04


 さて、土曜日の『がまのふた』は思いの他、客入りがいいことを二人は知っていた。


 今日は休日。

 例によってアルバイトも三人体制で、お昼頃にもう一人のアルバイター・立花が来る予定だ。


 立花は早川に代わって出勤することとなっていた。


 早川がガマに「すいません、次の出勤お休みにさせてもらいます」と連絡していたのは、今日この日の欠勤を意味していた。


 ガマはこのセリフをダヴィのものだと勘違いし、昨日ダヴィが休むものだと思っていたわけだ。


「おはようございまーす」

「はざまーっす」(※ダヴィ)


「お前ら遅いよ⁉ 一体着替えに何分かかってるんだ!」


 店の奥から現れた雛数とダヴィに、ガマは口を尖らせる。


 ああ、ガマ店長のご立腹も仕方のないことだ。


 出勤してまず厨房に顔を出したかと思えば、二人はそのまま十五分ほど休憩室にこもり、着替えに時間をかけてしまっていたのだから。


 現在の時刻は午前九時五分。

 雛数とダヴィは、微妙に遅刻していた。


「てんちょー、そうカッカしないでくださいよw ほんの五分じゃないっすか~」


 ダヴィは軽口でそう言って、タイムカードを機械に通す。

 まったく気にしていない。昨日の晩ごはんくらい気にしていない様相である。

 ガッチャガッチャと音が鳴り、カードに出勤時間が印字される。


「……メンタル強いっすね、先輩」


 ダヴィに続くようにして、雛数もタイムカードを機械に通す。


 その後の二人は、いつものルーティーンをこなす。

 厨房の所定の位置で入念に手を洗い、ホールの清掃から始めていく。


 今更ながら、この店のアンティークなテーブルや椅子は、あのぶくぶくに太ったガマ店長からは想像もできないほどレトロでハイセンスなものだ。


『がまのふた』などという店名もチャーミングな響きがあって良い。


 初見のお客であれば、外観のしつらえやその店名に引き寄せられることも往々にしてあるのだろう。


 が、しかし、いざ入店してみて、まさか本当に店の奥からウシガエルみたいなマスターが出てくるとは思ってもみないはずだ。


 さて、喫茶店『がまのふた』は、午前十時開店である。


 九時に出勤する朝番のアルバイトは、開店準備に清掃から入るのがスタンダード。


 何か特殊な業務が割り込んでこなければ、おおむね外の掃き掃除や店内のホール・厨房の清掃から行なう。


 明確なマニュアルがあるわけではなく、ガマ店長がアルバイトの初日にそれっぽく教えていただけの業務を、二人は粛々と行なうのみだったのだが。



「辻君さ、3番テーブルの窓、拭いておいてくれないか?」


「え?」


 ガマ店長が3番テーブルの方を指さす。

 確かにあのいい感じに煤けた窓ガラスに、普段より濃い曇りが掛かっているように見える。


「たぶん外側の汚れだ、アレは」


「……うっす」


 雛数は指示に従い、しぼりたての濡れ雑巾を手に店外へと出る。

 外は朝日が燦燦と輝いており、軒先の観葉植物たちをこれでもかと照らしているところだった。


 雛数は指示のあった3番テーブル脇の窓まで向かい、外側からガラスを拭き始める。



「……」


 言われた通り、彼が淡々とその窓を拭き続けていると。



「へいへ~~~い!」



 ダヴィがガラス越しに現れる。

 頭をシャドウボクシングさながら、右へ左へと振っており。


「……何やってんすか、先輩」


「店外孤独ってやつだな、辻君よw」


「……うざ」


 どうやらダヴィは、雛数が店外で一人きりのため、天涯孤独と店外孤独とを掛け合わせた非常に高度なギャグをかましたかったようだが。果たしてこれは。


「……」


 ダヴィはたまに、こういう日本語の妙というか、同音異義語的ないわゆるダジャレをふっかけてくることがある。


 そのたびに雛数は「ああこの先輩、モテそうな見た目のくせに、中身が残念すぎて恋愛とは無縁なのだろうな」と、そこに一つ納得の行く理由を見出してしまうのだった。


「まぁ、ガマの八つ当たりだろうなこれ」


「え?」


 奇行に飽きたのか、ダヴィが窓ガラスをわずかに開けたことで、それまでこもっていた彼の声がずっと聞き取りやすくなる。


「先週パチンコで大損したって言ってたからな。その前はフーゾクかセフレから性病もらったとか言ってたし」


「それくらいで八つ当たりとか。……ダメな大人の見本市みたいな人ですね」


「まー、うちの専門(※専門学校)にも似たような奴いるけどな」


「終わりですね」


「え?」


「ガラス、拭き終わりました」


「あ、ああ。そっちかw」


 ダヴィは、雛数が急に自分の同級生をおとしめ始めたのかと思ったのだけれど。

 雛数がそこまで人を非難するタイプじゃなかったことに、少し安堵したのだった。



 ◇



 ピークを迎えた昼の十二時。


 ホールには昼番の立花の姿もあり、ガマ店長+アルバイト三名で、なんとか山場を乗り切ることになった。


 ただそれも、十二時半を過ぎる頃には落ち着きを見せ始め、十三時を回る頃には、雛数とダヴィの二人が先にお昼休憩を取っても問題なさそうな、閑散たるものとなっていた。


「お昼、お先~っす」

「お先でーす」


 十三時。

 八帖ほどの休憩室に入るなり、雛数はダヴィから話を振られる。


「なぁ辻君」


「なんすか先輩」


「今朝言ってたイタズラ電話、掛けてきたのはどんな奴だった?」


「……」


 雛数はチラッとダヴィの顔を見る。

 ああ、意外と興味はあるのか。なんて思いも雛数には一瞬よぎって。


「いや、無言だったんで。どんな奴も何も、情報は一切ありませんでした」


「ふぅ~ん。そうか。……まぁ、いいんだけどな」


 ダヴィはそこまで気にしてない風を装いながら、ロッカーに片づけていた自分の鞄を取り出す。


 それをドサッとテーブルの上に置き、中からビニール袋を引っ張り出す。

 あらかじめ、お昼ご飯はコンビニで買ってきてあったのだろう。

 ビニール袋から焼きそばパンとパックのサラダを取り出し。


「それ。掛かってきたのって、やっぱ俺が電源切ってたからだよな」


「十中八九そうだと思います。電源切ってれば掛けても無駄ですから」


「しっかし、どうしてそれで辻君に電話が行くんだろうな。……まぁそれ以前に、俺達の携帯番号が知られてることも腑に落ちないけど」


「……」


 ダヴィも、雛数も、それが最も気になる点だった。


 個人の携帯電話。その番号が、どこかで漏洩しているということだろうか。


 それとも、この今まで接点のなかった二人の間に、共通の知り合いがいたということだろうか。


 共通の知り合いというと、この『がまのふた』のガマ店長、同じアルバイトの立花、早川くらいなものだけれど。


「とにかくそのイタズラ電話の首謀者、何某なにがしさんと話せるんであれば、色々疑問は解決しそうだけどなー」


「話せるんであれば……いいですけどね。最初から最後までずーっと無言だったんで。取りつく島もないっていうか」


「来週また掛けてきたら、今度は辻君もしばらく無言で対応してみれば? 無言VS無言。しゃべったら負けのルール。ファイッ」


「それで解決になるんですか? 沈黙が延々続いた挙句、俺が耐えられなくなる未来しか見えませんけど……」


「負けんのかよ。あははッ」


 ダヴィは思わず笑った。


 雛数の不愛想な性格を知っているからか、無言に耐えられなくなる彼の姿を想像すると思いのほか笑いがこみ上げてくるのかもしれない。


 こうして、二人でイタ電野郎への対策を考えてみたところで、雛数はそのどれも有効な手にはなりえないだろうな。と、どこか諦めにも似た気持ちでいたのだった。

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