第2話 落ちこぼれキューピット

「キューピット……?」

「はい、その通りです」


 舞い降りた天使は、やむなしと言った様子で語った。


「私は縁結びの神様から遣わされたキューピットです。お祈り頂いたあなたのご要望に応えるべくはせ参じました」


 彼女はそう言うとうやうやしくお辞儀をした。


「僕はてっきり君が運命の相手なのかと」

「キューピットは恋愛をしてはいけない決まりがあるのです。なので……ごめんなさい」


 彼女は申し訳なさそうに眉を八の字にした。


「心底残念だ……」


 こんなに可愛い天使が彼女だったら……

 と、描いていた幸せな未来がまたたく間に霧散していく。


「だ、大丈夫です。あなたには素敵な恋人ができます!」

「そうは言ってもこれまで100回恋して一度も実ってないよ?」

「きっとまぐれです。私があなたの運命の相手を絶対に見つけます!」


 彼女は僕の両手をにぎり、力強い笑みを浮かべた。

 後ろから光が差して見える程の尊い笑顔だ。


「私には恋愛運を高める能力があります」

「恋愛運を高める能力?」

「はい。縁結びの神様から授かった力です。恋に迷える皆さんを導く不思議な力を与えられているのです」


 彼女はえっへんと胸を張る。

 どうやら、いわゆるキューピットのイメージ通りの力を持っているらしい。


「普段は人間の方々からは見えないよう霊体化した状態でみなさんをサポートしています」


 彼女はふっと姿を消し、次の瞬間には僕の隣に姿を現した。


「でも、なんでさっきはヤンキーたちに見つかっちゃったの?」

「あなたの尾行に集中し過ぎて、うっかり実体化しちゃったみたいです」


 彼女はそう言うと、えへへ……と頭をかいた。


「安心してください。ちょっと間抜けな私ですけど、あなたのことは必ず私が幸せにします!」

「あ、ありがとう……?」


 僕はいまだに困惑しながらも、彼女のことをもっと知りたくなった。


「そういえば、キューピットさんのお名前は?」

「自己紹介が遅れました。私はアモルと申します」


 アモルさん。可愛い名前だ。


「僕は持手無一人。理解がまだ追い付かないけれど……とりあえずよろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 僕が差し出した手をアモルさんの白魚のような手が優しく握る。


(これがキューピットの手か……)


 彼女の手はとても柔らかく、ふしぎな感触だった。

 そうして僕とアモルさんが握手を交わしていると、


「誰か、その人を止めてください!」


 付近から女性の声と足音。

 見るや男がバッグを抱えて走っている。

 どうやらひったくりらしい。


「さっそく恋愛イベントが始まったようです」

「恋愛イベント?」

「はい。私がそばに居ることで恋愛につながるできごとが次々と起こるようになります。さあ、一人さんは男の人を捕まえてください」


 彼女はそう言うと、弓矢を携えて翼を広げる。


「私はこの弓矢で恋心に火をつけます!」


 言いながら上空へ飛び立つアモルさん。

 なるほど、あの弓矢には恋愛感情を高める効果があるらしい。


「そこをどけえ!」


 声に視線を戻せば、ひったくり犯が前方から勢いよく迫ってくる。


「ここは通さないぞ」


 僕は男をひっ倒し、馬乗りに。


「なんだお前っ。邪魔だ! くそ、離れろ!」


 彼はあまり力が強くないらしい。

 細身の僕でも苦労なく御することができた。


「はあ、はあ。追いついた……」


 そこへ被害者の女性が駆けつけた。

 背後の上空には弓矢を構えたアモルさんの姿が。


「(いきますよ、一人さん)」


 アモルさんはアイコンタクトで僕に合図し、女性に矢を放った。

 しかしその矢は外れ、地面に刺さったかと思えば光になって消えた。


「(あ、あれれ?)」


 その後もアモルさんは矢を放つが、次々と外していく。


(が、がんばれ……!)


 僕は内心でエールを送り、祈る。

 その甲斐があったかどうかは分からないが、やっとのことで矢が女性に命中。

 背に刺さった矢は光になって消えていったが、女性には変化が。


「……! あの、あなたは……」


 僕の方を見つめる女性の瞳には、ハートが浮かんでいた。

 様子から察するに、どうやら彼女は僕に好意を抱いたのだろう。


「あ、あの……」


 女性はとろんとした目つきのまま、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。


(ついに僕にも彼女が……!!)


 僕が勝利を確信し、内心でガッツポーズを決めていると――

 女性はしゃがみこみ、僕ではなく僕が取り押さえているひったくり犯と目を合わせた。


「もしかして、そーちゃん?」

「……みーこ。覚えててくれたのか」


 二人は互いに見つめ合う。


「そーちゃん。私、ずっと寂しかったんだよ?」

「俺だって寂しかった。でもお前は俺の心を盗んだまま、俺のことを見向きもしなくなっていった」

「だから……だから私からも大切なものを盗もうとしたの?」

「ふっ、察しがいいな」


 彼らはただならぬ雰囲気で語り合っている。

 男の背にまたがっている僕のことなどそっちのけだ。


「私だって、あなたにずっと恋心を奪われたままだったのに!」

「……えっ?」


 女性は涙を浮かべ、男は驚きの声をあげた。


(えっ? えっ?)


 僕はただ両者の顔を交互に見て混乱している。


「……俺たち、好き同士だってこと?」

「そう……なっちゃうね」


 女性はそう言って照れくさそうに笑った。

 僕はなんとなくいたたまれなくなり、男の背中から降りた。

 男と女性は立ち上がり、その場で見つめ合うと……


「みーこ」

「そーちゃん」


 互いの名を呼び、抱擁した。







「あの……ありがとうございました!」

「アンタのおかげで、俺たちは素直になれたよ」

「い、いえ」


 二人は僕に感謝を告げると、「それでは」と言って去って行った。


(良かったな、幸せになれて……)


 彼らの背中を見送り、しみじみしていると。


「ひ、一人さん!」


 上空からアモルさんが舞い降りて来る。


「すみません。好意の矢印が上手く一人さんに向いてくれなかったみたいです。はあ、どうしてこうなるのでしょう……」


 彼女はずぅんと表情を沈ませ、その場にくずおれた。


「実は私、落ちこぼれなのです。誰かを幸せにしたくてキューピットになったのに、失敗続きで……」


 そう言ってアモルさんは「うぅ……」と泣き出した。


(もしかしたら、自信が足りないのかもしれないな)


 僕は涙する彼女を励ますべく、口を開く。


「アモルさん。今回は結果オーライとも考えられないかな?」

「結果オーライ、ですか?」


 潤んだ瞳が僕を映す。


「そ。あの二人は幸せそうだったじゃないか。好意があの男の人に向いたことで、ひったくりの罪もうやむやになったし……誰も不幸にもなってない」


 ぱちくりとまばたきする愛らしい目を見つめ、続ける。


「結果としてアモルさんは『誰かを幸せにする』という目的を果たしているんだ」

「……! たしかに、そうですね……!」


 元気を取り戻したのか、アモルさんの表情がぱあっと明るくなる。


「そうやって、君が笑顔になってくれたら僕も幸せだ」

「えへへ。お上手ですね、一人さんは」


 アモルさんは天使の笑顔でそう語った。

 それからその笑顔に自信をみなぎらせ、続ける。


「なんだか、私の方が助けられちゃいましたね。次は一人さんにも素敵な恋人を作って見せますから!」

「……うん、わかった」


 僕も頑張ろう。彼女の笑う顔をまた見るために。

 口には出さず、内心で決意した僕だった。

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