第二話 面白くないから面白い?
一週間後、倫子が「フランス語Ⅱ」の教室へ向かっていると、向こうから栞が歩いてきた。
内心どぎまぎしながら会釈した拍子に、栞のバッグについていたアクリルキーホルダーが目に飛びこんできた。〈ジキルハイドシャーク〉という文字、歯を剥き出した毒々しい紫色のサメ、真っ赤な液体が入った三角フラスコを持った、白衣に眼鏡の中年男性のイラストが描かれている。文字のフォントもイラストのタッチも安っぽくて古くさい。
「じ、ジキルハイドシャーク……?」
思わずつぶやくと、
「知ってるの!?」
栞はたちまち目を輝かせた。きらきらというよりも爛々といったほうがいいような輝きだ。
「し、知らないけど、何ていうかその……インパクトがあったから……。これは映画?」
栞はぶんぶんとうなずいた。
「マーカス・ポロニア監督の最新作なの。あっ、最新作っていっても、日本で配給された中でのだけど」
「ま、マーカス・ポロニア監督……?」
映画ファンの倫子も聞いたことがない名前だ。
「ええ。Z級映画界の巨匠、現代のエド・ウッド、ペンシルバニアのスピルバーグよ」
エド・ウッドなら知っている(もちろんスピルバーグも知っているが)。監督ティム・バートン、主演ジョニー・デップの映画「エド・ウッド」は名作の誉れ高く、往年の怪奇スター、ベラ・ルゴシを演じたマーティン・ランドーはアカデミー助演男優賞を受賞した。
だが、エド・ウッド自身は「史上最低の映画監督」と呼ばれていたはずだ。つまり「現代のエド・ウッド」ということは――。
「えーと……その映画、面白い?」
面白いはずがないと思うが、「つまらない?」とは訊けない。といって、栞との会話を終わらせたくはなかった。
「ううん、ちっとも面白くないわ。だから面白いの」
栞は天使のように微笑む。
面白くないから面白い?
頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされた。
「ちょっと観たくなってきたかも……」
本心からつぶやくと、栞は再び目を輝かせる。
「実はわたし、DVD持ってるの。よかったら貸すけど……」
「いいの!?」
あくまで「ちょっと観たくなってきたかも」であり、「とても観たい」ではないのだが、DVDを借りれば少なくともあと二回は栞と話せる。
「もちろん。でも……」
栞はふと顔を曇らせた。
「鈴鹿さんこそいいの? B級とかC級じゃなくてZ級なのよ? アルファベットの最後の文字なのよ?」
「アルファベットの最後の文字」ということばが妙におかしくて、口元がゆるむ。
「大丈夫。私、どんなジャンルの映画も観るから」
どんなに不出来だとしても、好奇心から観てしまった実写版「デビルマン」ほどではないだろう。
栞はほっとした笑みを浮かべ、
「よかった。じゃあ来週持ってくるわ」
手を打ち合わせた。
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