えた。相手がここまでひとを疑うことを知らないと、心苦しいし心配にもなる。
「わかったわ。そこまで言うなら警察に行ってみる」
イヴリンはさっそく身をひるがえした。
「あっ、私たちも一緒に行ってもいいですか? 目撃者は多いほうがいいと思うんです」
「それもそうね……お願いするわ」
「あたしも行くよ。何てったって、最初に襲われたのはあたしなんだから」
スーザンもそう言い、結局全員でイヴリンの車に乗りこんだ。空はいつの間にか晴天に戻っている。
やっぱり私の考えは正しかったんだ……!
ガッツポーズをとりたいのをこらえていると、
「今回は赤い光も見えなかったし、気絶もしなかったわね……! 鈴鹿さん、そうなるってわかってて警察に行ったほうがいいって言ったの?」
栞も興奮して耳打ちしてきた。
「うん。さっき……ほんとは一昨日みたいだけど、小山内さんが警察を呼ばなくちゃって言って、でもスーザンさんは呼ぼうとしなかったよね。その直後にまた空が暗くなった……」
「そういえばそうだったわね……すごいわ、鈴鹿さん! でも、警察に行くとあの現象が回避できるなんてふしぎねぇ」
「正確にはちょっと違うと思う。あの現象は、もともとのストーリーから外れすぎたときに起こるんじゃないかな」
「まぁ……!」
栞は右のこぶしで左のてのひらを打ったが、
「あら、でも……水を差すみたいで申し訳ないんだけど、それじゃあどうしてスーザンさんを助けたときにはあの現象が起こらなかったのかしら……」
すぐに小首をかしげた。
「……っ!」
倫子ははっとした。そのとおりだ。殺されるはずのキャラクターが助かったことは、どう考えてもストーリーの大きな改変なのに――。
「そうだね……。あー、せっかくあの現象の謎がひとつ解けたと思ったのに……」
「ご、ごめんなさい……」
「あ……こっちこそごめん。小山内さんが謝ることじゃないんだ。そんな簡単なことにも気づかずに舞い上がってた自分が恥ずかしいだけ……」
「恥ずかしがることなんてないわ。わたしだって、小山内さんが気づいたことに気づかなかったのよ。でも……ううん、だからこそ、二人で力を合わせれば、きっとあの現象の謎も解けるし現実にも帰れるわ」
優しい慰めと励ましのことばに、倫子はたちまち奮い立った。我ながら現金だと思うが、いつまでも落ちこんでいるよりはマシだとも思う。
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