第十八話

 ボコボコと身体を疼かせるスライムは、やがて一つの魔物の姿に変化しているように思えた。

 その姿形は誰もが一度はおとぎ話で見たことがあるであろうそれで、この場にいる誰も身動きを取ることが叶わなかった。

 皆が皆、その魔物の変化に釘付けになっていた。


 それを見て、俺は思い出した。


 昔、読んだことがあった新聞の記事。……確か、三年ほど前だったか。

 襲ってきた対象をどこかへ誘い出すスライムは偽物である、と。


「嘘だろ……」


 俺は呆然として呟いた。


 獲物を一度捕まえれば逃さないであろうほど鋭く尖った、銀色の歯牙しが

 ギラギラと輝く金色の目付きは、既に俺たちを捉えていた。

 そして、身体の筋に纏った炎。


「コイツは___」


 赤龍だ、と三人のうちの誰かが言った。


「赤龍? なんだそりゃ?」

「一号殿は知らんのか。ここよりもずっと東の大陸に生息するドラゴンじゃよ。その地域では、神として崇められているって話もあるそうじゃ」

「はあ? それなら、そのドラゴンが何でこんなところにいるんだよ?」

「それは分からん。群れとはぐれでもしたんじゃろうよ」

「……ライラと一号、今はそんな呑気な話をしてる場合じゃない」


 そんな二号の言葉に、一号とライラの気が引き締まる。

 しかし、俺だけは余裕そうな表情を崩さないまま言った。


「大丈夫だ。幸い、出口までは俺たちの方が圧倒的に近い。この洞窟を出れさえすれば、逃げられるはずだ。……いいか、俺の合図で一斉に出口に向かって駆けろ」


 そう言うと、俺は恐る恐る後退し始めた。

 他の三人を尻目に見ると、中腰にしたままその時が来るのを待っていた。


 そして赤龍がふと後ろを振り返ったその瞬間。


「逃げろ、お前ら!」


 俺の合図に反応し、三人は一斉に洞窟の外へと続く道を走り出した。


 しかし……。


「うお!? ……岩!?」


 真後ろから飛んできた大きな何かが、俺たちの行く手を阻んでしまった。

 見れば、そこには直径十メートルほどの大岩があった。

 その大岩には所々俺の顔くらいある牙の痕がついてあった。

 どうやら赤龍がこの大岩を口で加え、出入り口に向かって投げ飛ばしたらしい。

 何とか出口を確保しようと試みるが、その大岩は押してもびくともしない重量だった。


「……マスターと一号は下がってて」

「おい二号、お前何する気だ……? まさか……」

「……いいから。そこにいられると邪魔になる」

「くっ……」


 二号の辛辣しんらつな言葉にうめくも、それ以上俺は何も言うことができなかった。

 二号の言う通り、今の俺たちにできることなど何もなかったからだ。


 俺と一号は二号に言われた通りに後退し、岩場の陰に隠れた。


 それと同時、二号が動いた。

 目にも止まらぬ速さで赤龍の腹部へと接近し、鋭い爪で連打を浴びせたのだ。

 四……五……六打撃。

 激しい攻撃に砂埃が舞った頃、やがて二号はステップを踏んで後ろに下がった。

 そうして数秒間の静寂の後、ようやく砂埃から赤龍が姿を現した。


「……チッ」

「傷が、ついてないのか……? あれだけ攻撃したのに……?」


 赤龍の表面の皮膚には傷跡一つ残っていなかった。

 そこには先ほどと変わらぬ姿形を持った赤龍が悠然と立っていたのだ。


「何でもいい……何か、倒せる算段はないのか?」

「……ないわけじゃない。でも、今は使いたくない」

「は?」


 二号は赤龍から片時も目を話さずに言葉をつむいだ。


「……使った後、二号はしばらく動けなくなる。そうなったら、ここにいる皆は……きっと死ぬ。さっきの全力の攻撃でも二号の爪がアイツの皮膚を通らなかった。奥の手を使っても、きっと致命傷にはならない。それに……」


 二号は自身の手を見つめていた。

 そこに視線を移し、俺もハッとする。

 二号の指の先端に血がにじんでいた。


「……赤龍の皮膚は炎属性だから、常に高温。これ以上の攻撃はできない」

「嘘、だろ……」


 俺が呆然と呟いた、その瞬間だった。

 赤龍は一瞬で二号との間合いを詰めると、自身の尻尾で振り払った。

 二号は赤龍の攻撃に直撃し、そのままの勢いで吹き飛ばされた。


「ガハッ……!?」


 壁に身体を打ち付けられ、二号はもだえた。

 そして、いつの間にか赤龍の視線の先にはライラがいた。

 どうやら次の標的を見つけたらしい。


 ライラは一瞬で魔法を使用しようと両手を構えるも、大きく回った赤龍に一瞬で近づかれ、体当たりを食らった。


「ライラ!」

「大丈夫、無事じゃ! ちゃんと間に合っておる!」


 ライラの前にはまばゆく光るシールドが形成されていた。

 体当たりされる直前に、攻撃魔法ではなく防御魔法を発動させたのだろう。

 ライラのその判断は正しかった。

 もしも瞬時に防御魔法を作成していなければ、大事になっていただろう。

 あの体当たりだ。死亡する確率だってゼロじゃなかった。


 とはいえ、このままではいづれあの赤龍に全員が殺されてしまう。

 今は何とか応戦できているが、このまま戦闘が長引けばこちらが不利になるのは必然だろう。


「何か、打開策はないのか……」


 俺は岩陰に隠れながら考えていた。


 そして、ある純粋な疑問が頭の中に浮かんできた。


 「なんで今、赤龍は大きく回ってライラを攻撃したんだ?」


 今の奴の行動は、明らかに不自然だった。

 一直線でライラに向かっていき、攻撃すればよかったものを、何故かあの赤龍は大きく円を描くように迫ったのだ。

 それだけの時間があれば、防がれることなど頭のいい赤龍は想像できていたはずなのに……。


 俺は先ほどライラがいた場所と、赤龍がいた場所をそれぞれよく観察した。

 赤龍とライラが先ほどまでいた中間地点に、とあるものが落ちているのに気が付いた。


「……あれは、俺が摘んだ花か……?」


 あの赤龍は、あの花を避けたのか……?

 だとしたら……。


「ウオオオオオォォォォォ!」

「……ッ」


 赤龍の咆哮を聞き、俺の背筋は一瞬だけ凍ったように思えた。

 声のした方には、当然赤龍がいて、何かに突進しようとしているかのように腰を低く落としていた。

 その先には……二号がいた。

 地面に倒れたまま動かない二号にトドメを刺すつもりでいるらしい。

 赤龍の姿形がブレた瞬間、俺は動いた。

 一瞬の判断で花を丸め、それを赤龍と二号の中間地点あたりに投げつけたのだ。

 すると、赤龍はどうしただろうか。


「……ッ」


 大きく身を引き、ステップを踏んで下がっていったのだ。

 それを見て、俺はライラに告げた。


「ライラ! あの花だ! 赤龍には、水の花が弱点だ!」


 そう言うと、隣にいた一号は手を打って言った。


「そうだ、思い出したぜ! 赤龍は……赤龍の皮膚は、水の花に弱いんだ! アイツの皮膚は炎属性だから、水の花……つまり水属性のものには弱い! 皮膚に水の花の花粉が触れれば、ヤツの皮膚は剥がれる!」

「助かったぞ、お前さんたち! 花を借りるぞい!」


 ライラは魔法で鞄に入っていた全ての花を持ち上げると、それを自身と赤龍の中間地点に置いた。

 そうして、ライラは唱えた。


強風ストロング・ウィンド!」


 水の花が花粉もろとも吹き飛ばされた。

 逃げ場のない赤龍には花粉が付着し、鋼鉄のように硬い皮膚を剥がし始めた。


「いまじゃ! 二号殿!」


 先ほどまで二号が倒れていた場所を見る。

 すると二号はフラフラになりながらもしっかりと自身で立ち上がり、戦闘態勢に入っていた。


「……今なら二号の攻撃も通る」


 二号は先ほどの攻撃がまるで効いていないかのような立ち振舞で赤龍に近づくと、血の滲む指先で攻撃を仕掛けた。

 ライラは赤龍とは真反対の属性である、水魔法を多用し、着実に皮膚を剥がしていった。

 脚、腹、胸、首……様々な部位に二号とライラは着実にダメージを与えていった。

 目に見えて赤龍の身体には傷が増えていく。


 しかし、順調かと思われたその時。

 一号が何かを思い出したかのように声を上げた。


「ちょっと待て! そいつは___」




「……は?」


 俺はその一瞬の間に何が起こったのか分からず、か細い疑問の声を上げた。

 気がつけば、二号とライラがその場にひれ伏していたのだ。



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 伏見ダイヤモンド

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