小椋夏己の盛り合わせ

小椋夏己

2021年 8月公開作品

秘密基地の子猫

「私、本気なの、分かって……」


 雨がしとしと降る都会のど真ん中のとあるカフェ。


 ソーシャルディスタンスだどうのと言ってる割には人が多い。そして飲み食いする人たちの大部分はマスクをしてない。そんなもんかもね。


 私はそんなことを思いながら、目の前で泣き崩れる、大学のサークル仲間のさやかをじっと見ていた。


「俺は、そんなつもりなかったんだ」


 左に視線を向けると、そこにはやはりサークル仲間の良太、一応私の恋人の男子学生が、雨に濡れて潮垂しおたれた犬のような表情でこっちを見る。


「ひどい……」


 私を上目遣いで見つめていたさやかが、首を右に振ると、今日の雨のようにじんわりと涙を盛り上がらせながら良太に視線を移した。


「私、本気なのに……」

「いや、だって、あれはお前が」

「私のせいなの? ひどい……私は良太がいないと生きていけないのに!」


 またさやかがテーブルに突っ伏し、静かな声でシクシクと泣く。泣き方まで梅雨の雨のようだと思った。


 今は7月の半ば。今年の長い梅雨はまだ終わらず、うっとおしい雨がじんわりと降り続けていた。


 ことの初めは3ヶ月前らしい。サークルの新歓コンパ、その二次会の後、なんでかふらっと2人してどこぞにしけ込んで、どうやらそういうことになったらしい。


 良太とは2年前、同じく新歓コンパでたまたま隣の席になり、なんとなく意気投合。でもその日は二次会終わりにそういうことにはならず、連絡先を交換して終わった。


 それから段々と距離が縮まり、その年の夏、まだ奇妙な感染症が広まる前で、自然とディスタンスがなくなって、付き合うことになった。後期授業が始まって、サークル仲間に知られ、散々冷やかされたのも今では懐かしい。


「だって、私の方が先に好きになったのに!」


 テーブルから顔を上げ、さやかが開き直ったように言う。


「横から奪っていったのはあんたの方だから!」


 さっきまでは悲劇の主人公だったのに、今は不当な行為を糾弾きゅうだんする市民団体のよう。

 

 不思議なぐらい冷静だった。


 2年近く付き合っていた恋人を、しかも平穏な日々を過ごしていた恋人を奪われたのに、どうして私はこうも落ち着いているのだろう。本当なら、こうして泣き崩れ、相手をきびしく責めるのは私の役割のような気がするのになあ……


 でも持って生まれた性質はどうしようもない。


 私があまりに何も言わないので不安になったのだろうか、良太がこちらを伺いながら、恐る恐る口を開く。


「なあ、何考えてる?」


 うーん、返答に困る。何を考えていたかと言われると、子供の頃のことを思い出していた。


 まだ小学校の2年生の時のことだ。私は当時は小さな団地に住んでいて、かなり狭いコミュニティで、限られた人間とだけ交流していた子供だった。


 同じ団地のあゆみちゃん。近所の女の子の中でも体も大きく、はきはきとはっきり物を言う、いつもおしゃれな服を着ている子だった。

 いつも同じような服をもっさりと着て、ぼんやりと人の後から付いていくような私とは全く違うタイプ。自然と同じぐらいの年齢の女子のボスになってた。


 ある時、ボスがこう言った。


「ねえ、秘密基地作らない?」


 何かと思ったら、同じ年ぐらいの男子たちがどこかに秘密基地を作ったらしく、負けずに女子も作ろうと思いついたらしい。負けん気の強いあゆみちゃんらしい思いつきだ。


「でも、どこに作るの?」

「考えたんだけど、裏山どうかな」


 当時、団地はまだ開発中で、裏にはまだ崩していない山があった。噂では計画が頓挫したとかなんとかで、半分以上の工事に手を付けないまま、私達が住む数棟に住人を入れた後、それ以上の開発はストップしたままだったらしい。


 生まれた時から数名の限られた子供たちと遊び、あまり自己主張をすることがない私は、ボスの後から黙って付いていくだけの子供だった。


「裏山にね、半分崩れた崖があるでしょ、あそこに洞穴を掘って基地にするの」

「ええっ、崖? 危なくない?」


 他の子が心配そうに言うのをなんとなく聞いてはいたが、特に発言はしない。だって、私が何を言っても特に情勢に変化はないもの。


 いつものようにあゆみちゃんの意見が通り、女子数名で基地を作ることにした。


 そこはいつも遊んでいる場所で、特に崖崩れがどうとか言われてもいなかったのは、もしかしたら大人は知らなかったのかも知れない。


「こんなもんかな」


 子どもが一人、なんとか入れるぐらいの洞穴もどきを作り上げた。その中に、みんなが家から持ち寄ったもので基地を作った。


 何かの布を敷き、上に座ることぐらいはできる。代わる代わるそこに座って、木の枝や葉っぱ、布切れなんかを貼り付けた扉を閉めて暗闇を楽しんだりした。


 だが、そんなこと、そう楽しいわけではなく、いつの間にかそこは物置になっていた。おもちゃを持っていって遊び、持って帰るのが面倒なので、終わったらまたそこに入れて帰るのだ。


 そんなある日、あゆみちゃんが慌てたように何か箱のようなものを持って秘密基地へとみんなを集めた。


「この子なの」


 箱にかぶされた布を取ると、中には子猫が一匹、不安そうな顔でブルブル震えているのが見えた。


「かわいい!」

「でしょ?」

「どうしたの、この子」

「あのね、歩道橋の下に捨てられてたの」


 どうやらあゆみちゃんたちは捨て猫を拾ったらしい。飼いたいが、残念ながら団地はペット禁止である。


「だからね、ここで飼ったらどうかなと思って連れてきたの」


 秘密基地をペットの家にしようと思ったらしい。


「できるの? そんなこと」

「大丈夫、猫の飼い方はネットで調べたし、お小遣いを出し合ったり、おやつを分けたりしたらなんとかなると思う」


 あゆみちゃんは自信たっぷりにそう言う。そうなったらもうそれは決定の合図だ。そうして、私達は交代で子猫に食べ物や飲み物を持っていくようになった。


 だが、そんないい加減な飼い方をしていたからか、子猫は段々と弱っていくようにしか見えなかった。


「病気なんじゃないの?」

「そんなことないって。もっとたくさん食べさせないと」


 あゆみちゃんの主張に乗って、みんなお小遣いを出し合って牛乳を買い、たくさん飲ませようとした。


 そうして、雨が降り続いた梅雨のある日、


「雨が降るから裏山に近寄ってはだめよ」


 そう言われた子が多かったのだろうか、どうやら誰も数日行かなかったらしく、晴れた日になって秘密基地に行ってみたら子猫は死んでいた。


「どうして誰も来なかったの!」


 あゆみちゃんは子猫の死骸を布で包んで抱きしめながらそう言って泣いた。


 だが、自分だって来なかったのだ。いつだってそうだ。何か言ってそのことを始めても、うまくいかなかったらこうして誰かのせいにして泣きわめく。


 とにかく死んでしまった子猫はもうどうしようもない。そのままきれいなお花や牛乳、お菓子などと一緒にその基地に埋め、秘密基地は子猫の墓になった。


 そうして、もう誰もその崖には来なくなり、数年後には再開発が始まって、その崖自体がなくなってしまった。その頃にはもう引っ越していたので、母が元の住人の方から聞いて知っただけだが。


「どう言われても私の方が真剣なの。だから、そんな目で見るのやめてくれる?」


 さやかがキッとこちらを睨んで言う。私、どんな目をして見てたのかな? 困って視線を良太に移す。

 おどおどと視線が定まらず、やたらとまばたきをしている。これは嘘をつく人の目だな、なんとなくそう思った。


 思えばこの2年は結構楽しかった。良太は話し上手で、それで見た目も結構イケメン。ごく普通、特にこれと言って特徴もない私のどこがよかったのか知れないが、会う時にはいつも笑わせてくれて、優しい人だと思っていた。


 だけど、ちょこちょことは耳にしていたんだよね。


「良太君、この間どこかの女の子と歩いてたの見たよ」


 そういうの。


 それで聞いてみたら、


「ああ、それバイト先の子だよ。たまたま出かけた先で会ったんだ」


 みたいな返事が返ってくるので、そうなのかと納得していた。


「おまえといると楽だ」


 よく良太がそう言っていたのはそういう部分なのだろう。あまり詮索せんさくしないし、うるさくしない。


 そして私も楽だった。かわいい女の子を演出しなくてもいいし、何より適度に愛してくれていた。私も適度に良太を愛していた。

 

「それで、2人共、一体私に何をどう言ってほしいの?」


 やっと口にした言葉がこれか。我ながら呆れるな。


「どうって……」

「良太と別れて!」


 良太が口ごもり、さやかがそう言う。


「いや、俺はおまえと別れるつもりないから!」

「ひどい!」


 また2人が言い争う。


「とにかく私は新歓コンパの時、もう好きになってたの! それをあんたの方が、先にそういうことになってただけだから! 分かった!」


 って、なんか、その言い方だと私が良太を盗ってったみたいだなあ。そんな性格じゃないってさやかも知ってるはずなのに。

 

「だから、俺はそんなつもりじゃないってば!」

「じゃあなんでよ!」

「だって、酔ってるところにおまえが」

「ひどい!」


 良太は良太で全部をさやかと、そして酒のせいにしようとしている。


 もしも、その時だけのことならそれも通るけどさ、昨日、私がたまたま2人が某所から出てくるところを見なかったら、この先もずっと黙って続けるつもりだったんじゃないの?

 そして、その機会を作ったのはさやかだ。あまりに私が何も反応しないから焦れたんだよね。


 良太にとってさやかは、確かにいい遊び相手に見えた。好き好き言って、持ち上げて、そしてやらせてくれるんだから。

 

 そしてさやかも、きっとそこまで良太を好きなのではないと思う。うまくいってるカップルがいたら、横からちょっかい出してそこを破綻はたんさせる。いつものさやかの「お遊び」だ。


 そうしておいて、


「私って、どうしていつもこうなんだろう……」


 と、自分が被害者みたいな顔で言う。


 さすがに同じ大学の子にはやってないらしいけど、外の子たちから話聞こえてきてるからね。


 良太との仲は良好だった。友人たちからは「おまえら卒業したらそのまま結婚しそうだ」と言われたりしていた。そこそこの情愛さえ持てれば、本当に楽な相手だと自分でも思うよ。家族として見るには本当、いい相手。


 そしてそれは私も同じ。愛だの恋だの、生きるの死ぬのとわあわあ泣いたり喚いたりするタイプじゃない、何かあってもすぐ普通の生活に戻るだろう。


「だって、さやか死ぬって言ってるもの、良太がいないと」


 私の言葉に2人がギクっとする。


「良太だってさやかのこと、憎からず思ってるからそういうことになったんでしょ?」


 そう言ってすっと立ち上がると、財布から千円札を1枚取り出す。コーヒーは800円、200円おつりだけど、そんなのくれってのもかっこ悪いし面倒くさい話だ、黙ってお札をテーブルに置く。


「じゃあ、そういうことで。お幸せに」


 そう言ってふいっと店から出ていった。


 ドアを開けて出ていく時、後ろで呆然とする2人が見えた。きっと2人共、もっと違う結末を、私が考えていたもう一つの結末へと物語が流れるのを期待していたのだろう。


 だけど、私にはそんなの、もうどっちでもいいこと。ただ、何も考えないまま誰かの後に付いて行って、そして子猫を死なせるようなことはもうしたくないだけ。


 良太との仲は、しばらくの間、いわゆる「修羅場」が続いたら、また元通りになれる可能性がある。その可能性の方が高い。一時の気の迷いだった、で終わったら、そうして心の底からに見えるように良太に謝られたら、その先には元通りの生活が戻ってくるだろう。

 

 だけど、私はそうしたくないと思った。今回のことをなかったことにして、いつかは消えて見えなくなると、もうこれ以上心の中に子猫の墓を作るようなことをしたくないと思った。


 自分の中の子猫を外に放してやろう。


 外には何があるか分からない。もしかしたら出た瞬間に死ぬかも知れない。でもそれも自分の選択だ。自分の選択の先に死が待っていたのなら、それはそれで本望だろう。

 少なくとも、洞穴に閉じ込められて、飲み食いできもしないごちそうを与えられて、弱って死ぬのはまっぴらだ。


 カフェから出ると外の雨は激しくなっていた。


 私は傘をささず、雨の中をまっすぐ歩いていくことにした。雨が、すべてを洗い流してくれてるようで、驚くほどすっきりした気分で前へ、前へと進んでいった。


 もうすぐ梅雨明け、とテレビの天気予報が言っている。

 この夏はどんな夏になるんだろうなあ。




※投稿サイト「ノベルアップ+」で2021年「夏の5題小説マラソン・第一週「秘密基地」」に参加するために書きました。投稿日は2021年7月15日です。


「黒のシャンタル」以外で初めて書いた作品かも知れません。

企画は第五週まで続き5本の小説を投稿していますが、その一番目の作品となります。

ちょこちょこっと手を入れてはいますが、ほぼ当時投稿したそのままです。

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