第7話 メッセージ




 駅に着くと、運よく電車が入ってきた。すぐに乗り込んで家路に向かう。最寄り駅で降りるとアパートまで走った。

 自分の部屋に明かりがついていた。階段を上がり、呼吸を整えてドアノブを廻すと開いていた。

 部屋に入ると、ベランダに春臣がいた。


「お帰りなさい。走っているのが見えました」

「待たせるの、嫌なんだ」


 背広を脱いでハンガーに掛けると、春臣は部屋に入ってきた。パスタを食べた後なので、今日は夕食はいいやと思いながら、リビングに戻った。

 コーヒーでも淹れようかなと考えていると、春臣が後ろからついてきた。

 暁生は小さなキッチンに立つと、ヤカンに水を入れてガスコンロでお湯を沸かし始めた。


「残業じゃなかったんですか?」

「ああ。その……、春臣が待ってるって思ったら、待たせたくなくて。残業やめて帰ってきたんだ」

「俺のため……。すみません」

「どうして謝るんだ? 別に謝らなくても」


 何だか元気がないように見える。

 暁生は、お湯が沸くまで座って話そうと思った。

 リビングに戻ると一緒についてくる。

 暁生は座ったが、春臣は立ったままでうつむいていた。


「座らないのか?」

「昨日、泊めてもらって迷惑じゃなかったですか?」

「僕から泊まれって言ったし、それに、迷惑だったら泊めないよ」

「はい……」


 何だか珍しく歯切れが悪い。


「もしかして、家の人に何か言われた?」


 それしか思いつかなかった。

 残業だと嘘をついてしまった手前、さっきまで桜子に会っていたとは言えなかった。


「……言われました。迷惑をかけるなって」

「迷惑じゃないのに……」


 桜子のやつ、いったい何を言ったんだ。

 こんなに落ち込んでいる春臣を見るのは初めてだ。 


「今日はどうして来たの?」

「え?」


 春臣が弾かれたように顔を上げた。

 顔つきが、緊張している。


「あの……、俺……。確かめたいことがあって」


 その言葉を聞いて、何だか胸騒ぎがした。


「……確かめたいこと?」


 暁生の声も掠れたようになった。


「姉と……付き合っているんじゃないんですか?」

「え?」

「姉さんと、仲がいいの知っていたから……」

「桜子は大学からの友だちだよ」

「家に何度か来ましたよね」

「うん……」


 春臣はずっと誤解していたのだろうか。

 桜子について話さなかったのは、彼女の話題になるとどうしても避けられない話が出てくるから。触れたくなかった。


「姉から聞きました。暁生さんは、男の人しか好きになれないんですね」


 突然の事で、暁生は言葉を失った。


「恋人、いるんですか?」

「え?」

「相手は、男の人ですよね……」


 春臣の震える声が耳に届く。

 その時、ヤカンがピーっとけたたましい音を立て始めた。

 暁生は飛び上がりそうなほど驚いた。立ち上がると、急いでヤカンの火を消した。

 振り向くのが怖かった。

 立っているのもやっとで口を開こうとして、何を言えばいいのかわからなかった。


「暁生さん……」


 気づくと春臣が後ろに立っていた。

 春臣はどう思ったのだろう。

 自分が男を好きな人種だと知って、気持ち悪いと思ったのだろうか。

 なら、なぜ、彼はここに来た?

 何を確かめたいんだ?


 いつの間にか呼吸が浅くなっていたようだった。

 はあ、と息を吸った。


「桜子から聞かされて、驚いたんだね……」


 無言だ。


「春臣は、僕のこと……どう思った?」

「俺……、暁生さんのことはお兄さんのように思っていました。一緒にいるとすごく楽しくて。でも、男の人が好きだと聞いて……」

「そっか……。ごめん。気持ち悪かったよね」


 春臣が驚いた顔でこちらを見る。


「大丈夫だよ。僕は君のことは何とも思ってないし……」


 その瞬間、春臣は目を吊り上げて暁生を睨んだ。


「何とも思ってないって、どういう意味ですか?」


 声を震わせて怒っている。

 暁生は困惑した。


「どういう意味って……。だって、気持ち悪いんだろ……?」

「そんなこと言ってないっ」


 何だろう。

 春臣の気持ちが分からない。


「……もういいです」

「いいって、何が……」


 突然、うつむいた春臣がぎゅっと手を握ると、暁生を睨んでいた顔を床に向けた。

 すると、突然、春臣が動いて、暁生はびくっと体を縮こませた。

 春臣が怖いと思った。しかし、春臣は、部屋の隅に置いてあったトートバックをつかんだ。

 

「……お世話になりました」


 そばをすり抜けて出て行く。

 ドアが閉まっても暁生はその場を動けなかった。


「何だよ……。何しに来たんだよ……」


 思いがけず涙が出た。

 暁生はしゃがみ込んで、泣いている声が誰にも聞こえないようにと唇を噛んだ。

 泣くなんて馬鹿だ、と思った。

 なんで涙が出てくるのか全然わからなくて、悲しみだけが自分の心を支配していた。

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