ひな子の打ち上げ花火

 昭和20年の神戸はどこもかしこも戦争一色であった。


 3月と5月に大きな空襲があり、今年10歳になるひな子の一家も、親類の家に疎開することになっていた。


「この家はお国に接収されて、ちょっと離れた場所に借りた家に荷物移すからね」


 お国が「このあたりの土地は国のために使う」と言ってきて、ひな子が生まれて育った家もお国に取り上げられたのだ。それも疎開を決めたきっかけの一つになっていた。


 ひな子は5人兄弟姉妹の下から2番目である。

 上から25歳のえり子姉、京都の帝大に行っている俊樹兄、次が女学校のより子姉、そしてひな子と、弟の英樹、それからえり子姉の長女のみな子に、両親の8人家族であった。

 えり子姉の夫は戦地に行っている。その夫の実家にえり子、より子、ひな子、英樹と母、みな子の6人で世話になることになったのだ。

 父は仕事があるので神戸に残り、俊樹兄は京都の下宿先にそのまま暮らすことになる。


 一家が主な家財を借家に移した6月5日の火曜日の夜、ついに空襲がひな子の家のあたりにやってきた。

 それまでの2回の空襲からはなんとか逃れたものの、とうとう米軍の魔の手はひな子の幸せにまで手を伸ばしてきたのだ。


「ひなちゃん、お姉ちゃんの手ぇ離したらあかんよ!」

「うん、分かった!」


 母は弟の俊樹と手をつなぎ、えりこ姉は生まれて間もないみな子を抱いている。7歳年上のより子姉としっかり手をつなぎ、焼夷弾が雨あられと降る神戸の町を逃げ、走った。


 ヒュー、ドーン!

 パチパチパチ!

 ヒュー、ドーン!


 あっちこっちで火がはぜ、火花が飛び散る。


 焼夷弾が落ちて火を吹くだけなら問題はない。それが人に当たって人が燃える。建物が燃える、悲鳴が聞こえる、絶叫が聞こえる。そんな中を一家6人、3組がお互いを気にかけながら逃げに逃げた。


(ああ、前にこんなんあったなあ……)


 姉の手を握りながら、必死に走りながら、ひな子はぼんやりと頭の中考えていた。


 そう、あれはまだ戦争が激しくなる前のこと、神戸の港であった打ち上げ花火を見に行った時のことだ。


「ひなちゃん、お姉ちゃんの手ぇ、しっかりつないどきよ。迷子になったらもう会えんようになるからね」

「うん、分かった」


 当時、まだ小学校だったより子姉と手をつなぎ、花火を見に行ったのだ。


 花火大会を見にたくさんの人が集まっていた。ひな子も浴衣を着せてもらい、同じく浴衣のより子姉と一緒に会場へと向かう。


 あっちこっちに屋台が出ていた。べっこう飴、綿あめ、ハッカ水、カルメラ、イカ焼き。あっちこっちで甘い匂い、香ばしい匂い、ひな子は鼻をひくひくしながらそれらの匂いを嗅いでいた。


「ひなちゃん、飴おか、べっこ飴」

「うん!」


 買ってもらった飴を右手に持ち、なめながら左手は姉としっかりつなぐ。姉は左手でべっこ飴を持ってなめている。


「もうちょっと前こ」

「うん」


 小学生と幼稚園の2人がぽそぽそと歩いてよく見えそうな場所を探す。


「お母ちゃんはまだ英樹が小さいからよう行かんわ、2人で行っておいで」


 母にお小遣いをもらって姉と2人で見に来たのだ。一番上のえり子姉は、当時もうお嫁に行っていて、俊樹兄は勉強が忙しいと行く気がなかった。花火と聞いてそわそわするひな子に、母がそう行って姉と2人で行かせてくれたのだった。


(あの時もこうしてお姉ちゃんと手ぇつないでたなあ、そんでどうなったんやったっけ?)


 なんとなく思い出す。


 まだ小学生だった姉と幼稚園のひな子、「しっかり手ぇ握っとき」と言われたが、気がつけばするりと手が抜けて、人混みに紛れてひな子はあっという間に姉の姿を見失ってしまったのだ。


「お姉ちゃん!」


 叫んだが、人混みで姉の姿は見えない。


「お姉ちゃんどこ!」


 返事はない。


「お姉ちゃん!」


 そんなことを思い出しながら、燃え盛る町の中をあっちこっちと逃げ回っていた。


 すると、


「あ!」


 逃げ惑う人混みに押され、姉と手が離れてしまった!


「お姉ちゃん!」


 叫んだが、人混みに巻き込まれあっという間に流されていく。

 

 姉の姿も、母の姿も見えなくなる。


「お姉ちゃん!」


 返事はない。


 周囲を逃げ惑う人たちの中、ひな子は思わず立ちすくんだ。


 ヒュー、ドーン!

 パチパチパチ!

 ヒュー、ドーン!


 焼夷弾が落ちてくる。

 人が燃えて逃げ惑う。


「ああ、そうやったわ、あの時もお姉ちゃんの手ぇ放してしもて、そんではぐれたんやった……」


 あの時の心細い気持ちを思い出す。


「ええか、ひなちゃん、もしもお姉ちゃんとはぐれたら、どこかで止まってじっとしとくんやで? 両方が動いたらよう見つけんようなるからな」

「うん、わかった」


 そう、そう言われたのだ。


 それを思い出し、はぐれた場所からすぐ近くにあった石碑のところでじっと姉を待っていた。今回も、あっちこっち行かずにどこかで止まって待たないと……


 そうは思うのだが、焼夷弾の降る中である。じっと止まったら当たって死んでしまうのではないだろうか。


 ひな子は周囲をうろうろと見渡した。


 焼夷弾が遠慮なく人の上に降りかかる。当たった人は叫びと共に火を吹き、火だるまになってあっという間に倒れてしまう。


 あっちでもこっちでも人の火柱が上がっては倒れる。


「ああ、まるで花火みたい……」


 腕に焼夷弾が当たった人、手の先から火柱がまっすぐに吹き出している。手持ち花火はあんな感じやな。


 首に当たった人、頭から上が燃え上がり、細い首からぽっくりと折れて落ちてしまった。線香花火の最後みたいやなあ。


 全身が燃えてくねくねと灰になって倒れた人がいる。ヘビ花火、あんな感じ。


 ひな子はそんなことをぼーっと考えながら立ち尽くしていた。


 自分もああして花火みたいに燃えてしまうのだろうか。このまま家族にも会えず、最後はヘビ花火になってしまい、見つけてもらえなくなるのだろうか。


「そんなん嫌や!」


 ひな子は大きく一つ叫ぶ。


 あの時、姉とはぐれた後、どうなった? 混乱する頭ではなかなか思い出せない。


 けど……


「打ち上げ花火になったらみんなに見つけてもらえるやろか」


 そんなことを考えた。


 空高く打ち上がる打ち上げ花火。どうせ花火になるのなら、打ち上げ花火になって空の上で家族に見つけてもらいたい。


 どーんと高く打ち上がったら、きっとみんな見つけてくれるはず。

 

「私は打ち上げ花火になりたい……」


 そんなことを考えた。


 打ち上げ花火の打ち上げ前のを見たことがある。円い玉だった。あれが打ち上がると空で花開いてきれいなきれいな打ち上げ花火になるのだ。


「打ち上げ花火になろ……」


 ひな子はそう考え、道の真ん中でまあるくまあるく、できるだけ丸く身を縮めた。


 まあるいまあるいひな子の打ち上げ花火。焼夷弾が落ちてきたら、このままどーんと空に上って、きれいにきれいに広がって、お母ちゃん、お姉ちゃん、そうやちょっと遠いとこにおるお父ちゃんにも見つけてもらえるはずや。


「あ、あれ見て、ひな子の打ち上げ花火やわ」

「ほんまや、きれいやなあ」


 姉と母がそう言って褒めてくれるのを想像すると、うれしくなってきた


 ひな子は一生懸命丸くなる。私は花火、打ち上げ花火、きれいなきれいな打ち上げ花火。


「ひなちゃん!」


 ああ、お姉ちゃんが見つけてくれた。


「ひな子!」


 よかった、打ち上げ花火見つけてくれた。


「ひなちゃん!!」


 ぐいっと手を引かれ、驚いて顔を上げると、はぐれたより子姉がひな子の手を引っ張り、ものすごく怖い顔をして見下ろしていた。


「手ぇ放したらあかん言うたやろ!」

「お姉ちゃん……」


 うわーんとひな子は姉にしがみついて泣いた。


「よかった、花火になる前に会えた」

「はあ?」


 姉は意味が分からないという風に首を傾げたが、


くよ! お母ちゃんらあっちで待っとう! 早よ!」


 ぐいっと手を引っ張られ、


「今度は絶対絶対放したらあかんよ!」

「うん!」


 姉と一緒に走り出した。


 しばらく走って、燃え残った建物の影に隠れていた母と姉、弟、姪っ子を見つけて合流した。


「よかった、ひな子」


 母が泣きながらしっかりとひな子を抱きしめてくれる。


「お母ちゃん……」


 ひな子も泣きながら母にしがみつく。


「ひなちゃん、ちゃんと覚えとったんよ」

「え?」

「迷子になったら、そこで動いたらあきません、言うたこと」


 姉も覚えていたらしい、あの花火大会のことを。


「けど、火がいっぱい降ってきとうから、とってもそんなこと覚えとう思わんかったわ」


 そう言って、


「えらかったな」


 姉がより子の頭を撫でてくれた。


「ちょっと収まってきたからもうちょっとしたら前の家に戻ってみよ」


 新しく借りた借家はすっかり燃えてしまった。せっかく運んだ家財道具も、思い出の品も全部。皮肉なことに、引っ越す前の家、お国に取られたはずの家は大丈夫だった。


「もう一日か二日、荷物移すん待ったらよかったなあ」


 母は無事だった家を見ながら、冗談めかしてそう言った。


「ほんまやなあ」


 より子姉もそう言って、家を見に戻ってきた父も一緒になって少し笑った。


 そうして、予定通りひな子たちは疎開先に向かう。汽車に乗って少し遠い町まで。


 駅でみんなを見送って、大きく手を振る父にひな子たちも手を振る。


「お父ちゃーん!」


 ひな子が大きく手を振りながら叫んだ。


「戻ってきたら、みんなで打ち上げ花火見にいこなー!」

 

 聞こえたのか聞こえてないのか分からないが、父は大きく手を振りながら、上下に大きく首を振ってくれた。


「みんなで花火見にいこなー!」


 シュッシュポッポシュッシュポッポ


 機関車の音に声がかき消される。


「やっぱり花火はなるより見る方がきれいやと思うわ」

「え?」


 ぽそりと言うひな子により子姉が聞く。


「ううん、なんでもない。花火にならんでよかったなあって思っただけ」

「え?」


 やっぱり分からないという風に首をひねる姉に、ひな子はにっこりと笑ってみせただけだった。




※投稿サイト「ノベルアップ+」で2021年「夏の5題小説マラソン・第二週「打ち上げ花火」」に参加するために書きました。投稿日は2021年7月22日です。


企画は第五週まで続き5本の小説を投稿していますが、その二番目の作品となります。


ちょこちょこっと手を入れてはいますが、ほぼ当時投稿したそのままです。

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