第9話 恐れてはいけない

「そろそろ帰ろう。君も初めての乗馬で疲れただろう?」

「まあな」


 馬の首をひねらせて後ろを向かせたイグジストが肩越しに微笑んだ。


「乗馬はスポーツだ。身体を動かしたくなれば、いつでも乗馬をしたらいい。その白馬は君にプレゼントするよ」

「馬を一頭くれるのか? さすがは皇帝様だな。太っ腹」

「君とルーシーは気が合うと思うよ。似た者同士だ」

「もしも俺が乗りこなせないってわかったら?」

「乗りこなせないことを前提にして練習するのは良くないな」


 いちいち的を衝いてくるイグジストに、蓮は黙り込むしかない。

 蓮の側らを馬で行き過ぎたイグジストの後を蓮が追う。灰色の白樺の散策路を馬で歩く牧歌的な光景に、なぜか蓮は切なくなる。

 同じ頃、別の場所では戦争が続いている。

 手足をふっとばされた者。

 目玉や腸が飛び出しながらも、さ迷い歩く者だちがいる。


 自分はこれまでそういった凄惨な死と隣り合わせの場所に飛び込み、写真を撮ってきた。

 だが、ここには何かに守られた静寂がある。

 それがイグジストの言う『森』の結界なのかもしれないが、こういう平和すぎる光景に自分はなぜか馴染なじまない。

 

「どうした?」

「えっ?」

「何を考えている?」


 問いかけられた蓮は、まっすぐに伸びた広い背中を凝視した。


「こんなにも平和な場所で俺が撮れる写真があるのかなって」

「君は今までハイリスクな国や場所で銃弾をくぐりぬけながら生きていた。命をかけてでも撮りたいのは弱者の現実とでもいえばいいのかわからないが」


 ぽくぽくというひずめの音が猛る心を逸らせる。


「君は平和にも慣れることを恐れるべきじゃないな」


 イグジストは背中を向けたままで語ると、それきり何も言わなくなる。

 この広大で森閑とした森の中に、自分が映せるものがあるのかどうかが不安に思えた。ただ、それは平和に対する抵抗心かもしれないと、蓮は思い返していた。

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