第7話 皇帝の匂い

「どうぞ。こちらでございます」


 側近のあとに部屋の中をしばらくついて歩いていくと、木製の両開け扉に手のひらを向けられた。


「タオルも着替えも用意させております。中の脱衣所でお使いください」


 扉を開けた側近の肩越しに脱衣所らしき場所が見える。

 シュエルフにはきちんと畳まれたバスタオルやフェイスタオル。反対側には鏡と水受けのボウルと椅子が置いてある。鏡の前にはスキンケア用の化粧水や乳液まで並んでいる。


「一時間ほどで夕食の準備を整えます。蓮様もその頃までにはお上がりください」

「わかったよ」


 蓋を取って化粧水の匂いを嗅いでみる。

 蓮には何につけてもまずは匂いを嗅ぐ癖があり、親友の中田優斗なかたゆうとに品が悪いと叱られる。

 その化粧水は薔薇をトップノートにしたフローラル系の香りがした。

 さきほど嗅いだ皇帝の匂いもこういったスキンケアの類だろう。


 服を脱いでみると、山の中を散策した形跡がいっぱいだ。

 泥とほこりにまみれた自分で皇帝と食事なんてしなくて良かったと、改めて安堵した。

 ただ、こちらがどんなに汚れていても、あの皇帝ならひとつとして文句は言わない。そんな気がした。


 ガラス戸を押し開け、中に入ると、中央に噴水があり、噴水の中央には女神の彫像がかついだ壺から湯気のたつ湯が注がれている。

 その中に入った湊は壺の下にくぐって入り、注がれる湯に背中を打たせてくつろぐと、思わず深い溜息を吐く。

 

 今日はただ、ハイキングコースから外れて気ままに散策していただけなのに。

 昼間に見たエメラルドグリーンの湖は、風もないのに逆巻くように波打った。

 そうして意識を失い気づくと、宮殿の名にふさわしい天蓋付きのベッドの上で目が覚めた。


 すると、スリーピースの背広にネクタイを締めた男が二人入ってきた。

 長身の美丈夫はイグジスト・バウラス十五世だと言い、北欧の国の八割を占める森の中の宮殿で密かに暮らす統治者だと名乗られた。

 皇帝はオメガの自分に嫌悪感を見せるでもなく、つがいになって子供を産めとまで言い出した。

 わかっているのは、ここまでだ。


 アルファ同士でも結婚はできるのに、どうしてカースト界最下層のオメガの自分を選ぶのか。

 

 

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