第3話 ツヴァイ


 家を出て、私は森へ行く事にした。


森でひとり暮らそう。


 不老不死の生き物が誰か…特に人間と暮らす事はリスクでしか無い。いつか体質がバレた時、どうなるか想像に難くない。

そう考えると、気付かれる前にトーマスを見送れたのは運が良かったとも言える。


 森へ行くには街を通り抜ける必要があった。いつかトーマス達と通った石畳の道をひとり歩く。

 街では野良犬は珍しくもないので、犬が1匹で歩いていても誰も気にしない。

 近道に少し細い道を通った時、10代そこらだろうか、ちょっと汚ない子犬が家のドアの前で何事か叫んでるのが目に入った。


「お父さん、ごめんなさい!私、良い子にするから!」


家の中に居る飼い主に許しを乞うその姿に、人間だった頃の記憶が刺激される。



『私が悪いの』


 夏でも長袖だった楓の腕に見付けた、赤黒い、小さくて丸い、火傷の痕。

 煙草の火を押し付けられたのであろう事が一目見て分かった。



「お父さん……お腹減ったよ……中に入れて……」


 ドアの前で鳴き、カリカリと前足で戸を掻く子犬と、あの時の楓が重なる。見ていられないのに、どうしても子犬から目が離せなかった。

 少しして、ドアが開き中から“お父さん”らしき中年の男が出てきた。

 右手にトンカチのような物を持ってるのが見えた。嫌な予感に肌が粟立つ。気付いたら走り出していた。


「お父さん!」

「さっきからウルサイんだよ!」


 男が子犬の頭にトンカチを振り下ろそうとした瞬間、私は男の左ふくらはぎに噛み付いた。


「イテーッ!!!」


 男は体勢を崩し倒れ込んだ。

その隙に、私は呆然とする子犬の首元を咥え逃げた。



 街の中央にある噴水の前まで来たところで子犬から口を離すと、子犬は目を吊り上げ「人を噛んじゃいけないんだよ!」と私に吠えた。


「あそこで私が噛んでなきゃアンタ死んでたよ」

「そんな事ない!」

「……実際、あの男はトンカチを振り下ろそうとしてたろ」

「お父さんはそんな事しないモン!」


 「どうしよう……お父さん、許してくれなくなっちゃうよ……」と項垂れる子犬に苛立ちが募る。


アンタもあの子も、どうして分からないんだ。


「アンタ、あの男に頭カチ割られないと分からない訳?」

「何を…」

「アイツは“ウルサイから”って理由でアンタみたいな子犬を殺そうとしたんだよ!?そんな奴にアンタに対する愛情がまだ残ってると思う?!!」


 怒りから、思わず怒鳴るように言ってしまった。子犬はショックで固まっている。しかし、しばらくすると「でも……私ひとりじゃ生きていけないモン……」と小さく溢した。


「それなら、私が獲物の捕り方を教えてあげる」


 そんな言葉が口をついて出た。



 子犬の名前はビシュラといった。

 ちなみに、ビシュラに名前を訊ねられた際、何となく人間だった頃の名を答えたら「ツヴァイ?」と聞き間違えられ、挙げ句それで定着してしまったので、今の私は“ツヴァイ”だ。


 これから森で生きる為の住処をふたり探していると、ビシュラが大樹の根元に大きな穴が開いてるのを見付けた。

 既にタヌキという先客が居るんじゃないかとも思ったが、入ってみると生活感が無かったので、ここを新しい家にする事にした。

ビシュラが「ちょっと狭いね」と笑った。



 私達の1日は湧き水で喉を潤す所から始まり、あとはずっと獲物を探して歩き回る。

 だが、ビシュラはまだ子犬で、あまり家から遠くまでは行けない為、狩りはほぼ私の役割だった。

 いつかレンツに教えてもらった(というより講釈を垂れてきた)方法を思い出しながら気配を消し、獲物を捕る。

 今までの狩りでトドメを差すのはトーマスの仕事だったので、初めて鳥を噛み殺した日はあまり食欲が湧かなかった。


 獲物が取れなかった日はビシュラとふたり、早々と眠っていたが、あまりに取れない日が続いた時、意を決して椎茸っぽいキノコやどんぐりを食べてみたりした。

それらは意外と、食べても体調を崩さないのが分かった為、腹が減った時は積極的に食べるようになった。

 ただ、一回調子に乗ってどんぐり以外のよく知らない木の実を食べた時、ゲエゲエ吐いて腹も下したので、いつも食べてる物以外は食べないようにしている。

あれをビシュラが食べなくて良かったと心底思った。



 春が過ぎ、夏を越え、秋になる頃にはビシュラは子犬から成犬に近い年齢になった。

 その辺りから一緒に狩りに出掛けるようになったが、彼女には狩りの才能が無かった。

 こればっかりは仕方がない為、引き続き狩りは私の、キノコやどんぐり集めは彼女の仕事となった。


 そうこうしている内に冬が来た。

 最初の頃は確かに寒かったが、雪が降る事も、降っても積もる事が無かったが、日が進むにつれ狩りに出掛けられない程の猛吹雪の日なんかも出てきた。

 そんな日は秋の内に集めておいたキノコ類を食べて寝る。

 しかし、1日2日と続くと備蓄も減る一方なので、吹雪や豪雪の中狩りへ出掛ける事もしばしばあった。



 備蓄が底をついた頃、ふたりともガリガリに痩せていた。

 雪で匂いや視界が遮られる事に加え、腹が減り過ぎて狩りを失敗する事が増えていき、また腹が減るという悪循環に陥っていた。

 秋にはあれだけ見付かったキノコも全然見付からない。


 その内、ビシュラは寝て過ごす事が多くなった。


 その様子にトーマスの晩年が頭を過る。私は必死で獲物を取って持ち帰った。そして、なるべくビシュラに多く食べさせてやる。なんたって私は食わなくても死なないのだから。


大丈夫だ。

春が来ればきっとどうにかなる。


 そう自分を奮い立たせて狩りに出掛ける。



 しかし、ビシュラから“あの匂い”がし始めた。



「ねぇ。ビシュラ、何が食べたい?」


 私がそう訊ねると、彼女は弱々しい声で「パン……」と答えた。

私はパンを貰いに街へ行く事にした。


 街への道中、出会った頃の彼女を思い出していた。

 初めて鳥を噛み殺した日、羽をむしった獲物を彼女の前に置くと困惑した顔で「どうやって食べるの?これ?」と訊いてきた。

「羽根の肉とか、胸の柔らかい辺りなんか食べられるよ」と答えると「私、パンが食べたい!」と宣った。


「森にパンなんかある訳ないでしょ」

「じゃあ、ケーキは?」

「もっと無いよ。というか、アンタケーキ食べた事あるの?」

「うん!お父さんがよくくれたんだ!甘くて美味しいよ!」


 犬にケーキなんて物をよくやる“お父さん”に苦々しい気持ちになった事をよく覚えている。



 街についてまっすぐ、トーマスともよく通ったパン屋の裏手に行く。廃棄されてるパンがないか確認する為だ。

 しかし、そう運よくパンが捨ててある事は無かった。なので、私は裏戸にゴンゴンと頭突きしてみた。中から店主が何事かとドアを開けた。


「うわっ。なんだこの犬!あっち行け、シッシッ!」


 私を見るなり顔をしかめた店主が手を払う。私はその場から動かず、両前足を上げてクレクレのポーズを取り「お願いします、パンを下さい」と懇願した。


「お前にやるモンなんか何も無いよ。あっち行けって!」


 店主が再度手を払うと、奥から女将さんが「可哀想じゃないの。昨日の余り位あげたら?」と言ってくれた。


「そんなモンやったら居着かれるだろうが」


 私は渋る店主に向かって体を伏せ「お願いします。パンが必要なんです」と頭を下げた。

 女将さんからの冷たい目線に根負けした店主が「ほらよ」と固くなったパンを投げて寄越した。

 私は一礼するとパンを咥え、森へと走った。



 家に着いた時、ビシュラから濃い死の匂いがした。

恐る恐る彼女に近付くと、まだ息があった。一瞬ホッとして、それから口元にパンを置いてあげた。


「ビシュラ。パン貰ってきたよ」


すると、ビシュラはパンをスンスンと嗅ぎ、口をモゴモゴと動かすと「おいしいなぁ。お父さんアリガト」と言って動かなくなった。



 私は家を出た。もう、あの森では暮らせないと思った。



 ぼんやりと、宛もなく歩いていると街の中にいる事に気付いた。

帰巣本能ってヤツだろうか。もしかしたら、無意識にトーマスの家に帰ろうとしていたのかもしれない。そんな自分に苦笑していると、いきなり何者かに殴られた。


 見ると、それは“お父さん”だった。男は鬼の形相で「このくそ犬っ!お前のせいでっ!」とよく分からない事を叫んでいる。

しかし、すぐにその意味が分かった。男の左足の膝から先が無い。大方、私に噛まれたせいで切り落とす事になったのだろう。


男に杖で滅多打ちにされながら、これは罰なのだと思った。


―ビシュラが傷付く事が分かっていて、この男に既に愛情が無い事を伝えた罪―

―森で生きていくのに向いていない彼女を街から引き離した罪―

―最期に彼女が望んだパンを食べさせてやれなかった罪―


弱っているからか、折れた骨の再生は遅い。

だが死ぬ事は無い。

コイツの気が済むまで殴られてやろうと思っていると「何をしている!」と野太い声が聞こえてきた。


私の意識はそこで途絶えた。

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