第8話 カルマ(1)


 教会から逃げ出した夜から数日間、どこまで歩いても瓦礫の山ばかりで、あの日襲った地震の甚大さが伺えた。


 最後に食べたのは薄い肉1枚で、それじゃなくても飢餓状態にあった私は、他の野良同様、半倒壊して無人になった肉屋の棚から肉を拝借して日々を過ごしていた。

 復興が遅々として進まないある日、私は肉屋に集まる野良犬や猫の内、1匹の白猫に目が留まった。

 その猫は毛並みが良く、どこか神々しさを感じさせた。


飼い猫だったのだろうか?


 そう思っていると、猫の方も私の視線に気付いたようで「ニャァ」と一声鳴き、こちらに近付いてきた。すると、


「お前、面白い体をしているね」


と犬の言葉で話掛けてきた。



 猫の名はセシル。曰くこれまでに7回転生していて、今から1000年以上前の1回目の生では、英雄エービィッヒ(本当に居たんか)と共に数々の化物と戦った神獣で、今は気高い魔法使い猫……らしい。

 彼女の話を聞きながら『設定盛り過ぎじゃない?』と思っていたら「真面目に聞け!」と猫パンチを食らった。


「『真面目に聞け』も何も……嘘臭い……」

「どこが!」

「いや……全体的に……」

「お前、無礼だぞ!私が神獣だった頃なら、お前なんてパンチ1発であの世行きなんだからな!」

「へぇ……そりゃあ残念だね」


 薄ら笑いでそう答えたら「なんだ?お前死にたいのか?」と神妙な面持ちで訊かれた。


「別に。考えた事ない」


 不思議なモンで本当に1度も考えた事がない。教会に監禁されていた時ですら、だ。

 まぁ『それどころじゃなかった』と言ったらそれまでなんだが。


「そうか……」


 セシルは改めて私を見ると「しかし、お前は本当に面白い体をしているね」と呟いた。


「その“面白い”ってのは具体的にどういう意味?」

「解読出来そうで出来ない」

「?というと?」

「きっと体に超回復の魔法が常時掛かってるんだと思う。だが普通、術者は他人を治癒する事は出来ても自分を治癒する事は出来ないもんだ」


 『そういえば、ドルータも自分が怪我した時は回復魔法使ってなかったな』とぼんやり思っていると、セシルは


「そんな芸当、エービィッヒ様位の魔力が無ければ出来ないハズ……それなのにお前には魔力がほとんど無い……そんな奴にこんな超次元的な魔法、使える訳が無いんだ。一体どうやって……いや……そもそもこれは魔法では無いのか……」


と何やらぶつぶつ言っている。

 私は何だか居心地が悪くなって「そんな事より、なんでアンタは犬の言葉が喋れるの?」と訊けば


「私は7回転生した元神獣だぞ?他の生き物の言葉を理解し、話すなど雑作も無い」


と、彼女は胸を張って答えた。


「ふーん」

「訊いたのなら興味を持て!」


 私は再び猫パンチを食らった。


「あっ。そういえば、お前の名前をまだ訊いてなかったな」

「あぁ……」


 私は過去の、どの名前も答えるには違う気がして「好きに呼んでくれて良いよ」と言った。


「ふーん……では“カルマ”と呼ぼうかな」

「カルマ?“世捨て人”とか、別の国じゃ“業”って意味じゃなかった?」

「よく知ってるね。……お前にはピッタリだろ?“エービィッヒ様の遣い”さん」


 セシルはニヤリと笑った。しかし、その目の奥は笑っていない。


「別に自分からそう名乗った訳じゃないよ」

「だろうな。大方、その超回復を人間に見られて担ぎ上げられたってとこだろう?」

「よく分かったね」

「分かるだろ。しかし、逃げてきて良かったのか?さぞ良い暮らしをしてたのでは?」

「最初はね。途中から腹を割かれても死なない、金のガチョウ扱いだったよ」

「なるほど。なら、もっと早く教会を壊滅させるんだったな」


 そう言ってセシルはクシクシと顔を洗った。


「……まさか、あの地震はセシルが……?」

「んな訳あるか!“エービィッヒ様の遣い”を名乗る不届き者が居ると聞いて、この街に来たら被災したんだ。……まぁ、あの教会を潰す手間が省けた。あそこは近年、エービィッヒ様の名の元に好き勝手やってたからな。当分は活動出来まい。」

「ふーん」

「……カルマ、お前これからどうするつもりだ?」

「どうって……」


 出来れば、あの森に帰りたい。ただ、軍に拾われて以降色々な場所を転々としたから、あそこがこの国のどこにあるのか、分からないのも確かだった。


「行く当てが無いなら、私についてこい。お前を利用しようとする人間から逃げられるよう、魔法を授けてやる」


そう言って、セシルは私の顔を舐めた。



 彼女と一緒に、街の外れにある寂れた物置小屋に住む事になった。曰く殆ど人が来ないからのびのび出来るのだと。「ただ、たまにイタチが入ってくる事がある」とも言っていた。


 セシルから出された魔法取得の為の修行内容は2つだけだった。

川で魚を獲る事と、その後日向ぼっこする事。


「……魚が食べたいけど、自分で獲るのが面倒なだけだろ」

「何を言う!水と云うのは生命の源であり、私達の体内にも流れるもの。水の流れを掴むという事は己が魔力の流れを掴むという事。この修行での“魚”とは、体外に放出される魔法と同義であって……」

「分かった分かった。やるよ」

「ちゃんと聞け!」


 ポカリと前足で鼻先を殴られた。


「それで?日向ぼっこの方はどんな意味があるのさ?」

「水に濡れたなら体を乾かす必要があるだろ」

「普通に日向ぼっこじゃねぇか」


 実質、修行内容は1つだった。



 それから私は、ほぼ毎日のように川で魚を獲るようになった。

 最初の内は全然獲れなくて、食事用の魚はセシルの魔法で獲る事が多かった。

 だが、コツを掴んでからは小魚位は普通に獲れるようになり、ひと月もすれば、ちょっと大きめな魚も獲れるようになった。

 しかし、セシルに言わせると「それは普通に魚を獲ってるだけだ!もっと水の流れを見ろ!」との事だった。

 彼女に、私が獲ってきた魚をハグハグ食べながら謎の叱責をされる度「なら食うな」と言う言葉が口から出かけた。



 日々の魚獲りが魔法の修行ではなく、ただの日課になりつつあったある日、セシルと街へ行った。

 その日は街で祭りがあり、屋台飯のお零れを貰いに行こうという話になった。

 途中「近くに知り合いの猫がいる」との事で彼女とは別れて行動をした。


 それからしばらくして、セシルが妊娠した。父親は街のボス猫だそうだ。

 私は彼女とボス猫との馴れ初めを聞きながら『あぁ、マジに“猫”なんだな……』とぼんやり思った。


「という訳で、お腹の子達の為にもこれまで以上に魚を獲って貰うからな!」

「……了解」



 初めての出産の時は、セシルよりも私の方が余裕が無かったように思う。あまりに落ち着きがなかった為、彼女に「外に出てくれ」と追い出された。


 その時産まれた子は5匹で、皆、生まれつき魔法が使えた。

 子猫達は、小さい時は私の事をカルマ“さん”と呼び、私の尻尾で遊んだり噛んだりしていたのが、大きくなるにつれ、私が魔法を使えないと知ると、分かりやすく舐めた態度を取るようになった。

 『ピロールといい、魔法が使えるのがそんなに偉いのか』とちょっとイラついた記憶がある。


 生後半年もすると、子猫達は皆一人立ちし、セシルとまたふたりの生活になった。



 川で魚を獲り、魚に飽きたら鳥を狩り、たまに街に行っては、セシルがボス猫の子を妊娠し出産。子猫を半年間必死で育て、巣立ちを見守る……

 そんな事を何年も繰り返して暮らしていた。


 セシルは、本人ならぬ本猫曰く“特別”らしく、他の猫より老いるのが遅かったが、それでも私と違って段々歳を取っていった。


 彼女と暮らすまで、一緒に歳を取っていけない事がこんな寂しいとは知らなかった。



 ある時から足腰が弱くなったのか、セシルはあまり歩かなくなった。すると食も細くなり、その内に痴呆が始まった。

 話掛けても反応が悪く、不安になると意味もなく私を呼びつけるようになった。

 ただ、私の事は忘れてしまっているようで、私を“エービィッヒ様”と呼ぶ。


 もう長くないだろうなと思った。



彼女から死の匂いがするようになったある日「カルマ」と呼ばれた。

 一瞬、久々に聞いた自分の名を認識出来なくて返事が遅れてしまった。すると、セシルは「自分の名前だろう?分からなくなったのか?」と笑った。


「そうじゃないけど……」

「カルマ。こっちへ来なさい」


 彼女の側に伏せると、私の毛繕いをし始めた。


「知ってる?猫はね、1つの魂で9回転生出来るんだ」

「あぁ。なんか聞いた事あるな」

「私はあと1回転生出来てね。だから、次生まれ変わっても一緒に暮らそう」

「……熱烈だなぁ」

「だってお前、まだまともに魔法使えないし」

「そういう理由?」

「師匠としてはそんな弟子を放り投げる訳にはいかないだろう?」

「ロクな修行をつけてくれなかったけどね」

「うるさい」


 そう言って、セシルは私の鼻先を前足で殴った。



 そのやり取りから3日後の夜、セシルは眠るように息を引き取ったのだった。


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