05
◇
翌週の、六月下旬土曜日。
午前三時五十八分。
雛数は前もってセットしておいたタイマーによって、すでに起きていた。
ダヴィの言う通り、こんな妙ちくりんな時間帯に起きるなんて。
生活リズムをこのイタ電のために狂わされている気がしなくもない。
「……そろそろ」
そろそろ例の時刻、午前四時だ。
世界は夜明けの青に溺れていて、まだ雛数の頭もどこかぼんやりしていて。
――♪~♪~。
「っ!」
噂の着信通知。
080―
雛数は画面に表示されていた『通話開始』のバーを、ゆっくりとスライドさせた。
こころなしか、先週の時ほどの強い緊張感はない。
いや、ちょっとは緊張しているはずで。
今、上唇を巻き込んで口内でチュッと舐めたのは、きっと彼の緊張ゆえである。
「……も、もしもし」
やや震える声で、雛数は話しかけてみた。
『……』
しかし、やはりというか、予定調和というか、お相手氏は無言だった。
以前同様、薄っすらとノイズ音だけが聞こえてくる。
「…………」
(長谷川先輩の言うように、俺も無言になってみるか? いや、でもそれで状況がどう変わるんだ? 無言は無意味だよな……?)
どうするべきかわからず、雛数は黙り込んでしまっていた。
(てか、マジでなんで俺の携帯番号知ってんだろう……。それ、上手く聞き出せないかな……。長谷川先輩の番号を知ってた経緯も知りたいし。とりあえず砕けた口調で世間話でも始めてみるか? しゃべりやすい雰囲気を作ればしゃべってくれる? でもそれなら達者な話題力がないと……)
このように、あれこれ考えては脳内でそれらを打ち消すようなことを繰り返していた。
しかし結果的には、これが無言の間を生み出すことに繋がり、この間に耐えられなくなったのかなんなのか、お相手のほうから――
『……ぁ』
「……っ」
本当にわずかな音声が、スマホのスピーカーから聞こえてきたのだった。
さらに、その数秒後にもなると。
『……な、まえを……言ってください』
「……っ!」
雛数は驚きのあまり声が出なかった。
電話の向こうから発せられた声が、予想よりもずっと若そうな、女の子の声だったからである。
『名前……。その……。名前を……』
「……」
――――ちょっとこのまま、放っておいてみる?
悪魔みたいな囁きが雛数の脳裏に浮かぶ。
確かにここで放っておけば、想像もしていなかった新情報が飛び出すかもしれない。
年齢。性別。名前。住所。
君は何者で、一体なぜこのような奇行を行なっているのか。
不明点が一斉に解消される未来も……いや、それはさすがに期待しすぎにしても、何かしら手がかりのようなものはゲットできるかもしれない。
ただ一方で、下手をすれば電話を切られてしまう可能性もあって。
「……」
リスクリターンを振り分ける無言の匙加減は、非常にデリケートなものだ。と雛数はこの場になって改めて感じていた。
だから、ここは慎重に受け答えすべきだなと思って。
「……名前ね」と雛数は静かに応えてあげた。
『……!』
向こうで、少女が息を呑む、そのかすかな音が聞こえた気がした。
「俺は辻雛数ですが……」
そちらは? と続けても良いのだろうけれど、もし詮索を拒む意味で通話を切られたら、それこそここまでの葛藤や苦労は水の泡だ。
だから雛数はあえて、その先のセリフを続けなかった。
『……ねむり』
「ね……え?」
『
ああ、これはこれは。
なんということ。
フルネームにフルネームで返すだけかと思いきや、詳しい漢字表記まで教えてくれるサービス付きとは。
「それは、良い名前だな」
雛数は眠理の名前を褒めてみた。
汽車ぽっぽ、という独特な表現にはノータッチでいこうと思った。
『……』
特に反応に期待して褒めたわけじゃないけれど、言われた側の眠理は内心嬉しかったようで。
『……じゃあ、辻君も良い名前だね』
「……」
……じゃあってなんだ?
などと雛数は一つ思い、この妙なやり取りに笑ってしまいそうになった。
(午前四時に、俺はなんて会話をしてるんだろう)
続けてそう思いこそしたものの、雛数はその思いを胸の内にとどめておくことにした。
眠理の醸し出す空気感が、今までずっと薄いノイズで埋め尽くされていたスピーカーから伝わってきている。
『……辻君は、初めて出てくれた人だ』
「……」
落ち着いたトーンで眠理はそんなセリフを言う。
身元不明の少女。
汽水眠理という名前だって、本当は違う名前で、偽名なのかもしれない。
掛けてきている携帯番号だって、本当は誰か違う人の、借り物の番号だってパターンもある。
わからない点が多い中で、雛数と眠理は会話を続けていく。
「初めてが俺。ね」
『…………そうだよ。みんな、電話に出なかったから』
「……まぁ知らない番号だから。みんな……出なくても無理はないんじゃないか?」
当たり障りのないように。
それでも、一般常識や倫理観からは外れてしまわないように。
雛数は、彼女との距離感を推し量りながら返していく。
『でも、辻君は出た』
「……」
『知らない番号でも、辻君は出てくれた』
「まぁ……そのとおりだ」
眠理は、知らない番号からの着信に出る人物が、まるでこの世界に誰一人としていないかのような、そんな
――――自分以外にも、たぶん出る奴はいるよ。
と、反論する言葉が、雛数のその喉元まで出かかっていたのだけれど、ここで言ってしまうのはなんだか彼女の持ち合わせている世界観を壊してしまうような気がして。
「出る奴も珍しいよな」
雛数はそこまで言う気になれなかったのだった。
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