第9話 逃避行

 カップと皿をトレイに乗せてショーティスは控室へと運ぶ。

 その心は浮き立っていた。

 これから庇護を受けることになったバルクトライが話に聞いたり、肖像画で見るよりもずっといい男だったからである。

 ここにたどり着くまでに色々とあったが、エディンシアの町を目指して良かったと思っていた。

 洗い物をしながら自然と笑みが漏れている。


 反乱を起こした部隊が宮殿に突入したときにショーティスは皇族に相応しい礼儀作法を学んでいるところだった。

 利発なのですでにそれなりに格好がつくようになっている。

 ただ、今までの生活に比べると窮屈で仕方ない。

 借金に追われることもなく、食事の心配をする必要もなかったが、豪華な監獄に閉じ込められている気分だった。


 宮殿内で銃声がするとショーティスの後ろに常に控えていた男性がすぐに反応する。

「安全なところにご案内します」

 耳を澄ませて銃声の方向を確認した。

 ショーティスの手を引いて別の部屋に連れていく。


 壁にしつらえたマントルピースの一部を弄ると通路が出現した。

 暗く口を開けた穴にショーティスを押し込むと男もトンネルの中に入ってくる。

 壁の一部を触ると入口が閉まって真っ暗闇になった。

 ここまで黙って大人しく従っていたショーティスも初めて声を出す。

「どこへ行くのさ?」


「宮殿外に逃れる地下通路があります」

 説明をしながらゴソゴソとやっていたが小さなランプに明かりが灯った。

「明かりは長くもちません。暗くなる前に出口を見つけられないとここに閉じ込められることになります」

「分かった。もう喋らないので、道案内をお願いします」


 男は肝が据わっているなと感心したが黙って、目の前の縦穴に付属する梯子を下り始める。

 ショーティスもその後に続いて下りた。

 手に顔を近づけると錆臭い。

 パッパッと手を払う。


「はぐれたら、ここから出られません。ちゃんとついてきてください」

 男は振り返ると真剣な顔をした。

 上着の裾をショーティスに握らせる。

 2人は曲がりくねり分岐もある通路を進んでいった。

 ついていきながらショーティスは冷静である。


 惜しいなあ。もうちょっと色気がある顔をしていたらなあ。

 自分の命の恩人の品定めをする余裕もあった。

 顔の良し悪しを気にしてしまうのは、見た目も重視するお年頃であるから仕方ない。


 どれくらい時間が経っただろうか。

「ここだ」

 男は僅かに声に安堵感を滲ませる。

「ランプを持っていてください」


 ショーティスが受け取ると男は跪いて壁の仕掛けを弄り始めた。

 肩のところから照らしながらショーティスは男の首の後ろを眺める。

 やっぱり色気に欠けるよなあ。

 緊張感に欠ける感想を抱きながらじっと待った。


 カチリと音がすると壁の一部が開く。

 出たところは今までとあまり代わり映えのしない小部屋だった。

 端には木製の木の階段がある。

 ミシミシと音をさせながら男は階段を上りきり天井の一部をそっと押し上げた。

 ぽっかりと空いた穴に男は消える。


 すぐに手が突き出され手招きをした。

 ショーティスがなるべく静かに階段を上がる。

 男はクローゼットのところでお仕着せを脱いでいた。

 ショーティスにも服を脱ぐように命ずる。

 ここで襲うつもりなのかと一瞬身構えたが、男はクローゼットから取り出したありふれた服に着替えていた。


 早合点に心の中で舌を出しながら、ショーティスも以前生活していたような出で立ちに素早く変わる。

 ハンチング帽を見つけて被ると男は褒めた。

「それでいいでしょう。殿下の顔は兵士の気を引きそうですからな」


 ズボンの後ろに拳銃を挟み、右足の脇ににナイフの鞘を結びつける。

「一応武器は持っていますがあまり期待しないでください。私1人では小隊でも手に余ります」

「僕、一応剣は扱えるけど」

「目立たない方がいいでしょう」


「ところで、今さらだけど、あなたは何者で僕をどこへ連れて行くの?」

「皇宮警備隊の者です。変事の際に殿下を安全なところまで送り届けるように陛下に命じられています。行き先は南部のエディンシアを目指します」

 皇帝もショーティスの立場が脆いということは理解していた。

 あれだけ仲の悪い息子たちが年の離れた末弟にだけ親しくしていることに一抹の不安を覚えている。

 万が一への備えだったが結果的に役に立っていた。


 ショーティスは少し考えてから言葉を発する。

「そう。道中、殿下はまずいだろうからショーティスって呼んでよ」

「恐れ入ります。それでは私のことはフィリップ伯父さんということで」

「なるほど。ではよろしく」


 2人はそっと家を出た。

 背後で発条錠がカチリと音をたてる。

 ショーティスが振り返ると裏通りに面したごく普通の平屋の建物だった。

 銃声が響き黒煙があがる宮殿に背を向けて歩き始める。

 路上には不安そうにその方角を見たり、立ち話をしている住民が多くいた。

 その中を見咎められることなく2人は進んでいく。


 1度だけ近衛部隊の制服をきた大隊規模の兵が軍楽隊の音楽にあわせて行軍するのを見送った。

 第2皇子が支配する部隊である。

 もし、その場に本人が臨場していたら、ショーティスの運命は変わっていたかもしれない。

 実際には居館から動いていなかった。


 ショーティスを始末するために送った兵もまだ宮殿にたどり着くかつかないかというところを移動している。

 フィリップと名乗る男の誘導でショーティスは無事に南部方面軍が設けた駐屯地にたどり着きイシュタルに引き渡されたのだった。


 このとき、フィリップはイシュタルに対してショーティスの身分を明かしていない。

 逃避行の最中にショーティスがお願いしたからである。

 ショーティスからすると皇子の身分は煩わしいものでしかなかった。

 皇太子と第2、第3皇子の確執が醜すぎたというのもある。

 しばらく一緒に過ごすことで情が湧いたのか、それは命令に含まれていなかったからなのかは不明だが、フィリップはさる筋のご子息ということしか伝えていなかった。

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