第3話 視点変更 リンネ

「……いきましたね」


 リンネは、兄が、弱々しく玄関ドアを開け、登校するのを確認してから、ゆっくりと立ち上がった。


 食器をかたづけて、庭で草木に触れている母に気が付かれないように二階へ繋がる階段をのぼる。

 両親の寝室は一階。上階には客室、そして兄や自分の部屋がある。


 時計を見る。まだ早い。理由はわからぬが、兄が気落ちをしていたせいで、早々に家から追い出すことに成功した。


 学校の活動や、勉強、そして人付き合いで時間を取られる放課後、夜間にくらべ、朝は自由な時間をつくりやすい。


 ゆえに兄は邪魔だ。

 集中するうえで、兄は不要。

 

 リンネは、体全体でしっかりと味わうように、ゆっくりとゆっくりと、部屋のドアをあけた――兄の部屋の。



     *




 リンネは後ろ手でドアを閉め切ると、兄の部屋をゆっくりと見渡した。

 何回か深呼吸。まるで森林浴を楽しむように、体が弛緩している。


 それからゴミ箱に目をつけて、近づいた。

 中をそっと確かめる。紙、紙、おかしの包装。だけ。


「ちっ。不発でしたか」


 意味不明な言葉を呟いた後、当たり前のように、兄のベッドに顔面からダイブ。


 ボスっという音と共に、兄の匂いが部屋中にまきあがった。

 朝から叱責するような兄である。さぞ嫌な匂いであるあずだが――リンネは恍惚としていた。


 普段はクールで、冷静で、中学生に見られないことも多いスタイルで。


 なのに、今このときだけは、兄の枕に顔をうずめて――


「兄さま兄さま兄さま兄さま兄さま兄さま兄さま兄さま兄さま兄さま兄さま兄さま兄さま兄さまスキぃ〜~」


 兄の匂いをオーバードーズしているただの変態であった。

 

 この妹、とにかく兄が大好きである。

 理由? そんなものはない。兄がスキなのは、妹の義務である。


 お嬢様学校での鬱憤や緊張、ストレスを発散するように、顔面を枕にぬりつけるように首をふる。


「うへへ〜、ああ、兄さま、しゅきしゅきしゅ……!?」


 階段を誰かが上がってくる一歩目の音。

 はっとなって、すんっとなって、制服を整えながら早々にドアから出る。


 見た目には姉妹にも見えるような母とかちあった。


「あら、リンちゃん? お兄ちゃんのお部屋になにかあったの〜?」


 のんびりとした口調。

 リンネは父似だ。


「兄さんに貸していた辞書を返してもらっただけです」


 手には、ちゃっかりと兄の辞書。


 母に嘘をつくのも慣れてしまった。

 しかし、とリンネは思う。


 兄と妹、禁断の愛がバレるくらいならば、兄にきつくあたるべきだし、母に嘘だってつくべきだとーー。


 リンネは知らない。

 

 本当は血が繋がっていない兄であることを。



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