エピソード23 走り出す天使


 今だから、笑って話せるが、当時のぼくはどう生きて行けばいいのか、相当に悩んでいた。


 

 翼を失った事に、後悔がないわけでない。


 片翼だけあっても空は飛べないし、それは翼人族のとって不名誉な事。

 

 だから、無事な片方も取ってしまった。


 理屈は頭では分かっているが、ぼく自身の心がそれを受け入れずにいた。



「ライア隊長」


 部屋のドアがノックされる。


「シエラです」

「どうぞ」


 彼女は素早く部屋へ入り、ドアを閉めた。


「ライア隊長!」

「大丈夫ですか?」


 廊下からぼくを呼ぶ声。

 

 剣兵隊員だろう。



「申し訳ないな。毎日騒がしくて」

「平気です」


 シエラは笑顔で、首を横にふる。


 部屋には翼を失って以降、メイドとシエラ、ミラルド先生以外誰も入れていない。

 いや、ヴァネッサがいるか。



「傷口を見せてください」

「ああ」


 シャツを脱ぎ、彼女に背中を見せる。


 

 このシャツというものを、翼を失ってから初めて着た。


 今までは貫頭衣の上に布を体に巻いたものが、上半身の服だった。


 袖はなし。冬は少し辛かったの覚えている。


 袖付きのシャツに感動したよ。


 実はウィル様からのお下がりだったりする。



「大丈夫だと思うが」

「ええ。きれいですね。腫れもありません」

「うむ」

「もういいです。ありがとうございます」


 シャツを着直す。


「違和感はありませんか?この前、かゆみがありましたけど」


 シエラはそう言いながら、鞄から書類を取り出し、何かを書き込こむ。


「かゆみは収まったが、背中が突っぱる感じがする」

「そういう事はあります。異常な事ではないです」

「そうか。治るのかな?」

「個人差がありますね」

「治らない可能性もあるのか?」

「はい。傷自体は治ってますので、少しずつ動かして慣らしていったほうがいいです」

「なるほど」


 傷口は、大きいから後遺症があっても仕方がない。


「他にはありますか?」

「そうだな…痛みを感じる」

「え?」 


 彼女は、驚き背中に手を当てた。


 優しく当てられた手の温もりを感じる


「どのあたりが痛いですか?」

「いや…背中が痛いわけではないんだ…その…」

「ライア隊長?」

「ああ…不思議と思うかもしれないが…ないはずの翼が、痛い」

「なるほど…」


 シエラは小さく息を吐く。


「ゴーレムに握りつぶされた、あの感覚が甦ってくる…」

「それもよくあることです」

「よくある?珍しくないと?」

「はい。幻肢痛げんしつう、ファントムペインですね」

「ほう」

「四肢を欠損しても、欠損前の感覚が残ってしまうらしいです。そして、痛みが発生する原因はわかっていません」

「なくなった事は理解しているはずだが」

「無意識下では、まだあるもの、と認識してるでしょう」


 体は、意識と無意識で構成され生きているという事か。


 面倒くさい生き物だな、ヒトとは。



「困ったな。無意識下では対処できないでなはいか」

「そうですね。痛み止めも効きません」

「痛みの原因はないからな」

「はい。時間経過ともになくっていくかもしれないです」

「そうか…」



 ぼく自身の問題だろう。


 翼がない事はわかっているが、まだ未練があるんだ。


 分かっていても認めたくない。そう体が思っている。



「了解だ」

「はい。その他に気になる事はありませんか?」

「特にない」

「わかりました」


 彼女は書類に何かを書き込んでそれを鞄にしまう。


「それではこれで。先生に報告しておきますので」

「ありがとう。シエラ」

「いいえ。では、失礼します」


 

 シエラの入れ替えるようにヴァネッサが入ってくる。


 彼女はベッド脇のチェスト上に昼食を置く。


 ここ数日はヴァネッサが昼食をもってくる。朝、夕はメイドが担当。




「すまない」

「いや」


 いつもなら、昼食を食べつつヴァネッサと少し雑談をする。

 

 が、今日は違った。


 

 ヴァネッサは背もたれを前にして座って、ぼくを見る。


「…ヴァネッサ。ぼくの顔に何かついているのか?」

「い…」


 彼女が何か言いかけた時だった。



「ナンデ、ヴァネッサは良くて、アタシはダメなのサ!」


 

 ミャンだ。



「本人とヴァネッサ隊長がそう決めたんです」

「だから!ナンデ!」 


 廊下ではシエラとミャンが押し問答をしている。



「うるさいね…全く」


 そう言いながら、ヴァネッサが立ち上がった。



「ミャン!ライアは生きてるから心配するじゃないよ!」


 ヴァネッサが立ち上げり廊下に向かって叫ぶ。


「知ってるっテ!」

「だったら、騒ぐんじゃない!」 

「顔見るくらいいいジャン!」


 ぼくの事を、誰よりも慕っているのはミャンだ。

 

 問題のない翼を取る事に、強く反対した。



「ミャン!ありがとう!もう少し時間をくれ!」

「ライア!…アタシは!…アタシはね!…」


 それ以上は言わず、廊下を走る足音だけが聞こえる。



 ヴァネッサは椅子にさっきを同じように座った。ため息をしつつ。


「…で、何話すんだっけ?」

「ぼくに聞かれても困る」

「だね」


 彼女は苦笑いを浮かべた後、すぐに真顔になる。



「リアンが回復した」

「リアン様が?…それは、よかった…」 


 これは素直に嬉しく思う。


 リアン様は、片翼を失い血だらけのぼくを見て発狂し、気絶したのだ。


 不慮の事故のだったといえばそうかもしれないが、ぼくは責任を感じていた。



「あたしは、あんたの方が先に立ち直ると思ったんだけど」

「そうなのか」

「賭けに負けたよ」

「は?」


 ヴァネッサは、リアンとぼくのどちらが先に立ち直るか賭けをしていたらしい。


「あんたのせいで、夜の警備をしなくちゃならなくなった」

「ぼくのせいにするのはやめてくれ。君が勝手にぼくに賭けただけだ。そもそも、賭け事にするのが間違っている」


 ぼくの言葉に彼女は表情を崩さない。


 ぼくは、昼食の入ったトレイをチェストから引き寄せ食べ始めた。



「ライア。いつもまでこうしてるわけ?」

「わからない…」


 食事の手を止め、ヴァネッサを見る。


「翼のない自分を衆目にさらす自信がない」

「今更でしょ?今までどれだけ目立ってか」

「それは、翼があったからだ。翼のせいだと、言い訳ができた…」


 その言い訳は、もうできない。


 自分の判断ミスから翼をなくした。

 そんな情けない自分自身をさらすのが、どうにも…。



「あんたの事、情けないなんて思ってるやつはいないよ」

「ああ。皆優しいからな」

「だったらさ…」

「わかっているよ…」

「あんたが、そこまで弱い奴だとは思わなかった」

「自分でもそう思うよ」


 気の持ちようなんだろう。


「片方は残しておけばよかったんじゃない?今更遅いけど」

「それはそれで、悩んだだろう」

「そうだろうけどさ…」


 いつまでこうしていてはいけない事は自覚している。



「翼にこだわり過ぎなんだよ、あんたは」

「こだわり過ぎ?…翼人族にとって、翼は誇り、威厳、そして存在理由なんだ。君だって、竜を失えば落ち込むだろう?」

「そりゃ、まあ…」

「なら、少なからずぼくの気持ちがわかるはすだ」

「わかるけど、竜騎士は竜に乗るだけが、竜騎士じゃないから」


 そう言ってヴァネッサは椅子から立ち上がる。

 そして、ぼくの隣に座り、肩を抱く。


「よく聞きな」


 彼女は、ぼくの肩をしっかりと掴む。


「翼人族としての、ライア・ライエは死んだ」

「…君は、気遣いというものを知らないのか?」

「あたしは事実を言ってるの」


 ぼくは大きくため息を吐く。


「話は終わってないからね」

「そうか…」


 あまり聞きたくないな…。


「あんたは生まれ変わったのさ。今のあんたは、赤ん坊だよ」

「…」

「生まれたのなら、生きるべきじゃない?」

「生きてるよ」

「目が死んでる」


 ヴァネッサに口では勝てない。


「あんたの心は、どこにあるの?」

「心?」

「ああ。翼にあったんなら、このままでいればいい。違うんなら、一歩踏み出すしかない。後は流れに乗れる。剣術もそういう所あるでしょ?」

「まあ…なくなない」

「懐に入る一歩が怖いのは、あたしも知ってるから。元、翼人族の意地ってやつを見せてよ」

「嫌味な言い方だな」

「そうかい?なら、あんたが復活するまで言い続ける」


 そう笑顔で言い放つ。


 だが、不思議と怒りはない。


「じゃあ、また明日」


 彼女は、ぼくの肩を軽く二回叩き部屋を出ていった。



「全く…」


 冷めてしまった昼食を食べてしまおう。


 

…翼人族としての、ライア・ライエは死んだ…


 ヴァネッサの言葉を反芻する



「生まれ変わった、か…」


 昼食を食べ終え、トレイをドアの前に置く。



 静かな部屋。


 片隅には、愛用していた剣が立てかけてある。

 

 それを掴み、剣を引き抜く。


 

 多少欠けはあるが、綺麗に輝いている。


 ヴァネッサが、わざわざ清掃してくれたのだ。

 

 

 剣を、縦や横に振ってみる。


「…重い」  

  

 今まで、剣の重みを感じる事なんてなかったんだが…。


 やはり、休みすぎか。すぐに慣れるだろうか…。


「いけないな。これでは…」


 剣が泣いている。


…あんたの心はどこにあるの?…


「心か…」

 

 ぼくの心は…。

 

 剣を鞘に収め、チェストの上に置く。


…翼人族の意地ってやつを見せてよ… 


「ああ。見せてあげるよ」


 ぼくは、そう剣に誓った。




Copyright©2020-橘 シン

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