第15話 事故

 翌朝、窓からの明かりにショーティスは目が覚める。

 はっとして壁際の時計を確認した。

 高級品である機械式の時計が個人の部屋に置いてあることは珍しい。

 ただ、仕えるバルクトライのスケジュールに合わせる必要からショーティスの私室にも設置されている。

 時刻はまだ6時前だった。


 昨夜畳んでおいた従卒の制服に着替えをして洗面器に水を汲んでくる。

 洗面器を持ってバルクトライの私室に入っていった。

 昨夜見たのとあまり変わらない格好で、将軍閣下はまだ眠っている。

 枕を抱きしめている姿を目にして枕と代わりたいと思った。


 カーテンを少しだけ開けると窓を押し開ける。

 風と共に朝の教練の声が聞こえてきた。

 軍隊の朝は早い。

 司令官はそこまで早起きをする必要はないだろうが、朝食の時間というものもある。

 

 ショーティスはイシュタルから将軍閣下が規則正しい生活を送れるようお手伝いするように命ぜられていた。

 命じた方は無理はしなくてもいいと繰り返し言っていたが、ショーティスは慣れない自分を気遣ってのことだと思っている。

 バルクトライを起こすということがどれほど難事かということをまだ知らなかった。


 昨夜は深酒をしてしまったので、たまたま目が覚めていないのだというように考えている。

 実際のところは、飲もうが飲むまいがバルクトライは寝坊をするし、チャンスがあれば酒を飲んだ。

 というわけで、今朝のこの姿は常態である。


 ショーティスはさてどうしたものかと考えた。

 個人的な趣味からすればあちこち素肌が見える最高のショーを堪能していたい。

 ただ、従卒という仕事を拝命し、規則正しい生活を送るサポートを命じられた以上はバルクトライに目覚めてもらうしかなかった。


「閣下。起きてください。もう朝ですよ」

 手始めに呼びかけてみたがもちろん無反応である。

 この程度で起床するならイシュタルが苦労することもなかった。

「閣下! 朝です!」

 少し強めに声を出してみたが結果は変わらない。


 ショーティスは枕に目をやる。

 バルクトライの夢の中に出てきた誰かの代わりに抱きしめられていると思うと、まずはこれを取り除くことから始めねばと考えた。

 枕がなくなったことで目が覚めても形が崩れそうだったとかなんとか言い訳すればいい。


 大きな白いフワフワとした枕に手を伸ばす。

 引き抜こうとしてバルクトライの右腕がこのままでは無理だということが分かった。

 左手で巻き付いた腕を引きはがして右手で枕を引き抜こうとする。


 やった。成功だ。

 と思った瞬間に抵抗を感じた。

 下になっていたから分からなかったがバルクトライは左手で枕の端を掴んでいる。

 そのためにあとちょっとのところで引き抜くことができなかったのみならず、予想外のことにショーティスはバランスを崩した。


 枕を手放せばよかったのだろうが、気が付けばベッドの上に倒れ込んでいる。

 ぽすんと体がベッドに受け止められ、早く抜け出さなければと思ったところでガシッとバルクトライの腕に捕まえられた。

 そのままぐいと抱き寄せられる。


 一体どんな夢を見ているのか分からないがバルクトライは甘い笑みを浮かべた。

 ショーティスを胸に抱き寄せる。

 濃厚な香りに包まれてショーティスは頭がくらくらとした。

 枕と代わりたいと願ったことが予想外に早く実現している。


 うっとりとしてしまいそうになるが何とか理性を振り絞ってバルクトライの腕から逃れようとした。

 この状況で目を覚ましたら、説明するのが大変そうである。

 図々しくも昨晩同じベッドで寝たと思われるかもしれなかった。

 従卒という立場からするとあまりよろしくは思われないだろう。


 逃れようと腕を突っ張るとバルクトライの胸に触れた。

 イシュタルのように筋骨隆々という体つきではないが、それなりに胸筋が体を覆っている。

 右胸に古い疵なのか少し盛り上がったところにショーティスの手が当たった。


 そのときバルクトライは女性を口説く夢を見ている。

 恥ずかしがって顔を伏せる若い女性の相手をしていた。

 力づくでどうこうするという趣味は持ち合わせていないが、恥じらう相手を腕に捕らえて真意を聞き出すぐらいのことはする。


 胸を押される感覚がして、これは本気で逃れようとしているのだなと腕を離そうとした。

 ここまで明確に拒絶しようという相手のことに改めて興味が湧き、その顔を覗き込もうとする。

 そこで目が覚めて目蓋を上げた。


 顔を赤くして恥じらいをみせる美少女にハッとする。

 その瞬間に意識がややはっきりとなった。

 違う。

 これは従卒になった……、そう、名前はショーティスだ。

「ショーティス?」


 問いかけれれば、ショーティスも伏せていた顔をあげる。

 正面から2人は見つめ合うこととなった。

「ショーティス」

 今度ははっきりと口にする。

「閣下。おはようございます」

 まずいことになったと思うがショーティスはとりあえず朝の挨拶を口にした。


 バルクトライは眉根を寄せて考える顔になる。

「俺、まだ夢を見ているのかな。ベッドの中に従卒がいる」

 独り言をつぶやいた。

「そうだよなあ。そんなことあるはずないもんな。いや、本当に一瞬驚いたぜ」


 そうです、閣下。まだ夢の中です。

 そう言いたいところだったが、嘘をつくわけにもいかない。

「閣下。これは夢ではありません。現実です」

 恥ずかしがりながらショーティスは上目遣いにバルクトライと視線を合わせた。


「ははっ。面白いな」

 そう応じたもののなんとなく違和感を覚え始める。

「ん? ひょっとして夢じゃないのか? それじゃあ、なんでここにお前が居るんだ?」

 バルクトライの問いかけにショーティスは弱々しい笑みを浮かべた。

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