インビジブル・スレッド【改稿版】

中里朔

六ッ川陽翔の夢

第1話 夢のひとり歩き

「ハル君」

 呼びかける声に振り向こうとして、目が覚めた。

 なんだかとても懐かしい夢を見ていた気がする。



 ここ数日、ずっと睡眠不足だった。

 ちょっとしたことで思い悩む癖は昔から直らない。気になり始めるとあれこれと考えてしまい、気が付けば午前2時、3時なんてこともしばしば。仕事に完璧を求めても仕方ないのは分かっているが、こればかりは性格だからどうしようもない。


「今日こそは何も考えずに早く寝よう」


 眠りを妨げるほどの大きな仕事はひと段落した。明日は週末。たまには1日中惰眠を貪るのも悪くはない。そんな考えを巡らせながら大欠伸をする。


「よう陽翔はると。お疲れ!」


 缶コーヒーを差し出しながら声を掛けてきた同期入社のシゲ。大学時代を含め、もう6年以上の長い付き合いになる。


「おっ、サンキュー」


「なんだよ、眠そうにしてるな。マッチングアプリで夜な夜な彼女探しでもしてたのか?」


「お前と一緒にするなよ。ここのところ仕事が忙しかったんだ」


「ああ、例のコンペか。でも、ひと区切りついたんだろう? 帰りにどこか飲みに行こうぜ」


「いや、今日は帰って休むよ。また今度な」


 それにしても、眠い……。今夜はぐっすり眠れそうだ。

 風呂に入って、早めに寝よう。




 +  +  +  +  +


 大学の講堂で、講義を受けていた。隣にはシゲもいるし、他の同級生も席に着いて静かに講義を聞いている――

 いや、ちょっと待てよ。今は社会人なんだぞ。なんで大学にいるんだ? あっそうか、これは夢だな。


 気付いた途端に目が覚めた。

 なんだこの夢? 前にも似たような夢を見た気がする……。




 会社の食堂。シゲと昼食を摂りながら、何気なく夢のことを聞いてみた。


「なぁ、夢を見ている時に『これは夢だ』と気付いたことってある?」


「起きてから夢だった、ってことならあるぞ」


「それじゃ当たり前だろ」

 シゲは昔からこんな感じのお調子者だ。

「夢を見ている途中で矛盾に気付いて『あっ夢だ』とわかる時があるんだよ。気付くと目覚めてしまうんだけどな」


「夢を見るってことは、睡眠不足が解消したんだな。眠れるようになって何よりじゃないか」


「だから茶化すなって。なんかさ、いつも同じ夢を見るから気付くようになったんだ」


「ふーん、同じ夢なら『またか』ってなりそうだな。どんな夢だった?」


「大学時代の夢ばかりだな。講義を受けていたり、キャンパス内を歩いていたり……。場所はその時によって違うけど、だいたい同じような場所にいるんだ。何度も同じ夢を続けて見るなんて、何かの暗示だと思わないか?」


「暗示って……。せっかく眠れるようになったのに、難しく考えすぎるとまた睡眠不足に戻っちまうぞ」


「それは、そうなんだけどさ……」


 シゲはあまり興味を持ってくれなかった。ただ、そのあとも夢と気付いて目覚めてしまうことが度々続き、シゲの言うように再び睡眠不足に戻っていた。


 まいったな……。

 昔の夢をよく見る。夢は記憶の断片を組み合わせた映像といわれるから、ただ懐かしい思い出が繰り返されているだけなのか? 夢について調べてみたりもしたけど、求めている答えには辿り着きそうにない。


 大学時代に何か強い思い入れでもあったかな? あるいは、やり残したこととか?

 まぁ、やり残したことがあったとしても、過去に戻ってやり直せるわけではないし……。映画みたいにタイムリープでもできりゃいいけど。

 シゲの言う通り、難しく考えても仕方ないのかな。でもどうせなら、夢だとわかっても目が覚めなければ、なにか思い出すかもしれないのに。懐かしい思い出に浸っているのも楽しいけど、今はとにかくゆっくり眠らせてくれ。




 +  +  +  +  +


 緩やかな坂を歩いて上って行く。少し先の左側に、見覚えのある小さな店が見えた。道路を横断して店の入口で立ち止まる。ここは大学時代に仲の良い同級生と来ていたカフェだ。なぜここに来たのかはわからない。いや、誰かに会おうとしているのか? なぜかそんな気がする。


 ああ、また夢……か?

 気付いたのに、目が覚める様子はないな。このまま眠って夢を見続けたらどうなるんだ?


 カフェの扉を開けてみる。

 扉に取り付けられたドアベルが、カランと甲高い音を奏でる。店主の女性が笑顔で迎えてくれた。すぐそばのテーブルでシゲが美味そうにホットケーキを頬張っている。他にはここでよく見かけるサラリーマンと、奥の席で受験勉強をしている近所の高校生。客席はいつもの常連さんだけだ。

 会おうとしていた誰かは、ここにはいないと感じた。


 理屈に合わないのが夢だとするならば、やけに現実味のある明晰夢めいせきむだった。

 本当になにかの暗示じゃなければいいのだが……。



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