第10話 妙技
ショーティスがここまでの道のりのことを思い出しながら洗い物をしている頃、執務室では残った2人が低レベルな言葉の応酬をしている。
「ようやく従卒を受け入れてくださってありがとうございます」
「あんな顔されたらダメとは言いづらいだろうが。この卑怯者め」
「これで生活態度も改めてもらえればなおいいのですが」
「あ、お前、あの子に余計なことを吹き込んでいないだろうな」
「いえ、何も。見ての御覧のとおり、高名な将軍閣下に憧れの目を向ける純真な少年です。子供の夢を壊す大人にはなりたくないですからね」
純真かというと実際のところはちょっとスレているのだがイシュタルは気付いていない。
「なんか嫌な言い方するね。まるで誰かがそんなことをしそうと言っているように聞こえるよ」
「まあ、百万言を費やすよりも見た方が早いですからね」
バルクトライは、うーんと伸びをした。
「まあ、これで美味い珈琲には、不自由しなくなったわけだ」
「もう1杯召し上がります?」
策に乗せられたようで腹立たしい気もするが、ここで意地を張ってもなあ。
素早く思案を巡らせると重々しく頷く。
「では、折角だから目の前で淹れてもらおうか」
「彼が淹れたこと、疑ってます?」
イシュタルは呆れながらも立ち上がり、ドアに歩みよった。
ドアを開けるとショーティスにお替わりを目の前で淹れるように命ずる。
「少しだけお待ちください」
準備して現れたショーティスはバルクトライの目の前で妙技を披露した。
馥郁たる香気がふわっと広がった。
カップに口をつけるとバルクトライの顔も綻んでしまう。
ほっと満足の吐息を漏らしながら思案を巡らせた。
これだけの上手い珈琲を淹れる人材を手放すのは惜しい。
士官食堂で働いてもらっても良さそうだが……。
そこで食堂までの距離を思い出す。
うん、いちいち飲みに行くのも面倒だし、運ばせると折角の味が落ちるな。
やっぱり従卒の方がいいだろう。
ショーティス本人も食堂の下働きよりは従卒に魅力を感じるだろうし。
どこで働いているかという話になったときに、エディンシア要塞の食堂で働いていますよりも将軍閣下の従卒をしていますの方が響きはいいもんな。
まあ、顔がいいから何を仕事にしていても女は放っておかないだろうが。
これでバルクトライの見栄えが良くなければ羨望の念からショーティスに悪意を抱いたかもしれない。
しかし、バルクトライ自身も方向性は違うが女にもてる。
カップを置くとうまかったとショーティスに告げた。
空いたカップをトレイに移しながら、ショーティスは俯き加減に質問する。
「合格は頂けるでしょうか?」
バルクトライは唇を口笛を吹く形にした。
どうも試されたということを理解しているらしい。
顔だけでなくオツムもいいのか。
これは拾いものかもしれんなあ。
イシュタルは有能だが、副官としてそこそこ長い。
そろそろ指揮官として独り立ちさせ経験を積ませる時期にきていた。
ただ、後任にこれはという人材が見つかっていない。
どうしても軍人というのは真面目な者が多かった。
優秀であればあるほどその傾向は強い。
私生活では諸事だらしないバルクトライの行状に我慢できるかというとなかなかに難しいところがある。
戦いがあればそちら方面で実力を示すこともできなくはないが、ここ3年ほどその機会はなかった。
明らかに憧憬の視線を向けてくるショーティスであれば、実態を知っても侮るところまでにはならないはずである。
先に日常に慣れてしまえば、許容しやすいだろう。
「なに、最初から合格さ。イシュタルの推薦だからな。単にお替わりが欲しかっただけだ」
ショーティスは顔をあげると笑顔になる。
「閣下はイシュタル様をとても信用していらっしゃるんですね」
「まあ、俺が手塩にかけて育てた副官だからな」
「それでは僕も頑張りますので、手塩にかけた立派な従卒になれるよう、ご指導よろしくお願いします」
バルクトライは片眉をあげた。
これくらいの年でこんな台詞がすらすら出てくるとは一筋縄ではいかないかもしれないな。
首を巡らして窓の外に茜色の空が広がっているのを確認する。
「それじゃあ、急いでカップを洗って片付けてくれ。終わったら出かける」
「畏まりました」
ぱっと立ち上がりショーティスはトレイを捧げ持つと控室へと消えた。
イシュタルがバルクトライの顔を半眼で眺める。
「この時間からどこにお出かけになるんですか? 私室に戻られるのを出かけるとは言わないと思いますが」
「ああ、もちろん私室に帰るつもりはないよ。金鹿亭に出かけようと思って。イシュタルの慰労とショーティスの歓迎会」
「私の慰労はお気持ちだけで結構です」
「ほらほら、イシュタル。そういうところだぜ。ショーティスの歓迎会という単独の名目にしちゃうと恐縮するだろう?」
「また、そういうことを言って。単に自分が行きたいだけでしょう?」
「そう言うなって、お前さんが居ない間は大人しくしていたんだからさ。それに俺の虚飾を剥ぐなら早い方がいい」
イシュタルは呆れた顔をした。
「これを機会に行動を改めたりしないんですか?」
「なんで? お前さんのような立派な副官があれだけ言っても日常生活を顧みることがない俺だぞ。ちょっと顔がいい従卒に格好いいところ見せるために行動を変えるわけないだろ?」
自信満々に言い返されるとイシュタルも二の句が継げなくなる。
「それじゃ、行こうぜ。奥方に悪いから遅くはならないようにするからさ」
バルクトライは立ちあがるとイシュタルの肩を叩いた。
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