インスタントコーヒーは本物のコーヒーか?

「あっぢぃなあ、ちくしょう……」


 うちのエアコンはもうかなり古い。おかげで温度調節があまりうまくいってない。えらく寒い時と設定温度より高いままの蒸し暑い時が交互でやってくる。


「かといってこれ以上下げるとさっむいしなあ」


 しょうがなく、上はタンクトップ、下はブリーフいっちょで作業を進める。


 俺はしがないラノベ作家だ。元々は本格的な小説家を目指していたんだが、芽が出ないうちにちょっとまとまった金が必要になり、今はやりのラノベってのに手を出した。


「ガキどもの読みもんだろうが、ちゃちゃっと書いてちょっと小遣い稼ぎにでもなりゃいい」


 そのぐらいの気持ちでちゃちゃっと書いたら、それが大当たりした。コミカライズもされ、そこそこ現金が入ってくる事になった。


「とにかくこれを全部入れりゃいいんだろうが」


 投稿サイトなどでよく目にするタイトルを全部ぶちこんだ、長いタイトルをまず決めた。


「婚約破棄された伯爵令嬢、復讐のために元婚約者の結婚式に暴れ込んだら転んで頭を打って転生! 気がついたら恋のライバルの護衛マッチョになってました。これって私がざまあだよな?」


 うむ、自分でも適当なタイトルだと思う。そんで内容にいたってはもっとないよう~(おっさんギャグ)な作品だったのに、なんでかこれが当たった……


「いいですね、どんどん書いてください」


 コミカライズの時に付いた編集に乗せられてどんどん書いていたら、今や8巻まで出てる人気作になってしまった。


 なんで金がいるようになったかというとだな、当時同棲してた彼女に子どもができた。それでいい機会だからと籍入れて夫婦になって、出産のための費用を稼ぐ必要ができたからだ。今は娘が2歳になったが、この作品のおかげでそこそこ余裕がある生活をさせてもらってる。今も編集から電話があり、9巻の催促さいそくをされたところだ。


「さて、この続きはどうすっかなあ……」


 ギシッと音を立て、そこそこ値の張るデスクチェアに背中を預ける。


 これは1巻が売れた時に妻が「お仕事に必要なものはケチらないで」と言って買ってくれたもんだ。いい値段しただけあって随分と座り心地がいい、長く座って書いてても疲れを感じにくい。やっぱり物ってのは値段のことだけはあるんだよな。


「この秋にはレイナの七五三もあるしな、もうちょい稼がないと」


 「レイナ」は俺の娘の名前だ。なんとなく浮かんで付けた主人公の名前にあやかってそのまま「レイナ」とつけた。

 一応今の俺の代表作のヒロインの名前だ、悪いことはないと思う。まあ、年頃になって実際に読んだら「護衛マッチョ」になってるレイナに怒るかも知れないが、それで無事出産できてすくすく育ってるんだから、そのへんは理解してもらいたいもんだな。


「今夜は徹夜だな」


 妻と娘はもう寝ている。時間は深夜1時をまわったぐらい。物書きは夜に仕事をするもの、みたいな固定観念が俺にはある。なのでこれからが俺のお仕事タイムだ。


「あっちいし、冷たいもんでも持ってくるか……」


 妻と娘が寝ている寝室にはちょっといいエアコンをつけてある。今頃は快適温度ですやすや眠っているだろう。

 七五三の準備もだが、この暑さにいつぶっ壊れるか分からんエアコンでは仕事の邪魔になるかもしれん、こっちもなんか買う必要があるかもな。


 キッチンへ行き、小さなヤカンにお湯を沸かす。お湯の量は半分以下、すぐに湧いた。そこに粉末のインスタントコーヒーをどばどばぶっこみ、その上から氷をがばがば入れる。大量のアイスコーヒーブラックの完成だ。よし、これだけありゃ朝まで持つだろう。


 アイスコーヒー入りのヤカンとコップを一つ持って仕事部屋に戻る。


「さて、書くぞー!」


 9巻はマッチョな護衛に転生した元伯爵令嬢が、元婚約者のところに来た古い友人に一目惚れする、ってのはどうかな?


「うん、これはウケるぞ~」


 うまいネタを見つけたら筆が進む進む。筆といっても今はキーボードだが。


 明け方近くまで、冷たいブラックコーヒーを飲んでは書き、書いてはコーヒーを飲むを繰り返し、なんとか締切に間に合うだろうほどには出来上がった。


 そしてその時が来た……


「いで、いでででで……」


 世間様が明るくなり、学校は夏休みなので仕事に出かける人たちだろう、ざわざわと忙しそうに移動する気配を感じるようになってきた頃、胃がいきなりキリキリと痛みだした。


 自慢の椅子から降り、床の上でしばらく丸くなっていたが、痛みが収まる気配がない。


「これは、やばいかも……」


 どうしよう、このまま死んでしまうのではないか、そう思うぐらいキリキリと胃が痛む。


「だ、誰か……」


 寝室へ行けば妻がいる。もしかしたらもう起きてるかも知れないが、部屋から出て寝室へ行くのもつらい。


「くそ、スマホ……」


 どこに置いたっけ? いっつも置きっぱにせずにきちんとした場所に置けって妻に怒られてるんだよ、こんな時になってそれを思い出して後悔する。


「そうだ、カバ、ン……」


 床の上に置きっぱのカバン、これもいつも怒られるんだが、今日はそれが幸いした。って行き、ゴソゴソと手をつっこんでスマホを取り出す。

 

 スマホの住所録から悪友の番号を探して電話をかける。すぐ近くに住む、やっぱり同じく文章書きで食べてる腐れ縁だ。あっちはフリーのライターなんてのをやってる。もちろん俺と同じく物書きは徹夜してなんぼのタイプ。

 なんでこいつに電話をかけたかというと、妻は免許を持ってない。だから慌てて救急車とかを呼んで大事おおごとになりかねない。それよりはこいつに病院へ連れてってもらおう、そう思ったからだ。


 10分もするとやってきた。妻はもう起きていたが、話を聞いてびっくりし、急いで仕事部屋へと飛び込んできた。


「おまえはレイナといてやってくれ。大丈夫だ」

 

 そう言って悪友の車で病院へと連れて行ってもらった。

 

胃痙攣いけいれんですね」


 医者はこともなげにそう言った。診断がつく頃には、もうかなりキリキリは治まっていたんだが、それでも一応診てもらっておいた方がいい。


「話を伺いますと、アイスのブラックコーヒーをずっと飲んでいたとか。原因は多分それですね」


 なんとなく呆れたような顔をしているように見える。


 とにかく、症状も治まり、原因も分かったということで胃薬をもらって家へ帰った。診察後にすぐ連絡しておいたので、妻も安心した顔で出迎えてくれた。

 

「まったくおまえは、安物のインスタントなんぞ飲んでるからそんなことになるんだよ」


 悪友が歯にきぬ着せぬ口調でそう言う。


「もういい年なんだからな、ちゃんとした本物のコーヒー飲めよ。そしたらこんなことにならずに済んでるはずだ」

「本物なあ……」


 インスタントコーヒーって偽物なのか? ふと、そんなことを思った。


「大体だなあ、今書いてるのもあんなもんだろうが、今は一時的に売れてるか知らんが、結局は小説の偽物だ、もっとそっちも本物書けよ、な」


 偽物……


 自分でもそう思っていた。金のために書いてる、ちょちょっと書いたらなんかウケて売れてるだけのもん。


「偽物かあ……じゃあ本物ってなんだろうな?」


 ふと口に出す。


「ん?」

 

 悪友が聞きとがめる。


「インスタントコーヒーも、今俺が書いてるラノベも偽物か?」

「なんか気にさわったか?」

「いや、単に気になっただけだ」

「そうだな」


 悪友がうーんと考えてから言う。


「少なくとも、俺はおまえが前に書いてたちゃんとした小説の方が好きだな」

「そうか?」

「ああ、おまえにしか書けないもん、本物って気がする」

「今書いてるのは?」

「飯のタネだろ?」


 あっさりと見破られる。


「まあ、確かにな」


 悪友の言う通りだ。子どもができて結婚して、生活していくのに必要で書いた。それだけの作品だとずっと自分でも思っていた。だが、それを他の人間に言われたら、少しばかり不愉快に思った。


「コーヒーもな、サイフォンだのドリップだのでないと本物じゃないのか?」

「ややこしいこと言うなあ」


 悪友が苦笑する。


「少なくとも俺はコーヒーにはこだわりあるからな、そのへんのインスタントは俺には偽物だ」

「そうか。俺はほぼインスタントだからなあ。外で飲むときはそういうの飲むが、特にインスタントだからって偽物って気はしないかも知れないな」

「そういうもんなのかねえ」

「うん、それにな、インスタントの方が胃に悪いのか?」

「そう聞いたことがあるし、俺もそうだと思う」

「そうか」

「偽物の上に胃に悪い、そんなもん飲まんでいいだろう」

「そうか」


 その後は特にコーヒーの話はせず、適当に話をして礼を言ったら悪友は帰っていった。

 

「本物と偽物か……」


 コーヒーも、今俺が書いてる作品も、多分あいつから見れば偽物なんだよな。そして俺もずっとそう思っていた。


 だが、バターの模造品のマーガリンが今はきちんとした地位を得ているように、インスタントコーヒーだってもう一般に認められてる。だしの素だってそうだ。自分で昆布や鰹節、いりこなんかでとらなくても、だしパックだってあるし粉末だってある。みんな普通に使ってうまい飯を作ってる。


「インスタントコーヒーだけが偽物ってこたあないよなあ……ってことは、俺が今書いてるやつだって小説の偽物ってわけじゃない」


 玉石混交ぎょくせきこんこう、良いのも悪いのも混じってはいるし、もしかしたらそのうちすたれてなくなってしまう可能性だってあるが、やっぱり偽物とは言えないとそう思った。


 俺はずっと恥ずかしかった気がする。本物の小説が書きたい、そう思っていた。今もそれは変わらない。

 だが、俺が書いたこのラノベだってちゃんとした作品だ。読んで喜んで、本買ってくれて、ファンレターくれるファンだっている。そしてちゃんと金になって家族を養っていけてる。


「偽物、じゃあないよなあ」


 悪友に偽物と言われたアイスコーヒーを飲んで起こした胃痙攣が、


「案外おまえのラノベ、本物かも知れないぞ」


 そう言ってくれた気がして、偽物飲むのも悪いもんじゃないな、となんとなくそう思った。




※投稿サイト「ノベルアップ+」で2021年「夏の5題小説マラソン・第四週「アイスコーヒー」」に参加するために書きました。投稿日は2021年8月1日です。


企画は第五週まで続き5本の小説を投稿していますが、その四番目の作品となります。


ちょこちょこっと手を入れてはいますが、ほぼ当時投稿したそのままです。

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