第2話 こんなはずじゃなかった

 俺の名前は、波木泰斗。

 今年の春から高校に入学した、一年生。


 俺が通う『私立森礼学園(しんれいがくえん)』は、本来、進学するはずだった高校とは真逆に位置する中堅高校だ。

 人数はそれなり。美術コースなんて珍しいものもある。

 特進クラスはあるものの、1クラスのみだ。それも在籍人数は少なく、どの学年も20名程度。普通科への転籍も多いらしい。

 数年後には特進クラスがなくなってしまいそうなレベルである。俺もそのうちの一名なので、他人事ではないのだが。

 そして、先日、特進クラスに転校生が一名加わったので、喜ぶべきでもあるのだろうが。

 

 ……素直に喜べない理由がある。


 朝7時。自宅。

 母(現在、庭で水やり中)の用意してくれた朝食を口に運びながら、その転校生のことを考えた。

 

「ふぅ……」


 小さく息を吐いてしまう。朝から気分が重い……なんて思っていたら、目の前から叱るような少女の声が聞こえた。


「兄さん。朝からため息なんて聞かせないでください。気が滅入ります」


 顔をあげると、いつものすまし顔が目にはいる。


 妹の鈴音(りんね)である。

 慎重は高くはないが、頭が小さく、足が長いためにデカく見えるから不思議だ。

 黒く、長い髪。まっすぐで、枝毛の一つもない。きらっきらに輝いている。

 制服は近隣のお嬢様学校のもの。

 彼女は俺の一つ下、中学三年。中高一貫のため受験はないが、鈴音の学力なら、どこにだって転入できるだろう。


「あ、すまん……耳障りだったな……」

「謝るくらいなら早く食事を終えて学校へ行かれたらどうでしょうか。目障りでもありますし」

「つっても、登校するにはまだ早いし……?」

「教室で勉強でもされては? まさかあんな偏差値の低い高校に通うだなんて思いませんでした。大学までレベルを下げられては、兄として人に紹介すらできません」


 兄、絶句。

 日に日に攻撃力増してないか。


 この妹。

 切れ長の目や、冷静な話し方などのせいで、とってもとっつきにくい感じがするが、その通りで、とってもとっつきにくい。


 いや、学校では結構、笑うらしいのだが――俺にはまったく笑いかけてくれない。

 ようするに嫌われているのだろう……。

 小学生のころは「にいさま~、まってください~」とかいって、追いかけてきたのに。

 鈴音が中学一年のころはまだよかったのだけど、去年ぐらい――俺がアリスと付き合い始めたころから、あたりがきつくなってきた。


 あぁ……アリスのこと、思い出しちゃったぁ……。


「はぁ……あ、」


 やべっ。思わずため息が出た。

 味噌汁の椀を静かに傾け、口元が隠れたリンネの、鋭い視線。


「……兄さん」

「ご、ごちそーさまでしたっと」


 俺は勢いよく立ち上がり、食べかけの食事を口にかきいれながら、シンクに食器を運ぶ。リンネの『お行儀が悪いです』という言葉は聞こえないふりをして、早々に家を出ることにした。

 たしかに、家にいたって、ため息ばかりしてしまうし。


 それもこれも、アリスのせいだ。

 俺は、数日前のホームルームを思い出した。




     *



(回想開始)


 森礼学園、一年特進クラス。

 担任が名簿を開きつつ、まったく別の発言をする。


「よし、ホームルームをはじめるぞ――の前に、突然だが転校生を紹介する。入ってきてくれ」


 ざわつく教室内。

 そりゃそうだ。

 まだ六月である。

 入学してからたった二か月しかたっていないのに、転校というのも珍しい。それも中堅私立高校の特進クラスだなんて、わざわざ選んで入るものでもないだろう。


 ドアが開く。

 教室内の温度が数度下がり、そしてすぐに熱くなった気がした。


 俺はといえば、呼吸が止まった。

 比喩でも暗喩でもない。本当に息が止まった。


 しかし時間は止まらず、教師は黒板に名前を書きながら、ざっと説明をはじめた。


「あー、彼女の名前は、灰瀬アリスさんだ。今回、白鳥学園からの転入となった。それ以外は個人情報なので、各々お聞きするように」


『え。白鳥? あの名門白鳥? お嬢様じゃん……』

『なんでハイレベルな進学校から、うちにくるの?』

『いや、ていうか、めちゃくちゃ美人じゃん……あの髪の色、なんだよ……すげえ……』


 俺、絶句。

 リンネに叱られたときみたいに、言葉がでない。


 理由なんて、説明する必要もないだろう。


 ずいぶんと久しぶりに見た気のする、プラチナブロンド。まるで造り物みたいに輝いている。

 昔は氷の妖精なんて揶揄されていた無表情さも、俺と付き合ってからは、どこか薄れており、今も薄く笑っている――ようだ。


 誰に笑いかけているかは確かめていない。

 なんだか怖くて、目が見られなかったから。

 彼女の深い青色の瞳に囚われたら、心臓が止まってしまうだろう。


 ――実際、それからのことはあまり覚えていなかったわけで。


 隣の席にならなくてよかったと、安堵したことくらいしか記憶にない。


 こんな再会が数日前。

 それから毎日、学校での時間が異常なものとなっている。


(回想終了)



     *


「まじで、どういうことだ……」


 すべてを終えて、俺は高校生活に足を踏み入れたのだ。

 俺も行く予定だった白鳥高校は、受験しなかった。

 半面、一緒に行こうと約束したアリスは予定通りに受験をして、当たり前のように難関校に合格した。


 それなのに。


「なんでだよ……」


 いや、愚問だ。


 わかってる。


 アリスのことを誰よりも理解しようとした俺にわからないわけはないんだ。



 あいつは――俺を追いかけてきたんだ。


「男としちゃうれしいんだろうけど……素直に喜べないぜ」


 だって、俺、兄だもん……。

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