第3話 合鍵



 駅の構内は乗客たちで溢れていた。その中に途方にくれた顔の春臣がいた。

 暁生は進んでいくと、春臣の肩を叩いた。はっとした顔がこちらを向く。


「電車、止まってるみたい」

「らしいね」

「もう少し、待ってみます」


 事故で電車が止まることは珍しいことではない。数分もしたら動き出すことは分かっていた。

 暁生は悩んだ。


「家に連絡して、泊まるって言えばいい」

「え?」

「僕のところに来る?」

「いいんですか?」

「明日は休みだよね」

「はい。でも、暁生さんは」

「朝、一緒に出よう」

「はいっ」


 春臣が明るい笑顔になった。トートバッグから携帯電話を取り出し、自宅へ電話するのを見届けて暁生は駅の外へ出た。小雨がしとしと降っている。


「暁生さん」


 振り向くと、春臣が背後に立っていた。


「家の者に言いました。下着とかないんだけど」

「コンビニで買おう」


 駅の近くにあるコンビニで買い物をすませて、元来た道を戻る。

 春臣は肩を弾ませて言った。


「夕飯は何にします? 俺、作ります」

「料理ができるの?」

「やったことないけど」

「何だそれ」


 暁生が笑うと、春臣はさらにうれしそうな顔をした。


「子どもみたいだね」

「うれしくて。暁生さんの家に泊りたいって、ずっと思っていた」

「そっか」


 冷蔵庫に何か入っていただろうか。なければ近くのスーパーに行ってもいい。

 頭の中でいろいろ考えていると、家についた。

 鍵を出そうともたもたしていると、春臣が合鍵を差し出した。それを受け取って鍵を開けて返す。


「お邪魔します」


 スニーカーを脱いで部屋に上がる。暁生が冷蔵庫を開けてみると、卵と豚肉とキャベツ、にんじんなど野菜が残っていた。

 そういえば、数日前にカレーでも作ろうと考えていた。今からカレーを煮込むのは面倒で、野菜炒めと卵焼きでも作ろうと思った。

 春臣に手伝いをさせ、調理を開始する。


「自炊しているんですね」

「外食は嫌いなんだ」

「意外です」

「え?」

「料理しなさそうに見える」

「料理くらいする」

「俺にも教えてください」

「家で教えてもらってから、作ってよ」


 春臣が黙り込む。暁生は苦笑した。

 彼は、暁生の言葉に対して怒ったり落ち込んだりしているのではない。恐らく、他人の言葉をゆっくりと噛み砕いているのだ。

 暁生だったら時間をかけすぎた言葉は外へ出てこない。

 すぐに言わなきゃ意味がない。


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