13

 ◇


 夕陽も落ちはじめ、街に夜のとばりが下りてくる。

 空にはカラスの鳴き声が響いている。


 オレンジ色だった電柱や商店街の看板は暗闇に染まりだし、行き交う人も主婦や仕事帰りのサラリーマンが増えてきた。


 雛数はかすみから約五メートルほど離れ、なおも尾行を続けている。


(人が多いと、その分歌野さんに近付けそうだな。バレにくくてラッキー……って……ははっ。この考え方自体、完全にストーカーだな。もしくは探偵とか刑事とか)


 その通りであるが、汽水先生代理によればこうした行動の終着点に「人生好転!」が待ち受けているというのだから仕方ない。都合の良い解釈だとしても。

 ……と、その時だった。


(ん? 止まった?)


 雛数の視線の先。

 先行して歩いていたはずのかすみが、ピタリとその綺麗な足を止める。


 それから、そばのお店に視線を送り、数秒もしないうちに彼女はその店へと入っていった。


(……なんだ、ただのスーパーか)


 雛数はかすみの入った店に近寄り、看板を改めて見上げる。

 デカめな赤と白のネオンサインに『スーパー☆にしきごい!』と表示されている。

 どうやらここの店名らしいのだけれど。


(主張が激しいな。ここの商店街、通ったことなかったけどこんなスーパーがあったんだな)


 雛数が面食らうのも無理はない。

 文字の周りや『☆』マークの中に、派手な錦鯉が何匹も描かれている。


 はっきり言って、初見では魚屋か何かかと見間違うくらいシンボリックであった。

 雛数は生唾を飲み込んだあと、緊張した面持ちで店内へと踏み込んでいった。


「スーパーにしきごいは8のつく日が大感謝デーなんですってぇ~! お買い物! すればするほど! どんどこどんどこお得になるんですよ! 奥さん‼」


(どんどこどんどこ……?)


 風変わりな店内放送に、さすがの雛数も少し首を傾げる。


 スーパー☆にしきごい! は、そのおかしみ溢れる店名と店内放送さえ除けばごく普通のスーパーマーケットだった。


(歌野さんは……っと、いたいた)


 雛数は店内の商品棚にその身を隠しつつ、かすみの姿を目で追う。

 あからさまに身体を隠していると不審者にも見えてしまうため、重々気を付けながら。


「……」


 かすみはお菓子コーナーを前にし、チョコレートのお菓子を手に取る。

 それから、やけに周囲を警戒していたようである。


 何をそんなに気にしてるんだ? と雛数は至極不思議に感じていたのだけれど。

 なんと――――


「っ⁉」


 瞬間、雛数は自分の目を疑った。

 なぜなら、かすみがそのチョコレートを自身の鞄に忍ばせたからだ。


(何してるんだ⁉)


 強めに数回まばたきするも、雛数の見た光景はやっぱり事実だった。

 一組で人気を博すクラスメイト・歌野かすみが、実は万引きを働いていた。

 その、どんな理由であっても犯罪行為にしか見えなかった光景に、雛数は戦慄して。


「……」


(おい、待て)


 雛数の心の声も虚しく、商品を窃盗したかすみは踵を返し。


(待て待て。マジでどこ行く。だから待てってば!)


 彼女はそそくさと、お菓子の棚の前から去っていってしまった。


 その去った足が一直線に出口へ向かおうとしていることから、彼女が急いで店外へ出たいのだと雛数は察する。


 そんな姿に、雛数の心の声は口から飛び出さんばかりで。


(そのまま店出たら万引きが確定すんだろ! やめ……)


「っ……」



 ああ。なんということ。


 残念なことに、歌野かすみは商品を鞄に入れたまま、本当に店の外へと出ていってしまった。


 レジを通していない商品の持ち出しだ。


 小走り。完全な窃盗。

 これはどうにも、言い逃れできない事態となってしまったのだった。



 ◇



 さて、万引きに至る者の言い訳として、もっともよくあげられる理由がある。


 それが職場や学校、家庭環境、友人や恋人関係の些細なもつれから生み出される悪しき何某なにがしかということは、聡明な読者の方ならご存じのはず。


 そう。その言い訳とは、いわゆる『』である。


(歌野さん……。何かストレスがあったってことか?)


 例に漏れず、雛数も彼女の犯罪行為の動機に、そのありきたりだが的中率の高い言い訳『ストレス』を予想していた。


 突発的に思えた奇行に、彼の脳内は「なぜ?」で埋め尽くされる。

 その答えを知るには、やはり彼女から聞き出す他ない。


(追う……か)


「スーパーにしきごいは8のつく日が大感謝デーなんですってぇ~――――。


 スーパー☆にしきごいは本日も元気に営業中。

 妙な店内放送とピカピカに光り続ける看板を背に、雛数も店をあとにする。

 無論、万引き専門学生・歌野かすみを追うためだ。


(悪夢だろ……。マジなんだよな、これ? あの歌野さんが……。信じられないけど)


 数メートル先を歩くクラスメイトの美少女が。

 その片手にさげている鞄の中が。

 犯罪臭むんむんの邪悪な黒色で塗りつぶされているように見える。

 コツ、コツ。

 一丁前に足音なんて立てている。


 行き交う人の誰一人として疑っちゃいない。

 当たり前だけれど、誰も彼女が物を盗んでいるだなんて思わないわけで。


(……。これ、今すぐ駆け寄って注意したほうがいいのか? それとも、見なかったことにして黙っておくべきなのか?)


 雛数のもやもやは膨らんでいく。

 考えても考えても答えは出てこない。


 いや、出てはいたのだろう。

 ただそれを実行に移すことに、なんとなく恐れがあったのかもしれない。


(今の、全部見てたよって。そう言ったらどんな顔すんのかな……)


 歌野かすみの、誰にも見られたくない秘密を見てしまった。

 そのことを彼女に伝えるのは、一歩間違えると脅しにも繋がる展開だろう。

 必要以上に怯えさせたいわけじゃない。


 それでも、かすみの行ないが大きな誤りであることはわかっていたし、喫茶店『がまのふた』の『ガマ店長』なら、店側の代弁者として烈火のごとく彼女を叱りつけるに違いないと感じていた。


(店長だったら、叱らずそのまま警察呼ぶ可能性すらあるな……)


 雛数はあの喫茶店の経営や売り上げのことはよく知らない。が、それでも以前「万引きされたら、店側がその利益を取り戻すのに三か月はかかる」という、真偽のわからない情報を話半分で聞かされていたこともあって。


「んんっ……」


 雛数はその場で一つ咳払いをすると、歩調を速めて彼女の背中に詰め寄ったのだった。

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午前四時に、電話するよ。 つきのはい @satoshi10261

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