第2話 友達の弟
暁生の家から駅までは歩いて十分くらいある。
田舎から横浜へ出てきて大学を卒業してからもずっと同じアパートで暮らしている。ユニットバスにワンフロアでキッチンがついているシンプルな部屋だ。
春臣と出会ったのは三ヶ月ほど前で、蝉の鳴き声がうるさかったのを覚えている。
駅からの帰り、道の真ん中で、高校生がもみ合っているのを見つけた。
二人とも体格がよくて、一人が地面にたたきつけられ、馬乗りになったのを見ると、止めないわけにはいかなかった。
暁生が声をかけると、ひとりは逃げ出し、残ったのが春臣だった。
「助けてくれてありがとうございます」
腕を押さえて言うので、仕方なく家で介抱した。腕はアスファルトで擦れたらしい。傷の手当をしている間、何も言わない大人しい学生だった。
それ以降だ。
春臣はお礼だと言ってお菓子を持って来たり、映画でも見に行きませんか、と積極的に家に来るようになった。それから今に至る。
実を言うと、春臣とは初対面ではない。
大学の同級生に
桜子は今も交流のある友人で、学生時代、家に行ったこともある。春臣の姿も一度は見たことがあるかもしれない。
だが、春臣は、姉の話はいっさいしなかった。暁生もいまだ言えずにいる。
駅に向かう途中で空があやしくなったかと思うと、雨が降り出した。駅までまだ少し距離がある。
暁生は傘を開いた。
「降り出したね」
「はい」
春臣は男らしい顔つきをしている。二重で瞳は大きく鼻筋が通っている。唇は薄く清潔そうで、いつも穏やかな表情をしていた。
「合鍵、なるべく使わないようにします」
「気にしなくていいよ」
「でも、勝手に上がるなんてできないです」
「困った時は使えばいい」
春臣は答えはなかった。
彼はいつもそうだ。
考えているようだが口にしない。穏やかである一面、何を考えているのか分からないところもある。
暁生も他人に対して突っ込んだ話をするのが苦手で、聞き出すようなことはしない。案外、二人は似たようなものかもしれない。
駅に着く頃には、雨は本降りになっていた。春臣が振り向いて頭を下げた。
「送っていただいてありがとうございました」
「気をつけて」
桜子の弟にしてはずいぶん礼儀正しい。
彼女は、男が嫌いで意見をはっきりと言う女性だった。
きびすを返して少し歩いて振り向くと、春臣はまだその場所に立っていた。
自分を見つめている。
目が合うと、軽く頭を下げて駅の中に入って行った。
「人身事故だって」
その時、駅から引き返して来たサラリーマンの声が耳に届いた。暁生が立ち止って男を見ると、携帯電話で慌しく話しながら歩いて行く。
「電車は動かないらしいから、タクシーで行くよ」
サラリーマンの言葉に、暁生は引き返した。
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