第16話 一言



 アパートへ戻ると、鍵が開いていた。


「ただいま、春臣?」


 中へ呼びかけると、エプロンをした春臣が出てきた。部屋の中をニンニクのいい匂いが漂っている。しっかり昼を食べたのに、お腹が空いた。


「おかえりなさい。図書館行ってたの?」

「うん」


 守の事を思いだして、ドキリとする。


「手、洗っておいでよ」


 春臣はそう言うと、台所へ戻って行った。

 以前、春臣の同級生に襲われかけてから、お互いの気持ちを確認しあって、付き合うようになった。

 まだ、照れくさくて手も握ったことのない二人だったが、春臣は土曜日にはいつも泊まりに来た。

 姉である桜子にも許しを得ている。

 桜子は、今さら何言ってんの? と顔をしかめたが、密かに歓迎してくれているようだった。

 料理は、桜子から習っていると春臣が言っていた。


「今日は何を作ってるの?」


 洗面所で手を洗って台所に戻ると、春臣は玉ねぎと豚肉を炒めていた。


「丼物が食べたくてさ」


 春臣の料理は、男らしい? というようなざっとした料理が多かった。それに、野菜を切ったり分量を図ったり、片づけですら苦にならないらしく、はまってしまった、とも言っていた。

 おいしそうに食べてくれるから、作りがいがあるとも言われたこともある。

 テーブルにお茶やお皿を並べると、春臣の作ってくれた野菜スープとキャベツの千切りに生姜とネギを散らして豚丼が並んだ。

 材料費は暁生が払い、春臣が夕食に間に合うように作ってくれる。

 最近では、毎週こんな感じで週末を過ごしている。


「いつもありがとう。助かるよ」

「暁生さんも料理上手だからな。まだまだだよ」


 前に一度、夕食を作ると、ものすごく喜んでくれた。それが、手料理のきっかけのようだ。

 座ってテーブルを囲んで、スープを飲む。

 ちょうどいい味付けで、おいしい。


「スープ、おいしいね」

「丼も食べてよ」

「うん」


 勧められて、春臣の作った豚丼を食べる。柔らかいお肉に味が染みて、玉ねぎの甘みも加わってすごくおいしかった。


「本当、味付けが上手だね」


 褒めると、春臣はうれしそうな顔で笑った。

 キャベツの千切りは体のことを考えてだそうで、必ず、何かしら野菜を入れている。

 いろんな話をしながら食事を終えると、台所に立って食器を片づける。暁生はこの時が一番、好きだった。

 春臣とは、まだ、何も進展はない。だが、こうやって肩を並べるだけで、体が熱くなった。

 彼を好きなんだな、と実感する時だった。


 二人で片づけるので、あっという間にすんでしまう。その後、暁生は借りてきた本を読み始め、春臣は例のごとく宿題をする、のがいつもの日常だ。

 春臣が宿題を始めてから少しして、


「暁生さん」


 と、何度か名前を呼ばれた。

 本に集中していた暁生は顔を上げると、春臣が携帯電話を指さしていた。


「電話鳴ってるよ」

「え?」


 携帯電話を手にとって見ると、守からメールが来ていた。

 思わず、息を飲む。


「どうしたの?」

「なんでもないよ」


 ドキドキしながら、メールを開いた。


『今日はすごく懐かしくて、昔を思い出した。もう一度、会いたい。俺、暁生の事、忘れたこと一度もないよ』


 文面を見て、凍りついた。


 は? いったい、どういうつもりだろう。


 サッと目を上げて春臣の様子を窺った。彼はまだ宿題をしている。暁生は、メールを削除しようと思った。しかし、それでは問題解決にならない。


 すぐに、『申し訳ないけど、会わない方がいいと思う。今日はたくさん話ができて楽しかった』と返した。


 どうか、これで納得して欲しいと願いながら。

 しかし、思いは届かずすぐに返事が届いた。


『高校生の頃のことを覚えているよね。俺は卑劣な男だった。暁生に隠していたことがある。いつか、どこかで会えるだろうと思っていた。会えたら謝りたいと思って。暁生を傷つけたことをどうしても謝りたかった。頼む。もう一度、会って欲しい。今日は勇気がなくて謝りそびれた。俺にチャンスをくれ』


 暁生の胸はざわざわした。


 ――怖い。


 頭に浮かんだ言葉は、その一言だけだった。



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