第7話 エービィッヒ様


 軍用犬として飼われて5年目の夏、私は満期除隊した。


 除隊後はレオンの友人だという男に引き取られ、男の家族と共に暮らす事になった。

男の名はクラウス、妻の名はハンナ。子供はおらず、2人で生活している。


 引き取られて1年間、本当に穏やかな毎日だった。

 転機が訪れたのはクラウスの仕事の関係で田舎に越した事だった。


 夫婦の家の隣に住むミュラー一家は何とかっつー宗教を熱心に信仰していて、犬好きだった。

そんな一家にクラウス達は宗教観の違いから当初ちょっと引き気味だったが、犬とは偉大なモノで、その内私を介して両家は交流するようになった。


 そんなある日、一家の末娘が道に飛び出し、馬車に轢かれそうになった。

その近くをハンナと一緒に散歩していた私は、彼女の手元が弛んだ瞬間、咄嗟に娘を体当たりして助けた。しかしその直後、体を馬に踏まれ、挙げ句後ろ足を車輪に潰された。


 ハンナと一家の夫人に急いで助け出された時、私の体は既に再生を始めていた。

ハンナは気味悪がったが、夫人は目を輝かせ「この子はエービィッヒ様の遣いだわ!」と叫んだ。

 曰く“エービィッヒ様”とやらは一家が信仰する宗教の聖人だそうで、不死身なんだと。その聖人は自身の不死性を生かして化物と戦い、沢山の人を助けた……らしい。

 夫人は、私が元軍用犬で、軍では【必ず帰還する伝令犬】【雪山で生き残った犬】と呼ばれていた事をその聖人の逸話と結び付けて、ますますその妄想を強め、挙げ句私を「然るべき施設へ預けるべきだ」と言い出した。

 クラウスは「レオンの置き土産である私を手離したくない」と嫌がった。しかし、日を追う毎に一家や一家と同じ宗教を信仰する信者から詰められ、時には嫌がらせをされるようになった。


 追い詰められたハンナはクラウスの外出中に私を一家に差し出した。

私は憔悴しきった彼女を責める気にはなれなかった。


 しかし、後から思えば、逃げるならこのタイミングだったのだ。


 私は一家に連れられ、豪奢な教会に預けられた。



 教会での暮らしは、初めはとても良いモノだった。


 毎食良い肉を食わせてもらい、朝夕は庭で運動をし、たまに信者等に撫でられる。此処では私の“不老不死”も受け入れて貰えてるから逃げる必要もない。

 『2度と教会の外には出られないかもしれないが、こんなに大事にされるのなら此処で過ごすのも悪くはない。』そう思っていた。


 彼等がクラウス達にした仕打ちが頭から抜けていたのだ。


 ある時から“御守りにするから”という理由で、血を抜かれるようになった。

 その内に「どうせ再生するから」と足や耳を、果ては腹を切られ内臓を取られるようになった。

 どうやら教会の人間が、信者の寄附金額に応じて私の体の一部を“必ず家に帰れる不死の御守り”として売り捌いてるようだった。

 主に軍人やその家族の信者が買ってるようで、まだ国内情勢が安定してない中で、御守りは求められた。


 教会の人間は欲深く「どうせ死なないから」という理由で私の食事も出し渋るようになった。

 毎日出ていた食事が2日に1度になり、4日に1度になり、最終的に7日に1度になった。(それ以上は体の再生に時間が掛かるからだ。)



 飢餓と度重なる損傷と再生で、私はこれまでに無い程衰弱していた。でも死ぬ気配は無い。


 このまま2度と空の下を走る事は無いのだろうか。


 瞼を閉じてる間、昔を思い出す事が多くなった。辛い別ればかりだったけど、幸福な瞬間も確かにあった。


 あの森に帰りたい。


日に日にそう思うようになった。



 その日は食事の日だった。出された薄い肉をゆっくりと咀嚼していると、地面が微かに揺れている事に気付いた。すぐに揺れは大きな縦揺れとなり、近くにいた教会の人間は立っていられず、中腰になりながら部屋を出ようとしている。揺れは長く、屋根や柱がミシミシと音を立て始めた。


崩れる。


 そう思った瞬間、天井が落ちてきた。



 地震が起きてからどれ位経っただろうか。

何とか瓦礫から這い出した私は辺りを見回した。

 そこには半壊した教会と崩れた箇所の下敷きになったらしい人、そして久々に見た夜空があった。


自由だ。


 私は駆け出していた。


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