12
◇
電話にて汽水先生代理から教訓を口授された雛数は、どうにかして歌野かすみにアプローチを試みる。
そのアプローチチャンスとして有効なのが、実習の授業だった。
普段の教室で行なわれる座学とは、少々毛色の異なる実習授業。
建築系専門学校の実習といえば、主に白模型と呼ばれる真っ白なボード材による模型を作ったり、パソコン室で
実習室での授業はフリーダムそのもの。
普段の決められた席から解放されたり、並び順がスクランブルされたりもする。
その日も、午前中の三限目はパソコン室でCADを学ぶ授業だった。
「えー、では本日は、こちらに印刷してあるものと同じ図面をCADで製作してもらう。操作手順については――――」
担当教諭の山本先生(男)は、プロジェクターで投影されているパソコンの画面を操作し、生徒たちの前でささっとお手本を見せていく。複製やトリム(※カットすること)、上下左右の反転など。
やり方を声に出して説明しつつ、雛数達も後を追うように手を動かしていく。
カチカチ。カチカチ。
カチカチ、ッターン。
そうして二十分ほど経過すると・
「よっしゃ完成完成。もうこんなでいいだろ。……さてと、暇だしソシャゲでもやるかw」
「いいねぇ~。やろやろ♪ 昨日からモンス〇がコラボやっててさ~」
手早く工程を終えた男子二名が、山本先生の目を盗んでスマホをいじり始める。
実習授業は、大抵このような生徒が出てきたりするものである。
生徒二十数名に対し、教員一名。
もう義務教育でもないのだし、形ばかりの注意もそこそこに、教師は当たり前のように見て見ぬふりをするのである。
「そうそう。じゃあ次は、こっちのヨットみたいなマークをクリックして――」
山本先生は、クラスの中でも特にCADの操作に難のある生徒を指導している。
「……」
指示通りの手順を済ませていた雛数も、正直なところ暇を持て余していた。
ただ、彼の頭には依然として『歌野かすみになんとかして話しかける問題』が悶々としてあって。
「……」
チラッと、ほんのチラッとだけ、対岸の列にいる彼女の方へ目を向ける。
「ミカぁ、だいじょぶ?」
「うーん……左右反転? がよくわからないんだけど……」
眉根をひそめるミカ。その右隣で一緒に彼女のモニターをのぞきこむあみ。
「あれ? ミカ、それ先週もやってたじゃん。ほら、ここ。このヨットみたいなマークの……」
二人の疑問を即座に察知したのか、左隣から見目麗しいかすみが口を挟む。
その華奢でほっそりとした腕を伸ばし、モニターに指を差して。
「ああー! ここか! ありがとかすみ♪ 超助かった!」
「まぁ習ったの一週間前だし、忘れちゃうのも無理ないけどね。ふふっ♪」
瞬間、実習室の空気が変わった気がした。
やはり、歌野かすみは真の美少女である。
彼女が一つそこで微笑むだけで、実習室にいた男子の大半は聞き耳を立てることに思考を割いたようだった。
カチカチと無限に鳴っていたはずのマウスクリック音も、示し合わせたかのように静止していた。
「……」
もちろん、雛数もその微笑みに息を呑んだ男子生徒のうちの一人だった。
(……うん、学校にいる間は話しかけられないな。……せめて昼休みに……いや、放課後の一人になるタイミングを狙って……)
事情を知らない者からすれば、雛数はまさしくストーカーのような思考回路だったかもしれない。
けれどそれも仕方のないこと。
日中かすみが一人きりになるタイミングのない女子だということは、すでにこの時、嫌というほど想像できていたのだから。
◇
その日の午後五時半頃。
無事に授業を終えると、学校の外はまだらな夕陽色に染まりきっていた。
大きな校舎から生徒たちが点々と帰っていく中、かすみ、ミカ、あみの女子三名は、いつも通りに下校。
そんな彼女らの後方数メートルの辺りに、雛数はいた。
(これ、このままついていって大丈夫……じゃないよな? どう見たってストーキングだ。話しかけるためとは言え……)
雛数なりに手段を考えてはみたものの、結局はこの方法が一番であることに行き着いてしまっていた。
絶対に話しかけられる確実性。
周りから変な噂も立てられない安全性。
周囲の目を気にしなくてもいい点などなど。
(でも、話しかけるにしても、汽水さんの言う『悩み』とか『不満』てなんなんだろうな。……歌野さんなんて、俺からすれば悩みの一つすらなさそうに見える。教室でもいつも楽しそうに過ごしてるし、勉強に関しても特に至らなさがあるといった話は聞かない。むしろ、今日沢野さんにCADをレクチャーしてたくらいだし)
眠理の話していた教訓が正しければ、歌野かすみにも何かしら日々の生活に対する不満や悩みはあるはずである。
それがはた目に観測できない以上、いざ話しかけるチャンスが来たとて。
来たとて、である。どうしようもない。
雛数はその問題点について、延々危惧していたのだった。
◇
彼がかすみ達三名を尾行し始めて、十数分が経った頃。
「じゃ、また明日ね~! 二人とも!」
「うん。ばいばーい、あみぃ」
「またね~」
三人のうち、沢野ミカが一人だけ輪から外れる。
どうやら帰り道の方向的に、彼女が一抜けのようである。
残ったかすみとあみの二人は小さく手を振り終えると、そのまま駅の方へと歩いていく。
無論、雛数も彼女達を引き続き尾行し始めたのだが――――
「そういえばさ、かすみ~」
「なに?」
「どうして日曜日、途中で帰っちゃったのー?」
案部あみは相変わらずの口調で問う。
どうやら日曜日一緒に遊んでいた時、かすみが途中で帰ってしまったらしい。
ただ、その質問にかすみは一瞬だけ閉口して、
「……。それはほら、メッセでも言ったでしょ? お母さんから晩ご飯のお遣い、頼まれてたって」
「それさー……。いや、いいんだけどね別に~」
「……」
二人の間に微妙な沈黙が訪れる。
かすみには、何か隠し事があったのかもしれない。
その内容はあみにもわからないことだったし、当然、後方にいた雛数にもわかりはしないことだった。
誰にだって、人には言えない事の一つや二つあるものだ。
まだまだ多感な現役専門学生とくれば尚のことで、あみもそれを理解しているからか、かすみからそれ以上話を引き出そうとはしなかった。
「今日、私用事があるから。じゃあね、あみ!」
「うん~。ばいばーい、かすみ~!」
かすみは、あみにいつもと変わらない様子で手を振った。
あみも、それに呼応する形で別れを告げる。
二人の女の子が、雛数の前で綺麗に二手に分かれていった。
(……歌野さんと案部さんって、完全に腹を割って話せる間柄でもないのか?)
おそらく、今のわずかな数分の間、あみはかすみに疑問を抱いていたことだろう。
それくらいは、雛数の目から見ても明らかだった。
(やっぱり汽水さんの言ってたこと、本当なのかもしれないな)
誰にだって、自分の日常生活に大なり小なり不満や悩みを抱えている。
それはあの美少女、歌野かすみにも言えること……
雛数は肩にかけていた鞄をもう一度担ぎ直し、かすみの後を追い続けていった。
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