第8話 悶々風呂

「えらい目にあったなあ……」


 自宅の風呂につかり天井に目をむけて、ぼやく。

 放課後、アリスのせいで、一人で資料室を整理するはめになった。


 わたしのこと、きらいなの?


 記憶の中のアリスが何度も尋ねてくる。


「……嫌いなわけがない」


 いっそ、すべてを打ち明けて楽になりたいと思ったこともある。


 そのとき思い浮かべるのはいつだって、自分が養子だと知り、両親を問い詰め、事実をしったときのことだ。


 割愛するが、あのときは、誰にも言えない苦痛と、これまで信じていた地盤が一気に崩れていくような喪失感をあじわった。

 新しい自分を知りましたw なんて笑えるわけがないだろう。

 

 俺のときは完全なる偶然が重なり、事故となった。両親も俺が成人をしたときに伝えようとしたらしく、計画はご破綻となったわけだ。とはいえ、そのときに話すと言われたこともあるので、俺はある程度のことを聞いて、両親とはそれっきり。その話はしていない。


「あのアリスの家のことだ。金持ち特有の事情もあるだろうし」


 なにより、あいつの両親だって色々と、家族としてのアリスを慮っての計画があるだろう。

 それを俺が簡単に暴いていいとは思えない。なにせ実体験があるから。挙げ句俺との関係まで重なってきたら、刺激が強すぎて、頭のいいヤツほど簡単に折れてしまうだろうよ。

 ま、鈍いやつにはわからんだろうけど。


「……俺も十分、鈍いだろうけどな」


 鈍いというか。

 鈍くあろうとしているというか。

 見なければならない自分のほんとうの気持ちを隠しているというか。


「……はあ。もう考えるのはやめよう」


 この気持ちに付き合うつもりはないのだ。世間体と相手の家族のことだけを理由にしていればいいさ。


 そのとき、風呂の扉が開いた。

 体にバスタオルを巻いたリンネが入ってくると、俺のことをじっとみる。

 こいつは目が悪いので普段はコンタクトレンズをしている。勉強のときはメガネ。で、風呂は裸眼なので、近づかないとわからないらしい。


 なので俺は声をかけてやる。

 血はつながっていないが妹ごときの、それも裸ではなくバスタオル姿にどうこう思う俺ではない。何故か昔からやたらとこういうトラブルも多かったしな。


「リンネ。俺が入ってるから、もう少し待ってくれ」


 ハッとなったリンネが俺を認識。 

 大きく息を吸うところまで、いつも通りといっちゃいつも通り。


 クールに。

 冷静に。

 棒読みで。


「きゃああああああ、兄さんのえっちいいいいいい」

「そういいながら、なんで湯船に入ってくるんだろうなぁ! いつもさぁ!」


 ワケガワカラナイヨ、この妹。

 つん、と澄まし顔。


「来たるべき日の練習、もしくはお決まりの展開への適応訓練。なんとでもお考えください」


 機械音声みたいに淡々と話しながら、まるで当たり前のように浴槽に入ってくるリンネ。

 バスタオルを巻いたままの入浴はエチケット違反だが、自宅の風呂なんで関係ない。


 いつものやり取りしている間に、俺は水中でタオルに腰をまいている。慣れたもんだし、そもそもリンネは目が悪いので軽く隠しとけば問題はない。


 不思議なもので、血はつながってないのに、妹として育ったので、リンネは妹でしかない。アリスとは真逆。

 恥ずかしさもないが、戸惑いはある。

 いつも冷たいリンネなのに、なんでこういうシチュエーションは平気なんだよ。


 リンネは当たり前だと言ったふうに、


「隠すところは隠しているんですし、兄さんと湯船につかろうが、兄妹なのだから問題なんてありません。そもそも狭い家ですから、こういうこともあり得ると割り切らねば、私の大切な時間が消耗してしまうではないですか。だめな兄さんのせいでいつでもタイムリミットにおわれているのですから」


 兄さんをだめ扱いするなよ。まあ、勝ってることなんてなにもないが。

 あと家は狭くないだろ。家主の父親が泣くぞ。

 反論してもやりかえされて、悲しくなるだけなので、その件に関しては黙っておく。


「いや、まあ、そうかもだけど、もう高校生と中学生ともなると、狭いんだよ、浴槽が。お湯もだいぶ溢れちゃったし……」


 キッとこちらを見るリンネ。


「私だって当然、一人で入りたいに決まっています。でも私は自分の予定が狂うことのほうが苦痛ですから、こうして、一緒に入っているだけです。効率性を高める私にいちいち文句を言わないでください。私はこのあと分単位で勉強の予定がつまってるんですよ? 兄さんは寝ながら変態的な画像や動画を見るだけでしょう?」

「変態的な、ってなんだよ」


 おっぱいとかおしりとか、男子高校生なら興味があって当然だろうが。


 リンネは言う。


「ふんどし姿でバイクにまたがっているマッチョな男性のグラビアです」

「そんなもん見てるやつは変態だろ……」

「兄さんのことですよね……?」

「おそるおそる確認してくるな! そんなもん見てねーよ!」

「なら、妹と兄の禁断の官能小説」

「興味すらないわ」


 吐き捨てると、リンネも吐き捨ててきた。


「クソ兄さんのクソ人生」

「あまりにもひどくない!?」


 なんでいきなりキレたの……こわすぎるよ、この妹。

 昔はほんとーにキャッキャうふふしながら、二人でお風呂に入って、水鉄砲とかで遊んでたのになぁ……。


 面影すらない妹はいらついたように言った。


「邪魔です、兄さん。はやくでてください。セクハラとはいいませんが、私の効率性を邪魔しています」

「わ、わかったよ……」


 げしげしと狭い浴槽で蹴られて、俺はすごすごと退散した。


 なんで俺の周りには強引な女性が多い気がする。もう少し優しくしてくれたっていいものを……。


 体をざっとふいて、脱衣所を出る間際――。


「あ゛〜〜〜、このおゆ、おいじぃ〜〜」


 と、変な声がどこからか聞こえてきたが、きっと外を酔っ払いが歩いているのだろう。

 

 リンネの涼し気な声とは真逆の、おっさんみたいな声だったし。

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