11

 その後、雛数は眠理に少しばかりアドバイスをもらった。


 そうして迎えた月曜日。

 天候は晴れ時々曇りである。


 地方にある三條市の、工科専門学校の建築士学科。一年一組の教室にて。



 始業前のかったるい空気を、朝から華やかにいろどるは三人の女子グループだった。


「それはウソ! アイツ絶対かすみのこと狙ってたってw」


「えー、それは無いと思うけどなぁー」


「謙遜しちゃって、もー。そんなこと言ってちゃっかり連絡先訊かれたんでしょ? もう確定的に明らかじゃん。キャハハハ!」


 無論、その和気藹々とした会話劇の模様は、例の歌野さんグループのものである。

 どうやら日曜日に遊びに出かけたらしく、その話題で盛り上がっていた。


「……」


 雛数は、教室内廊下側の最後尾に位置する自分の席から、目線だけをチラッとそちらへ向けていた。



 可憐できゃわわなクラスメイト、歌野うたのかすみ。

 肩まで流した綺麗な黒髪はサラサラとしていて、教室内でも特に目を引く。


 それに彼女のいる半径五メートル圏内においては、常にフローラルな香りが漂っていてたまらない。

 幻だろうけれど、時折桜の花びらがひゅるひゅると舞っているような気さえする。


「ミカだってすごく可愛いし、この前なんてコクられたんでしょ? もう付き合ってたりするの~?」


「なぁっ⁉ や、やめてよそんな! 誰があんな広瀬なんかと……」


「あ、やっぱり告白してきたの、広瀬君だったんだ~。ふふっ」


「~~っ!」


 ミカと呼ばれていたのは、かすみとよく一緒に居る女子のうちの一人、沢野さわのミカだ。


 うなじの辺りまでバッサリと切られた黒髪ショートヘア。

 とてもさっぱりとした雰囲気の、言ってしまえば足の速そうな、ザ・スポーツ女子といったタイプの子である。


「ミカ、広瀬君なら超有料物件じゃなーい?」


 かすみとミカの会話に横から入ってきたのは、三人目の女子、案部あんべあみだった。


「んー?」


「だってー顔もかっこいいし、お話もおもしろいし、勉強だってかなりできる男子なんでしょー? そういう噂? 聞いたことある~」


「まぁ~……そうなんだけどさ、私的にはパスかなぁって……えっへへw」


「ふぅーん……そうなの?」


 案部あんべあみ。


 肩口でフワッと内巻きにされたブラウンカラーのミディアムボブは柔らかそうで、それだけでも女性特有の包容力は百点満点である。しかし、それは彼女の魅力のうちの一つに過ぎず……


「かすみもだけど、あみも中々ズルいよねぇ~」とミカが続ける。


「えー? なにがぁ?」


「だってさー……」


 そう言ってミカはあみの背後に素早く移動する。

 そのまま両の手で、あみの豊満すぎるお山を持ち上げて。


「ほれっ! このお胸! 廊下ですれ違う男子達の目を散々釘付けにしておいて、なおも主張し続けるこのわがままボディ! だな!」


「きゃあっ‼ ちょ、ミ、ミカぁ……っ。だめだってぇー……っ!」


 たっぽん、たっぽん。

 オシャレな薄茶色のブラウスが、揺れに揺れてあわや大惨事である。


「はぁ~、いいよね。このたぷたぷした感じ。勉強で疲れた頭もどんどん浄化されていきますなぁ~」


 頬杖をつくかすみの脇で、ミカおじさんとあみの濃厚な絡みが発生する。


「あはははっ、ちょっとミカー? まだ授業始まってないし、それで疲れたも何もないでしょ?」


「えー? いいのいいの♪ 今のうちに補充しとかないとねっ☆ こーんな国宝級の巨大ましゅまろさんをお持ちなのだから。これは楽しめるうちに楽しまないと……ぐへへっ♡」


 そう言いつつ、ミカはあみにセクシャルなああだこうだを繰り返していく。


「……」


 朝からとんでもない光景を見せられ、男子達は直視できなかった。


 各々席に座ったまま、すべからくミカのポジションに自己投影していたことだろう。


 ああ、なんということ。

 

 それは当然、隅におわします辻雛数も以下同文である。なんならちょっとくらい局所的に腫れていたかもしれないが果たして。


(……つーか、あの歌野さん達のグループにどうやって俺が切り込めばいいんだよ? 無理でしょこれ)


 雛数はミカとあみの交わる姿を視界の端に収めつつ、その横で軽く笑うかすみを眺めていた。


(あの三人、大体下校時まであのくらいのテンションだからな。……なんていうか、もう俺とは色々と違う生物なんじゃないかって気がする)


 雛数の言う通り、彼女らは女子高生のようなテンションにプラスして、普段から目のやり場に困るようなスキンシップを公然と(※主にミカとあみの二人だが)行なうきらいがあったりする。


 ただすごいのは、授業という授業においてもこの三人は積極的に挙手をし、発言し、教師陣からもすこぶる褒められているという点である。


 授業と休憩時間の切り替えが、おそろしいほどに出来ているのだ。


 三人が、ただのエロエロ煩悩ガールズに成り下がっていない点については、雛数も拍手を送りたいと思っていたほどで。


(はぁ……。それにしたって話しかけるハードル高いだろ。汽水先生代理はなんて言ってたっけ……?)


 雛数は土曜日の朝に交わした会話内容を、なんとか思い出そうとしていた。

 眠理から聞いた『人生好転に向けた教訓』という名のアドバイスのことである。



 ◇


 先日の土曜。

 あの会話の続きは以下のようなものだった。


『コホコホンッ。……えっと、それでは人生好転のきっかけとなる超有料級な教訓を、今から汽水先生代理が伝えます』


「……」


 ……伝えます。


(やっぱりこの人、何歳だ?)


 雛数はそのちゃめっ気成分に年齢を今一度疑いたくなる。


 いやこれは単に、彼女の性格に多少のちゃめっ気成分があったということなのだろう。

 眠理はそんな彼の疑念にお構いなくサクサクと教訓を説きはじめていく。


『これから要点を三つ話すから。ちゃんと聞いててね?』


「……三つ?」


『そう。一つ目は「一見悩みのなさそうな人にも、必ず悩みや不満はある」ということ』


「それはよく聞くな。どんなに満たされてそうな人でも、実は不満があるっていう……アレだろ?」


『そうそう。実はとても太りやすい体質で、食生活は人の何倍も気をつけてる~とか。怒るべきところでついニコニコ笑顔を振りまいちゃう~とか。悩み自体は軽いものから重いものまで様々だけど、大抵こんな感じね』


 雛数は彼女のあげてくれたわかりやすい具体例に、思わず首肯する。


『で、二つ目だけど「したわれている人ほど、誰かを簡単には慕わない」ということ』


「……え、そうなのか?」


『そうだよ? 知らなかった?』


「知らなかった。というか俺自身、慕われた経験が……」


『……。ごめんなさい』


「いやいいけど」


 ……。

 形容しがたい沈黙がややあって。


『コホンッ。それじゃあ最後ね。三つ目は「自分のために怒ってくれる人を、人は無意識に慕い始めてしまう」ということ』


「……っ!」


『さあ辻君。この三つのことから、どんなことが言えると思いますか?』


 急にクイズ形式の授業に切り替わった。

 ベッドで横になりながら受ける、クイズ形式の授業とは。

 なんとも斬新な趣向が凝らされている気がしなくもないけれど。


「ん……? ていうか慕われている人……?」


 眠理との会話中、雛数はその脳内でとあるクラスメイトの姿を思い浮かべていた。


(……歌野さん)


 それは何を隠そう、学年一美少女とも謳われる歌野さんのことである。

 雛数が考え込んでいると、電話口の眠理はしびれを切らしたように答えを口にする。


『もう正解を言うけど、これって要するに、たくさんの人から慕われている人ほど、自分のために怒ってくれる人が少ないってことなんだよ』


「あ! そうだな。…………そうかもしれない。輪の中心にいる人とか、上に立つ人って、誰かから怒られる機会も少なさそうだし」


『そうそう。……。辻君、思い当たる人……いたの?』


「……」


 通話上ではアルバイトの話しかしてこなかった雛数だけれど、「慕われている人」に該当しそうな人物は、完全にクラスメイトの歌野さんしかいないと感じていた。


「まぁ、一応いる。思い当たる人」


『そっか。それなら、まずはその人にどうにかしてアプローチしてみるとか?』


「……」


 瞬間、雛数は物言わぬ屍のように固まった。


 以前、雛数のおかしな声にその顔を歪ませたりしていたけれど、歌野かすみは基本美少女である。


 一年一組の看板娘。

 入学から二か月たった今日こんにちの六月時点で、すでに周りからの羨望や人望も厚いときていて。


「アプローチとか……そいつは難易度がエベレスト級ですね」


『諦めるの? それなら辻君の人生は何も変わらないと思うよ?』


「……」


 ちょっとふざけつつ、半分は真面目に無理だと主張したかったのだけれど。

 どうやら眠理にはその複雑な男心が伝わらなかったらしい。


「いや……今、思い当たったのがクラスメイトの女子だったからな……」


 雛数は観念して、正直に事情を話す。


「つい最近もドン引きさせたばかりだし、はっきり言って望みも何もない感じ」


『クラスメイトって……辻君、高校生とか大学生?』


「あっ」


 雛数は口を滑らせていた。

 そういえば自分が学生であることをまだ打ち明けていなかったことに気が付いて。


「……ま、まぁな。もう隠しても仕方ない気がするから言うけど、俺は専門学校に通ってる。で、思い浮かんできたのはその学校のクラスメ『それって好都合じゃない?』


 眠理が雛数の声に被せてくる。


「え? ……好都合って?」


『こういうアプローチは、多少嫌われてるくらいがちょうど良いんだよ。それじゃあ、一人目のターゲットはそのクラスメイトさんってことにして。彼女が一人きりになるタイミングで、話しかけてみて?』


「……」


『アレ、通話切れた?』


「いや、切れてないけど…………切っていい?」


『…………』


 数秒、眠理の沈黙が流れる。


『じゃあその子には、一人になったタイミングでうまく話しかけてね? それで、会話が始まった時のことだけど――――



 こうして、雛数の『クラスメイト褒めるぞ大作戦 feat.汽水先生代理』は決行されることになったのだった。

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