第8話 訪問者
執務室に入ってきた従卒姿の美貌の少年はお盆を持ったまま下を向き一礼する。
顔を上げて視線が部屋の中を巡った。
頬杖はやめて椅子に座りなおしていたバルクトライを見つけると目を見開き弾むような声を出す。
「わあ、本物のバルクトライ閣下ですよね?」
「たぶん、そうなんじゃないかな」
呼びかけられた当人はいい加減な返事をした。
返事をしながらあまりに眩しい顔にちょっとだけ驚いている。
どこの畑から拾って来やがった?
執務室の扉を閉めて向き直ったイシュタルにバルクトライは視線を向ける。
イシュタルは咳ばらいをした。
「こちらは本日より閣下の従卒の任に当たるショーティス君です」
「よろしくお願いいたします」
ショーティスははきはきと挨拶をする。
バルクトライは折り目正しい姿勢を保つイシュタルと目を輝かせているショーティスを等分に眺める。
そつのないイシュタルのことだから、書類手続きは済ませてあるに違いない。
バルクトライ自身はサインをした記憶はないが、大量にある書類の中に含まれていたのだろうと推測する。
先日、提出してきた従卒候補の履歴書を全部突っ返しても何も反論してこなかったから諦めたものと考えていた。
さすがに全員を採用するというのは脅しだろうと高を括っていたら、こんな奇襲を仕掛けてくるとはね。やってくれるじゃないか。
そうは思うが期待を込めて見つめてくるショーティスを前に、さすがに椅子にふんぞり返っているわけにはいかない。
ばね仕掛けのようにというほど機敏な動作ではなかったがバルクトライは立ち上がった。
ものぐさで横着者ではあるが一応は軍人である。
この程度の儀礼はわきまえていた。
ショーティスに軽く頷いてみせると首をめぐらせ、イシュタルの奴やりやがったな、と恨めし気な視線を向けるが当人は反応しない。
イシュタルにしてみれば、事前に話したところで冗談交じりにまぜっかえすだけで話が進まないことを予測しただけである。
「まあ、立ち話もなんだ。座って話をしようか。珈琲を持ってきてくれたんだろう?」
デスクを回ってくるとバルクトライはソファを勧めた。
ショーティスは片膝立ちになるとローテーブルに珈琲のカップと皿を置く。
ちらりとイシュタルに確認すると頷いたので、バルクトライの向かいの席に腰を降ろした。
バルクトライはカップを持ち上げると珈琲を飲む。
何と切り出すか考えをまとめるための時間稼ぎのつもりだった。
ただ、予想以上に美味いことに驚いてカップの中身を覗き込む。
「これは君が淹れたのか?」
「はい。僕が用意させていただきました。何かお気に召さないことがありましたか?」
ショーティスは形の良い眉に憂いを漂わせていた。
「いや、その逆だ。なかなかに美味い」
「そうですか。それは良かった」
ぱっと花が咲いたような笑みを浮かべる。
その顔をちらりと見てバルクトライはカップの残りを飲み干した。
自分の前のカップに口を付けるとイシュタルが説明をする。
「ロミナスカヤ方面の駐屯地で旧知の者に会いましてね。ショーティス君を預かって欲しいというのです」
「その知人はどうした?」
「やり残したことがあると言ってロミナスカヤに戻っていきましたよ。それで、身寄りもないということで放り出すわけにもいかず、特技を聞いたんです。カフェで働いていたとのことで試しに淹れてもらったら、この腕前です。これなら閣下も気に入られるかと思いまして」
横を向いて話を聞いていたバルクトライは顔を前に戻した。
ショーティスはキラキラした目で見つめている。
期待に満ち満ちた表情は生気に溢れ美しい。
「行く当てがなくて仕方なく引き受けたんだったら、他の仕事を探してやれなくもないが」
バルクトライは自分が日常生活においてだらしないということを自覚していた。
そのため、できる限り私的空間に他人が立ち入ってほしくない。
世間で一人歩きしている自分の虚像について煩わしいと思ってはいるものの、社会不適応者の烙印をもってそれを上書きするつもりもなかった。
以前イシュタルがリストアップした従卒の候補はエディンシアの町やその周辺の有力者の子供ばかりである。
実家に帰ったときにバルクトライのダメっぷりを吹聴されても困るのだった。
では、これを機会に生活態度を改めればいいとなるかといえば、そんな殊勝さは頭のてっぺんからつま先まで探したところでどこにもない。
そんなわけでバルクトライからすれば、従卒を採用するという話はなんとかしてなかったことにしたかった。
それでも身寄りのない少年に1度職を提供すると言っておいて、やっぱりやめたと放り出すのも気が引ける。
他の選択肢も提示するならショーティスも困らないだろうとの判断での提案だった。
「ほら、折角それだけの珈琲を淹れる腕前があるんだ」
バルクトライは飲み干したカップを指し示す。
ショーティスは褒められて恥ずかしいのかトレイを抱えて顔を隠した。
「ありがとうございます。でも、こんなふうに珈琲の味を褒めてくださったのは閣下だけです。このまま、従卒としてお仕えできると嬉しいのですけど」
トレイの陰から目だけを出して上目遣いになって懇願する表情を作る。
「そうか。んー、まあ、そうだな。いいだろう」
あざとさを感じさせるギリギリのラインの可愛いお願いに、バルクトライは不覚にも同意してしまっていた。
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