第八話

「それでは、僕はここで。もしいい性奴隷がいたら、僕にも紹介してくださいね」


 そう言い残し、トリスは用があるからとそそくさと何処どこかへ行ってしまった。

 性奴隷を買いに来たわけではないのだが、と俺は去って行くトリスの背中にジト目を向けた。

 視線を移し、改めて目の前にある奴隷市場を見た。


 木造建築で、建物自体はそれほど大きくない。……というか、小さい。

 想像していたより何倍も小さかった。

 路地裏にあるため、滅多に人目につくこともない。

 トリスから店内は広いと聞いてはいるが、とてもそうは思えなかった。


『この奴隷市場は王都最大級の規模ですよ。店長によると、この店では千を超える奴隷たちを所有しているそうです。僕も何度か行ったことがありますが、これ以上の規模の市場を見たことはありません』


 昨晩、トリスが鼻の穴を広げながらそう言っていたのを思い出す。


 この中に奴隷が千人以上いるだって?


 何かの間違いだろ、と俺は昨夜同様に鼻で笑った。

 そもそも、このこぢんまりとした空間に千人も入るわけがないのだ。

 

 俺は扉を引き、奴隷市場に足を踏み入れた。

 室内に入り、早速あたりを見渡し……。


「……?」


 首を傾げた。

 場所が間違っていたのだろうか、と一旦店を出て看板を見る。

 しかし、そこにはトリスから聞いていた通りの『モンブラン』という店名が達筆な文字で確かに書かれてあった。


 ……どういうことだ?


 俺は再び店内に入った。


 そこは4畳半ほどの広さで、俺が1人だけでも窮屈きゅうくつだと感じる広さだった。

 いや、もちろん狭いのは狭いのだが、問題はそこではない。


 『モンブラン』……もとい奴隷市場には、奴隷が1人もいなかった。


 店内には食器やら時計やらが置かれているだけで、その辺の雑貨屋と変わらない印象を受けた。

 少し違うことがあるとすれば、店内が狭すぎることくらいだ。


 店内を見渡していると、レジにいる店員と目が合った。

 するとその店員はニッコリと微笑み、手を揉みながら話しかけてきた。


「これは珍しい、お客さんですか。今日は何をお求めですか?」

「いえ、あの……あなたは?」

 「私、店長のヘレンと申します。以後お見知りおきを。最近は全くお客さんがいらしてくれなくてですね。商品は余るし、お金は入らないしで困っていたところなのですよ」

 「はあ……」


 釈然しゃくぜんとしない俺の返事に、ヘレンは不安そうな瞳を向けてきた。


 「……あの、何か気になることでも?」

 「いや、気になることっていうか……ここって、『モンブラン』って店で合ってるんですよね?」

 「ええ、合っていますとも」


 にこやかに頷くヘレン。


 なんだ、じゃあここは本当に奴隷市場じゃないのか……?


 店には俺と店長以外に人はいない。

 奴隷を隠すスペースだってここにはない。


 「……と、いうことは」と俺はある可能性に思い至った。


 ……あの野郎、また騙しやがったのか。


 気色の悪い笑みで煽ってくるトリスが目に浮かぶ。

 脳内トリスは腹を抱えて笑っていた。


 『また騙されたんですか、ブフォッ。ユウくんも懲りないんですね、ブフォッ』


 うるせーよ黙ってろ。


 俺は頭を振って脳内トリスを抹消まっしょうした。


 つまり今回も、無駄足だったわけだ。


 ため息を吐き、そのまま帰ろうとしたところで、俺はピタリと足を止めた。

 トリスから言われていたことを思い出したからだ。


 『この店の店長は用心深いんですよ。だから奴隷市場だと知らずに訪れた人からは、とても奴隷を扱っているようには見えません。でも相手も商売人なので、『奴隷』という単語を一言でも口にすれば、必ず案内してくれます』


 俺はクルリと踵を返し、ヘレンに向き直った。

 そこにはやはり、人の良さそうな顔をしているヘレンの姿があった。

 俺は恐る恐る問いかけた。


 「あの、少し質問があるんですけど、この辺に『奴隷』市場があるというのはご存知ですか?」

 「……ああ」


 『奴隷』という部分を強調すると、ヘレンは気味の悪い薄ら笑いを浮かべ、糸目をさらに細めた。

 言い表すことができない威圧感がそこにはあった。


 「飼い主の方でしたか」


 ……飼い主?


 「証明書、もしくは紹介状はお持ちですか?」

 「……え、あ、ああ」


 俺は反射的にトリスから渡されていた紹介状を手渡した。

 それを手に取ったヘレンは、やがてニッコリと人当たりの良さそうな笑みを俺に向けた。


 「やはり飼い主の方でしたか。こちらへどうぞ」

 「……あの、飼い主って?」

 「奴隷市場では、奴隷購入者のことを『飼い主』と呼んでいるのですよ。これなら騎士たちに問い詰められても、難なく言い逃れできますからね」

 「……そう、なんですね?」


 よく分からず首を傾げながらも、俺はとりあえず頷いた。


 それよりも、やはりここは奴隷市場だったらしい。

 今度トリスにはお詫びとして、以前購入できなかったトイレットペーパーを買ってきてあげよう、と心に決めた。


 店長が床のカーペットをずらすと、そこには茶色の扉があった。

 床の色と一体化しているせいか、気が付くのに少しかかった。


 「商品はこの地下にあります。……さあ、着いてきてください」

 「……」


 唾が喉を通った時、ゴクリと思いのほか大きい音が漏れた。


 ……彼の笑顔が不気味でしょうがない。

 

 俺は無言でヘレンの後を追った。




 「さて、到着しました。王都最大級の奴隷市場『モンブラン』へようこそ」


 地下へと続くはしごを下りた後。

 視界に飛び込んできたのは広々とした空間だった。

 そこには無数の奴隷たちがおり、鳴き声を絶やすことはない。


 「魔物や魔獣、魔族や獣人に至るまで様々な商品を取り揃えております。品質も良好です。お気に召される商品があれば、いつでもお声がけください」


 ヘレンは深々とお辞儀をすると、悠然ゆうぜんとその場から去っていった。

 俺はヘレンの姿が見えなくなるのと同時、早速奴隷を見物し始めた。


 今回、俺が奴隷市場を訪れた目的は主に二つある。


 一つ目は、奴隷市場に来る客を見張るためだ。

 今はまだ仮定の段階だが、もし本当に奴隷と王族に何かしらの関係があるのだとしたら、彼らがここに来る可能性だって否定できない。

 普通は王族が直接出入りすることはないだろうが、万が一ということもありうる。

 上手く行けばそのまま王族に着いていき、証拠を抑えることだって可能かもしれない。

 

 二つ目は、奴隷……もとい戦闘に長けた奴隷を購入するためだ。

 ここ数日、俺は自分に足りていないものは何かということについて考えていた。

 ……それはズバリ、戦闘能力だ。

 王都の兵士を務めているとはいえ、俺の戦闘力は一般人とそう変わらない。

 さらに言えば、俺は兵士になる上で必要な才能も欠落してしまっている。

 一般人が一週間ほど本気で努力すれば、俺の力を凌駕することも容易いだろう。

 平凡な俺がどれだけ努力したところで、その限界はたかが知れいている。

 つまり何が言いたいのかと言うと、この先強さが必要になってくる場面が必ず出てくので、戦闘に長けた奴隷でもいれば購入しようと考えたのだ。


 そのために今日は貯金全部持ってきたからな、と俺は金貨が入った袋を満足気に眺めた。


 そうして色々見てみたのだが……。


 「た、たけぇ……。何だよこの値段、高すぎるだろ」


 俺は予想外の額に戦慄せんりつしていた。


 いや、考えてみれば当然のことだ。

 人を買うのだから、本来なら金貨がいくらあっても足りるものではない。

 奴隷を購入するというのは、その人の人生を買うことと同義だからだ。

 しかもここにいるのは、俺が想像していた貧弱で状態の悪い奴隷たちではない。

 肌艶もよく、健康的な奴隷が勢揃いしていた。


 そして肝心なお値段。

 一番リーズナブルな奴隷でも、金貨五十枚だった。


 俺は自分の財布の中を見た。

 金貨が二十枚に、銀貨と銅貨が数枚入っているのみ。

 兵士として働いてからずっと貯金していたので、金額には自信があったのだが、どうやらこれでも足りなかったらしい。


 なんとかお手頃な奴隷がいないかと探していると、ふとある張り紙を見つけたので立ち止まった。

 そこにはやたらと達筆な文字でこう書かれていた。


 「ここから在庫品となります」


 ……在庫品?


 そこで、俺はトリスから言われていたことを思い出した。


『奴隷市場には、在庫品というものがあります。こちらは通常よりも品質は落ちますし、基本的に問題児が多い傾向にあります。扱いに困るそうなので、購入はあまりオススメしませんね』


 トリスはそう言っていたが……。


 俺は改めて通常の奴隷の価格に目を向けた。


 「……金貨六十枚……八十七枚……百十七枚……」


 左から順に読み上げていく。

 今にも脳が壊れそうな値段設定だった。


 ……在庫品だって、まともな商品があるかもしれないしな。


 俺は在庫品が収容されているという部屋に、暖簾のれんをくぐって入って行った。



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 伏見ダイヤモンド

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