第十九話

 赤龍は、優雅な生き物として知られる。

 戦い方にも拘るのだと、いつだったか本で読んだことがあった。

 しかしある一定以上の攻撃を受けると……もとい自身の死を予感すると、自暴自棄のような状態になり、本能に任せた戦い方をするようになるのだ。



 二号とライラは、何故か炎が立ち上る地面にひれ伏していた。


「なんだ、今何が起こった……?」

「あっちち……なんだ主、見てなかったのか。赤龍がこの辺り一面に炎を撒き散らしやがったんだよ……」


 その言葉を聞いて、俺は二号とライラにそれぞれ視線を送った。

 ライラは瞬時に防御魔法で防ぐことに成功したようだが、二号はそうではなかった。

 身体にはライラが施したらしい防御魔法が張り巡らされているのだが、それも完全なものではなかったため、両腕が丸焦げになっていた。

 赤龍の弱点である水の花も、全て焦げてしまっていた。


「俺たちは岩場に隠れていたから大丈夫だったが、赤龍の一番近くにいた二号は……」


 一号は悲痛な面持ちで言った。

 その時、もう戦える状態ではない二号は、よろけながらも何とか立ち上がった。

 震える両手を正面に構え、戦闘態勢に入っていた。


「おい二号、もうやめろ! その腕じゃ……」

「……何回も言うけど、このままじゃ皆死ぬ」

「死ぬって……でも、これ以上はもう……」

「……大丈夫」

「……は?」


 何が大丈夫なんだろうか。

 その腕で、その傷で、何故大丈夫だという言葉を口にできるのだろうか。


 二号の背中を見つめながら、俺は先ほどの彼女との会話を思い出していた。


「何でもいい……何か、倒せる算段はないのか?」

「……ないわけじゃない。でも、今は使いたくない」


 二号は言った。使、と。


 あの言葉の意味は一体___。


 考え込んでいると、二号は構えを崩さないまま呟いた。


「……今なら、致命傷になる」

「は?」


 俺の疑問の声には反応を見せず、二号はライラに話しかけた。


「……ライラ、時間を稼いで。二十秒……いや、十秒でいい」

「十秒……よく分からんが、お前さんはそれで勝てると考えているのかの?」


 その問いに、二号はコクリと頷いた。


「それが聞ければ十分じゃわい。十秒……いや、二十秒程度なら、ワシにもやりようがあるからの。……水雫ウォータードロップ!」


 ライラは赤龍に手をかざし、水属性の魔法を展開した。

 赤龍が容易に近づいて来られないよう、大きめの水滴を赤龍と俺たちの間に配置させたのだ。

 その間、ライラはこの場にいる全員に防御魔法をほどこした。

 攻撃魔法と防御魔法の同時使用は一般的に高度な魔法技術であるとされているのだが、ライラはいとも簡単に使ってみせた。


 俺は二号を見た。


 その瞬間から、俺の視線は二号の一挙一動に釘付けになった。

 接着剤で固められたかのように、目が離せなかった。


 二号は地面に片手をつくと、目をつむって深呼吸を始めた。


 何をしているのか、二号のこの行動が何を意味しているのか……この時の俺には全く分からなかった。

 しかし、どうしてだろう。

 段々と緊張感が高まっていくように思えた。

 

「……え」


 額が濡れているのを感じて触れてみると、水滴が付いていた。

 汗だ……と隣で一号が呟いた。


 恐怖心か何かで、気付かぬうちに汗が滲んでいたのだ。


 二号は地面から手を離すと、右手を後方に引き寄せた。

 そして……消えた。

 赤龍は驚いたようにキョロキョロと辺りを見渡すが、なかなかその姿を見つけられない。

 しかし、岩場に隠れていた俺からははっきりと見えていた。

 いつの間にか、二号は赤龍の懐まで潜り込んでいたのだ。


「……魔力開放マジック・リリース


 二号がそう唱えたその刹那せつな、紫色の光がその場を包みこんだ。




 穏やかな鳥の囀りが聞こえ、空は群青色に染まっていた。

 先ほどまでいた洞窟の中ではない。俺は洞窟の外にたたずんでいた。

 地面には、何か巨大な魔物が一直線上に這ったかのようにくぼんでいた。


 一瞬、俺は状況が理解できなかった。

 ここがどこなのかも、この不気味な跡が何なのかも。

 数秒してようやく事態が飲み込め始め、今のこの状況が二号によるものであることを理解した。


「洞窟ごと、吹き飛ばしたってのか……?」


 規格外すぎるだろ、と俺は唖然とした。


 そこには既に、赤龍の姿はなかった。

 先ほどまでの圧倒的な強者の姿は、辺りをどれだけ見渡しても見つからない。


 ヒラヒラと頭の上に何かが落ちてきた。

 赤龍が身にまとっていた、真っ赤な皮膚だった。

 

「そうだ、あいつらは……」


 俺は辺りを見渡し、他の三人の姿を探した。

 二号の攻撃によって吹き飛ばされでもしていない限り、近くにいるはずなのだが。


「……マスター、二号はここ」

「……ッ」


 そして、二号はすぐに見つかった。

 顔だけをこちらに向け、何故か起き上がらないまま地べたに寝そべっていた。

 慌てて駆け寄り、俺は二号を抱き起こした。


「おい二号、大丈夫か? ていうか、何でそんなところに寝転んでるんだよ」

「……立てないから」

「は? なんで?」

「……さっき、体内にある魔力を全部使った。だから、二号は今は動けない」

「魔力って……」


 確か、どこかでそんな話を聞いたことがあった。

 身体にある魔力が尽きれば、動けなくなるのだと。

 だが、獣人は魔力など端から所有していないはずだ。

 魔族や、それこそ魔物でもない限り……。


 俺は勢いよくかぶりを振った。

 今はそんなことを考えている場合ではない。

 俺は二号を背負うと、一号とライラを探しながら問うた。


「さっきのは何だったんだ? 随分と威力が大きかったが……なんて魔法なんだ?」

「……あれは魔法じゃない。身体中の魔力を腕に溜めて、一気に赤龍に向けて放っただけ」

「それであの威力かよ……」


 二号の戦闘能力の高さには毎度驚かされる。

 コイツは本当に騎士にでもなった方がいいんじゃなかろうか。


 そんなことを考えていると、二号が耳元で指示を出してきた。


「……一号の声が聞こえた。そのまま真っすぐ進んで」

「いや、まっすぐって……」


 俺の目の前には、大きな岩が陳列されてあった。

 一号のヤツ、どこまで吹き飛ばされてるんだよ。

 二号を背負いながらも何とか岩の上まで登り終えると、そこから見える地面には確かに一号らしき人物の姿があった。その隣にはライラもいるように見える。


 ……顔が完全に土に埋まっていた。


 一号は最初のうちはジタバタと藻掻もがいていたのだが、やがてその動きは勢いをなくしていく。


「おい、アレやばいんじゃねえか!?」


 急いで岩を駆け下り、二人の脚を持って引き上げてやると、一号は紫色の顔で息継ぎをした。


「……プハッ! ……ヒッヒッフー、ヒッヒッフー……」


 一号は間違った深呼吸を繰り返した後。


「おい主、遅えよ! あと数秒遅かったら死んでたからな!」

「ほんとじゃよ。お前さん、年寄りをイジメて楽しいか? 楽しいのか?」

「いや、別にイジメてたわけじゃねえけど」


 ていうか、それだけ元気ならもう大丈夫だろ。


「ほら、もう帰ろうぜ。時間も遅いしな」

「あ? スライムはいいのか? クエスト達成できないぜ?」

「どのみち、この時間帯じゃあもうスライムはいないだろ」


 空は既に薄暗い。

 これまで活動していたスライムは、疾っくの疾うに睡眠のために地面に潜ってしまっているだろう。


 俺がそう口にしようとした瞬間、突然地面がボコボコと波打った。


「……ッ」


 俺たちの身体はビクリと反応し、全員がその場から瞬時に離れる。

 そうして姿を現したのは……青色のスライムだった。


「……これは、普通のスライム、だよな」

「地面から出てきたんだし、そうなんじゃねえか」


 スライムは通常、地面に潜って睡眠を取る。

 どうやら先ほどの二号の攻撃が原因で、目が覚めてしまったらしい。


「……」


 俺は無言で近くに落ちていた大きめの石を手に取った。



* * *



「……えぇと、何があったんですか?」


 ボロボロになって冒険者ギルドに戻ると、受付嬢……もといレイカは心配そうな表情で聞いてきた。


「その、想像以上にスライムが強くて……」

「え、いや、それでもさすがに……」


 スライムにこれだけの傷をつけられる冒険者など見たことがない。

 レイカの表情からはその心情がありありと読み取れた。


 そりゃそうだ。

 スライムは一般人……いや、生まれて数年の子供ですら素手で倒せてしまうくらいの魔物である。

 これだけボロボロになるわけがなかった。


 しかし、ここで赤龍と遭遇したなどと話しても、信じてはもらえないだろう。

 そもそも赤龍はこの辺りに生息する魔物ではないのだ。

 それに二号が全て消し飛ばしてしまったので、赤龍がいた証拠など当然なかった。


 俺はレイカに肩を震わせながら言った。


「俺、戦闘力20なんで」


 「いや……」レイカは一瞬否定するかのように顔を顰めた。

 しかし、俺の戦闘力を聞いたレイカの顔は急速に納得したものへと変わっていった。


「まあ確かに、20ですもんね」

「くっ……」


 俺は悔しげに呻いた。

 レイカにクエスト達成の印鑑を押して貰うと、銀貨四枚という報酬を貰った。

 その報酬をそのままレイカに手数料として支払った。


 ともかく、これで俺たちも冒険者になったわけだ。



* * *



「何だ、これは……」


 騎士団長のアイリーンは、調査に向かっていたリベラル山脈で、奇妙な跡を発見した。


 何か大きな図体の魔物が一直線上に身体を引きずって進んだような、そんな跡だった。


「見たこともない跡ですね。新種の魔物でしょうか」


 脇にいた騎士は冗談っぽく言うが、実際その線もあるのではとアイリーンは考えていた。

 長年、騎士団長として様々な場所に調査として訪れているが、アイリーンはこのような跡を見たことがなかった。


「それにこれは……赤龍の皮か」


 近くに落ちていた真っ赤な皮を拾い上げ、アイリーンは顎に手を当てた。


 リベラル山脈は東の大陸からやって来る赤龍の休憩場所としても知られる。

 だから、ここに赤龍がいるのは別段珍しいことではない。


 しかし……とアイリーンはその皮膚を持つ手に力を込めた。

 

 赤龍から皮膚が剥がれるなど、意図的でなければあり得ないことだった。

 赤龍は自分の皮膚に誇りを持っており、彼らにとってそれを剥がれることは命を失うことと同義なのだ。


「つまり、何者かと戦った赤龍は、負けて命を落としたと……」


 言っていて、自分でも馬鹿らしいと思った。


 赤龍は決して弱い魔物ではない。

 Aランク相当の魔物なので、冒険者ギルドが提示している魔物の分類では上から二番目のカテゴリーに当てはまる。

 Sランク冒険者でないと倒せないほどの強敵なのだ。

 Aランク冒険者であれば二百人は必要とするだろう。

 つまり、この山脈にはそれと同等の力を持った魔物がいる可能性が高い。


 アイリーン以外の騎士がいくらいたとしても、まったく歯が立たないだろう。

 この騎士団の中でSランク冒険者に相当する実力を持つのはアイリーンだけなのだ。


「……一応、勇者様に報告しておくか。私でも相手をするのは厳しいかもしれない」


 また新しく仕事が増えるのか……とアイリーンは憂鬱に思った。



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 伏見ダイヤモンド

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