第5話 シュトゥルム(1)


 ハンス達と別れてからずっと、森で狩りをしながら生活している。


何度冬を越えただろうか。


 普通の犬ならとっくに天寿を全うしていてもおかしくない年月を、私は生きている。


 ここ数年は特段、狩り以外にやる事も無いので、不老不死の特性を生かして、食べられるキノコや木の実探しに挑戦している。

 仮に外れても下痢と嘔吐で苦しむだけだ。死ぬ事は無いし、なんだったら生きてる実感すらある。まさか自分がマゾヒストだとは思わなかった。


 そんな日々を過ごしていた、ある夏の日、私は久々に食べたくなって、ウサギを追っていた。

 そのウサギは存外頭が良い奴で、こちらを走りで翻弄した。そうなると、私も長年狩りで生活をしてきたプライドが刺激されて、途中から『絶対に捕まえてやる』と意地になっていた。

 ウサギを追って追って……気付いたら森の外に出てしまった。


 飛び出た先は街ではなく、だだっ広い砂の平地だった。


 私は一瞬、街が無くなってしまったのかと困惑したが『きっと街とは別の方向の場所に出たのだろう』と、自分を落ち着かせた。なんたってあの森は広い。あり得ない話じゃない。


 久々に木々以外の光景を見た私は、少し周りを歩いてみる事にした。


一体此処はなんだろう?


 海辺の砂浜にしては広い気がするし、所々砂が盛り上がってるのも気になる。しばらく歩いている内に、遠くの方に塔のような物が見えた。瞬間、サッと血の気が引く。


戦場だ、此処は。


 『森に戻らなければ』と来た道を引き返そうと、足を踏み出したのと同じタイミングで、頭上で爆発が起きた。

 私の体は爆風で吹っ飛ばされ、耳は爆音で聞こえなくなった。

 しかし、すぐに体勢を整えて走り出す。


 そこかしこで爆発が起きる。確実に私を狙っているのが分かった。


舐めるなよ。


 私は走りのギアをもう一段入れ、爆風の中を駆け抜ける。


 森まであと数メートルの所で見えない何かに衝突し、その衝撃で気を失ったのだった。



 目が覚めると、そこは檻の中だった。外は薄暗くてよく見えないが、近くに犬が複数いる事が匂いで分かった。


ここは保健所の類いだろうか。


 嫌な想像が頭を過る。しかし、考えてもどうしようもないので、皿に盛られた餌に口をつける事にした。仮に毒が入っていたとしても死なないし。

 数年振りに食べた犬用の餌は中々良いモノで、思わずがっついてしまった。すると「お~、良い食べっぷりだな~」と茶化すような声が聞こえてきた。声のした方を見ると、いつの間にか若い男がしゃがんでこちらを見ていた。


「こんにちは。野良犬さん」


それがハンドラーであるレオンとの出会いだった。



 私が収容されたのは軍の施設だった。私の檻の外にいた犬達は皆軍用犬で、あの日戦場に迷い込んだ私は、足の速さを見込まれ、戦場の伝令犬として飼われる事になった。

 新しい名は“シュトゥルム”

レオンが付けた。


 驚いた事に、私以外の軍用犬達は各々1種類だけだが“魔法”が使えた。

同じチームで、全軍用犬のリーダー格であるアギロは爆破、いつもヘラヘラしているダフニスは火炎、おっとりしているドルータは回復、双子のブリッツとシュネーは電撃と氷雪。

 回復魔法が使える犬は看護犬として、他の犬達は戦闘補助も出来る伝令犬として従軍していた。


 彼等と出会って私は本当に驚いた。『この世界、魔法とかあるんだ……』って。


 レオンは私にも何かしらの魔法を覚えさせようとしたが、どうやら私には魔力というモノがほぼ無いらしい。

 彼は魔法を早々に諦め、私の脚力を上げる事に注力した。



 軍用犬になって半年を過ぎた頃、レオンや他の犬達と共に軍初の雪山訓練に参加する事になった。

場所が“真冬の雪山”で“山に不慣れ者ばかりの集団”というシチュエーションに“遭難”という単語が頭に浮かんだ。

 私はどうしても行きたくなかったが、犬に拒否権は無く、無理矢理連れて行かれた。



そして、案の定遭難した。


 予想外だったのは、軍の人間が洞窟に、私達犬を置いていった事だ。

 『寒さに強い訳でも無い犬達を連れて下山出来ない』というのが、上官達の判断だった。

 レオン達ハンドラーは必死で抗議したが、上官命令には逆らえず、最終的には命令を受け入れた。


 レオンは泣きながら「必ず迎えに来るから此処で待ってて」と言って、持ってきていた餌を全て置いて、人間の仲間と共に雪の中に消えていった。


 残された犬達は絶望したり、楽観的な者は「すぐ迎えが来るでしょ」と呑気に残された餌を食べたり、と様々な反応だった。

 私は彼等を横目に狩りに出掛けようとすると、アギロに止められた。


「どこに行くつもりだ」

「別に。獲物を狩りに行くだけだよ。ちゃんと戻ってくる」

「此処で待機するのがレオン達の命令だ。外出は許さん」

「私はクソみたいな命令を守るつもりないよ。それともアンタは、命令を守って此処で皆を餓死させるつもりなの?」


 アギロの眉間に皺が寄った。


「どういう意味だ」

「そのまんまだよ。レオンが置いていった餌なんて、皆でチマチマ食ったとしても1週間しか持たないだろうよ」

「1週間も持てば大丈夫じゃない?その頃にはレオン達だって戻ってくるハズ……」


 ドルータが希望的観測を口にした途端、周りの犬達もそうだそうだと賛同した。


「戻って来なかったら?」


 私がそう言うと、洞窟内は水を打ったように静かになった。


「……僕等……このまま此処で死ぬんだ……」


 シュネーがボソリと口にした。アギロが「滅多な事を言うな!」と一喝した。


「シュトゥルム。お前の意見も分かる。だが今、皆を不安にさせるような事を言うのは謹んでもらおう」

「……悪かったよ」

「それに俺達はチームだ。勝手な行動は許さん」

「それなら、私は皆の為に餌になりそうな物を獲ってきます」

「だから……」

「仮に私が自分で狩ってきた物を食べれば、その分、そこにある餌が浮く。皆の食う分が増えるんだ。悪い話じゃないだろ?」

「でも、獲れなかったら?シュトゥルムが飢える事になるわよ?」

「別に。こちとらちょっと前まで森で生活してたからね。冬場に食えないのは慣れてる」

「そういう問題じゃ……」

「そういう問題なんだよ。食わなくても大丈夫な奴が他に譲る。皆の為に、食えそうなモノを獲ってくる。どちらも褒められても良い位の事でしょう?」


 私はアギロを言い負かし、洞窟の外に出た。天気は晴れ。「これならウサギ辺りが獲り易そうだ」と雪原を歩き始めると、後ろからダフニスがついてきた。


「何?」

「ん~?俺も狩りに同行しようと思って。あっ、アギロにはちゃんと許可取ってあるよ?『シュトゥルムが心配だからついていくね』って」

「そうかよ。……アンタ、狩りの経験は?」

「無い!だから教えてね?」

「……了解」



 ふたりで獲物を探しながら歩く。雑談がてら「何故私についてきたのか」と、改めて聞いた所


「俺、あと1年で満期除隊なんだよね~。だから『絶対それまで生き残らなきゃ』って思って。シュウちゃんに狩りを教わった方が生き残る確率上がりそうだしさ。」


という答えが返ってきた。私が

「満期除隊も何も……アンタ、レオンが迎えに来ると思ってるの?」

と訊くと、ダフニスは


「うん。来るよ。アイツは約束を守る男だ」


と、まるで『信じてやれ』と言うように、真っ直ぐ私の目を見て言った。



 しかし、レオン達は10日待っても来なかった。

 最後に彼等から貰った食料は丁度1週間で底を尽き、数日前から皆、私とダフニス、アギロで獲ってきた野生動物を食べて凌いでいる。


 置き去りにされて2週間が経った頃、ダフニスがやたら咳き込むようになった。彼曰く「ちょっと喉が乾燥してるだけ。すぐ治るよ」との事だったが、日に日に風邪は悪化していった。

 ドルータの回復魔法では病は治せないようで、私達は見ている事しか出来なかった。


 その内にダフニスから“死の匂い”がするようになった。



 彼から匂いがするようになった翌日、洞窟の外からアギロと他のチームのリーダー犬が争う声が微かに聞こえてきた。

 断片的に聞こえてくる単語から推測するに『このままダフニスを洞窟内に置いておいたら、他の犬にも風邪が感染する。まだ動ける内に洞窟から追い出すべきでは』と話しているようだった。

 きっと、ダフニスにも聞こえていたと思う。


 話を終え、洞窟内に戻ってきたアギロは、険しい顔をして、ゼエゼエと口で息をするダフニスの前に立った。


「ダフニス」


 アギロがそれを言う前に、私は彼を押し退けた。


「ダフニス。今、楽にしてやる」


 ダフニスは全てを悟ったようで「馬鹿な子だね」と薄く笑った。


「何か言い残す事はある?」

「………。はじめてだから……優しくしてね」

「善処するよ」


 私は彼の首に噛み付き、グッと力を込めた。痛むのだろう、ダフニスが呻いた。

 一瞬怯みそうになったが『目の前に居るのは子鹿だ』と自分に言い聞かせ、思い切り噛んだ。

 瞬間、聞き慣れた、だが初めて聞く音が口腔内に響いた。



 私はそのまま、ダフニスの体を洞窟の外へと運んだ。

背後から「外道め」と罵る声が聞こえたが何も感じなかった。


 洞窟を出て3メートル程進んだ時、急にアギロが隣を歩き始めた。


「交代しよう」


そう提案されたが、無視した。



 ダフニスを殺してから洞窟内の火を保てなくなった。今まで彼の魔法で火を維持していたからだ。

 火の消えた洞窟内は寒く、皆で身を寄せあっても震える程だった。


 その内、体の弱い者から凍死するようになった。


 置き去りにされた当初、18匹居た犬達はひと月で半分になった。


 ただ、悪い事ばかりでもなく、ひと月を越えた辺りから外気温が少し上がった。

 春が近付いてきているのだろう。雪はまだまだ残っているが、日中は日が差して少し暖かい。獲物である動物も段々活発になってきている気がする。



 それから、もうひと月が経って生きている犬は私を含めて6匹になった。



 その日は久々の晴れで、皆で狩りをしに出掛けようとしていたところだった。

 先に洞窟を出たブリッツが「人だ!」と叫んだ。


 慌てて洞窟を出ると、遠くの方に人間が見えた。

その人間は集団でこちらに向かって歩いて来てるように見えた。


 人間達が15メートル程の距離まで来た時、私以外の犬達は彼等の元へと走っていった。


だが、私は動けなかった。


 レオン達が迎えに来た喜びより、何故もっと早く来てくれなかったのかという憤りの方が強かった。


そもそも、雪山訓練に犬達を連れて来なければ……


 体の中を、どこにも行き場のない感情がグルグルと回る。


 「シュトゥルム!」と名を呼ばれた。

前を向くと、目に涙を浮かべたレオンが立っていた。


 不意に、ダフニスが言っていた言葉を思い出した。


「うん。来るよ。アイツは約束を守る男だ」


本当だったな。ダフニス。



 私は、感動の再会とばかりに抱き締められるのも癪だったので、目の前の男の股間に、思いっきり頭突きをしてやったのだった。


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