第十六話 サメが出てこないだけ良しとするべき
三十分ほどで警察署に着いた。全員車を降り、
「ちょっとすみません」
署の前に立っていた中年の警官に、イヴリンが声をかける。
「実は、一昨日母が……」
イヴリンはスーザンを目で指した。
「殺されかけたらしいんです」
「殺されかけたぁ? 誰に?」
警官はうさんくさそうに尋ねたが、
「詳しいことは中で話します」
イヴリンは頑として答えなかった。
警官はしぶしぶ四人を中に招き入れてくれた。外から見るとなかなか趣のあるレンガ壁の建物なのに、一歩足を踏み入れると、白い壁にグレーの絨毯、白い机一脚と黒いイス四脚のセットが二つあるだけの無機質な部屋が広がっていた。どう見ても警察署ではなくレンタルオフィス――それも賃料の安そうなオフィスだ。これも映画のとおりである。
警官はどっかとイスに腰を下ろして腕を組み、
「じゃ、詳しいこととやらを話してくれ」
イヴリンを一瞥して、あごで正面のイスを指した。イヴリンは無言で腰を下ろし、ほかの三人もあとに続く。
「ねぇ、こいつは亭主が死んだときうちに来たヤツだよ。信じてくれっこないよ」
スーザンが倫子に耳打ちした。もっとも机の幅はせいぜい一メートル、警官にも聞こえたらしくジロリと睨まれる。
「そ、そうですね……」
ダニエルを呼んでもらおうか。だが、あの現象はもともとのストーリーから外れすぎたときに起こる、という考えが間違っていた以上、ダニエルが登場することに意味があるのかわからない。
思案に暮れていると、四人が入ってきたものとは反対側のドアが開き、
「あのぅ……失礼します」
ダークブロンドの髪に青い目をした痩せ型の青年――当のダニエルが顔を覗かせた。
「何だ、取り調べの最中なんだぞ」
警官が机を叩く。四人は目を見交わした。誰の顔にも「これって取り調べだったの!?」と書かれている。
「す、すみません。でも、奥さんから電話なんですよ。大変なことが起こったって、すごく取り乱してて……」
「大変なこと? どんなことかは言わなかったのか?」
「はい。とにかくベンを呼んでって……」
警官――ベンは舌打ちをして立ち上がり、大股歩きで部屋を出ていった。ダニエルの肩に腕がぶつかっても、謝りもしない。
ダニエルは大きなため息をつき、ようやく四人を見た。その目はイヴリンに釘づけになり、その顔はみるみるうちに赤くなっていく。
「あー……うー……えー……」
うつむいて口ごもってから、
「と、取り調べの最中って言ってましたけど、いったい何をしたんですか?」
うわずった声で尋ねた。
「あたしたち、何かしたんじゃなくてされたほうよ」
イヴリンは憤然と答え、物問いたげに倫子を見る。倫子が小さくうなずくと、
「正確には、されたのはあたしの母で……殺されかけたの」
イヴリンはやや口調をやわらげて続けた。
「えええっ!」
ダニエルは大袈裟なほど驚き、
「だ、だ、誰にですか!?」
上着の内ポケットからペンと手帳を取り出した。
「えーと、その……」
今度はイヴリンが口ごもる番だ。
「実は、人間に、じゃないの……」
「人間に、じゃない? ってことは動物ですか? クマとかオオカミとかライオンとかトラとか……」
――まぁ、サメが出てこないだけ良しとするべきだろう。
「動物、でもなくて……」
歯切れの悪い答えに、ダニエルは怪訝な顔をしたが、
「そうだ、基本中の基本を忘れてた! あなたがた、名前と住所は?」
すぐにペンを構え直した。
「あっ、そ、そうね。あたしはイヴリン・ウォーカー、こっちは母のスーザン・ウォーカー。ピューバティラブ・ストリート1978に住んでる。この子たちはリンコ・スズカとシオリ・オサナイ。日本の大学生で……うちでホームステイしてるの」
とっさに倫子と栞がホームステイしていることにするなんて、イヴリンは頭が回る。
「イヴリン・ウォーカー、スーザン・ウォーカー、ピューバティラブ・ストリート1978……」
ダニエルはペンを走らせた。
「じゃあ改めてお伺いしますが、スーザンを殺そうとしたものって何なんです?」
イヴリンは黙りこんだが、数秒後には覚悟を決めたらしくまっすぐダニエルを見つめ、
「チェリーパイ」
きっぱりと言った。
「へ?」
「だから……チェリーパイよ! 母さんが焼いたチェリーパイ! それが空を飛んで口を開けて、母さんを噛み殺そうとした……んですって」
イヴリンは早口でまくしたてた。
「ホントだよ! 神に誓ってもいい。この子たちだって見てたんだ」
スーザンが加勢し、倫子と栞も大きくうなずいた。だが、
「そう言われてもねぇ……集団幻覚ってものもありますから……」
ダニエルは鼻の頭をかきかき言う。
そこにベンが戻ってきた。出ていったときに輪をかけて不機嫌な顔をしている。
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