三十四歳トーシュルツパニック-4

 新たな部署での飲み会にもやはり馴染めないまま、さて早めに切り上げてチハルにお土産でもという時に鈴木君から連絡があった。次の週末を空けておいてほしいとのこと。

「おい江川。携帯なんて見てないでお前も輪に加われよ」

 あ、すみません、急用が入って、本当すみません。

 視線には慣れた。

 お土産は焼き鳥にした。なんだか飲み直したい気分で、強くも無い癖に酒屋へ寄って目に付いた一瓶を手に取った。それが日本酒なのか焼酎なのか見分けはついていない。

 チハルはありがとうと呟き、さっそく串を手にとった。俺は皿とおしぼりを手渡してから、酔いも手伝ってか「太るぞ」と笑いかけた。彼女はぎょっとした顔でこちらを見た。俺は酒の準備をしながら再度笑みを向けた。

「好きなんだもん。いいじゃん」

 赤面しつつも手を伸ばす。

「塩とタレ、どっちが好き?」

「塩」

「だよな」

「美味しいし」

「将来は酒飲みかなあ」

「火力えぐ」

 中身は日本酒だった。水で割ったことを後悔して、そもそも飲み慣れないこともあってあまり進まなかった。

「焼き鳥の部位で何が好き? ほら、モモに皮に、ねぎま、ハツ、ぼんじり、レバー……」

「え? モモと皮しか分かんけど、モモ」

「食べたことないの?」

「無いし」

 じゃあ今度買って来るよ。なんとなくチハルのグラスにも注いでみた。彼女は訝しげにして、けれど口をつけた。ううあと変な呻き声を上げながら、それでも、こく、こくっと数口は飲んだ。楽しくなって俺も残りを一息で煽ってから、手酌で注いで軽く掲げてみせた。チハルも応じた。久方ぶりに夜を楽しいと感じた。チハルはどう思っているのだろう。少なくとも肯定はしてくれていたら。

 翌朝チハルは吐いた。俺も二日酔いのなか仕事へ向かった。

 枕元、朝食と一緒に胃薬や水を置いて出た。

 何をやっているのか。未成年の娘に酒を勧めるだなんて。目がやけに重たく感ぜられたが、それよりも自責で崩れてしまいそうな朝だった。

 時間はすぐに経った。一週間。

 この間、相も変わらず定時で帰り続け、ドラッグスアには二度、スーパーマーケットには一度寄った。朝山さんは見当たらなかった。鰆の幽庵焼きというものに挑戦してみたけれど、身が崩れて結局は猫まんまのようにして食べた。姫からは「いいんじゃないの」とのお言葉。これが一昨日のこと。独身ならば気にもしないのだけれど誰かのための料理となれば難しい。俺のメニューだなんて焼くか煮るかしかないのに、それだけでなく毎食栄養を考えて作る親御さんもいらっしゃるのだ。恐れ入る。

 年度が変わり初めて鈴木君と会った。彼の指定したのは小洒落た飲み屋で、俺にはこれがチェーン店でないことしか判別がつかなかった。ついに来た。女性との飲み会。

「え、まさか着替えて来たんすか。気合い入ってるすね」

 どうせ定時だったし、チハルの晩御飯を用意しなくてはならなかったから。娘にはこのことを正直に伝えた。初めての合コンであること、メインが俺であること。ただ、それがチハルのためであることは言わなかった。彼女の心気を察したからだ。忌憚なき意見を賜った。チハルは何か半笑いのような、それでいて泣く手前のような表情を見せていたけれど、「いや、その服は有り得無いし」「鼻毛出たまんまなんですけど」と多くを口にしてくれた。育ての親が恋人を作ろうというのだ。多感の彼女だ。思うことがあるのだろう。それがどういった類のものか俺からは何も尋ねられなかった。

「とりあえず二人来てもらったんす。どっちも自分とタメで気が利く子です」

 たしかに気は利く。

 遅れて来た女性陣は謝罪しながら席に着いて、店員を呼んで、人数分のビールを頼み、つまみを頼み、サラダを頼み、乾杯をして自己紹介をし、箸やら皿やら諸々を配ってくれた。料理は運ばれた瞬間から人数分に取り分けられた。

 やっとそのことを労って、でも彼女たちはこれが普通だと笑う。普通かどうかはとかく、女性というものに舌を巻いた。これが女。

 二人とも茶髪で、二人とも口がとんがっていて、二人ともカーディガンを羽織っていた。色は違う。一人はくすんで落ちる寸前の空の青、一人は会社の蛍光灯みたいな白。

「江川さんって何かクールですよね」と青。

「違うでしょ。これ緊張してるだけしょ」と白。

 白い女の子は前の上司と雰囲気が似て、そして少し無礼だ。けれど白の方がより愛嬌がありますます分からなくなる。

「あれなんすよ、この人、ホント人見知りなんすよ」

「マ? 草なんだけど」

 ここへ来てまだ数度しか口を開いていない。

 あの、ご趣味は。

 ようやく絞り出した言葉がこれだった。自身のコミュニケーション能力を呪いたくなる。

「お見合いかっての」

「ちょっと待って、ちょっと待って。え、これたぶんウケ狙いとかじゃないっすからね、この人」

 楽しい場であったのだろうが愉快ではなかった。まだ距離のあるだけ上司との昼食の方がましだ。とかくエネルギーに圧倒されていた。

 そのうちに青い方がエーデルワイスなるビールを頼み、白い方がそれを見て揶揄していた。音楽の教科書にこんな名前のあったよねと。俺も覚えがある。鈴木君が一節歌った。皆が笑う。俺もつられて笑う。

 サラダがレタスを残して無くなり、また新しいメニューと取り替えられる。

 合コンというのは喋られ無いと乗り切れ無いものなのだろう。それもそうか。会話は一番に基本的なコミュニケーション法だ。頭の中でならこんなにも饒舌だのにそれをアウトプットし得ないというのは自身としても辛い。話題の移り変わりが早い。

 そのうち青白二人が何度目かのトイレへ立つ。その間に空いた小皿をまとめる鈴木君。彼はモテるのだろうな。俺のような者にも分け隔てなく接してくれ、器量もあり嫌味も無い。

「女の子のトイレってちょっと長いっすよね」

 男ならば、入って出して、手を洗って、それでお終い。トイレにそれ以外の使用方法があるのか。女性と仲良くなりに来たのに、対して謎が深まるばかりだ。

 この夜はそれでお開きとなった。二次会がどうのと予備知識があっただけに肩透かしを喰った感じだが、先方からして俺は失格なのだろう。仕方ない。既に名前が思い出せなくなっていた。セイミ? セイコ? マナ? マナミ? たしか、こんなの。俺、酷い。最悪だ。人非人だ。とりあえずこの子たちは青と白だ。

「え、なんか、今日は申し訳なかったす。江川さんと年齢近くって落ち着いた子、探しときます」

 違う。鈴木君が謝るべき事柄なんて一つも無いんだ。俺が悪い。二人とも良い子たちだった。合わない人たちだったけれど、人間的にこの中で一番稚拙だったのは俺だ。こんな人間だのにまた次も厄介になって良いのだろうか。代わりに鈴木君へしてあげられることは何だろう。

 諸々伝えたい言葉が渋滞を起こした。その中でやたら滑舌良く飛び出したのは、

「鼻毛カッターってどこで買えばいいの?」

 鈴木君、失笑。

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