第2話 結界

 漣はハイキング用に整備された道を外れ、気の向くままに山に入る。

 ハイキングロードからでもできる陳腐な写真にしたくない。

 帰り道が分からなくなってしまわないよう、古い布を裂いたものを歩いた道の小枝に結び、元来た道を戻れるように装備した。


「静かだなあ」


 ハイキングロードから逸れた漣は、ひとり静寂を楽しんだ。

 ここは戦場でもなく東京でもない。

 鳥のさえずりと羽ばたく音だけが時折響いた。

 垂直に林立する針葉樹の間からはエメラルドグリーンの湖が見える。


「あそこにするか」


 水面みなもは明るいエメラルドグリーンで、深くなるにつれ濃さを増したグリーンに変容している。

 まったく人の気配がしない神秘的な湖に引き寄せられて、坂を下りかけた時だった。

 鼻先にピンと糸が張られたような不思議な感覚にみまわれた。

 思わず周囲を見渡したものの、そんなものは何もない。

 葉が針のように硬くて細長く、空に向かって三角に育つ針葉樹が、どこまでも連なる青い山肌があるだけだ。


 気のせいか。


 蓮は相棒のカメラの紐を一旦外した。

 頭を前後左右に回して再び首に掛けたあと、結界のような糸の感覚はそのままに、中へ入った時だった。

 両肩にドンと音がしたかのような重みがかかり、膝から力が抜けてゆく。

 思わず膝立ちになった蓮は猛烈な眠気に襲われた。

 冴え渡る風が下の方から吹き上がり、波打つ水面が微かに見えた。

 そんな失神寸前の意識の混濁の中で、元に戻ろうとしたのだが、そこで意識を失った。

 

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