第7話 避難民

 第1報が伝わってからしばらくはエディンシアを中心とした南部方面軍の管轄地域は平穏を保つ。

 バルクトライ自身はエディンシアから動かなかったが、物見は各方面に盛んに出していた。


 もちろん、海上にも足の速い船を出している。

 コールタス王国海軍は出港準備はできているものの、港に停泊したままで水兵や船員の増員もされていないとの観測にバルクトライはひとまず安堵した。

 さすがに首都ロミナスカヤ方面とコールタス海軍の両方を相手するのはしんどいと考えている。


 バルクトライが動かないとの報告はもちろんコールタス王国のニーメア将軍に伝わっていた。

 1度苦杯をなめさせられたニーメアはバルクトライの指揮する海軍と正面からやりあうつもりはない。


 バルクトライも認識しているとおり、海軍国であるコールタス王国の水兵の練度は高い。

 海戦ではどれだけ船が連携できるかが重要なので、狙い通りの艦隊隊形を維持できるコールタス王国海軍は従来アーケア帝国を圧倒している。

 ただ、船の数というものも実戦において意味があった。


 前回の海戦で受けた手ひどい被害から回復しておらず、主力となる戦列艦の数でもアーケア帝国の8隻に対し5隻と下回っている。

 さらにアーケア帝国の戦列艦は大砲を74門積んでいるのに対し、コールタス王国は60門艦がメインであった。

 あと5隻を新造しないと大砲の数が互角にならない。

 そんな不利な状態で再戦すれば、凡将ならいざ知らずバルクトライ相手に勝てる見込みはほとんどなかった。


 自らも偵察用の高速クリッパー船に乗り込みアーケア帝国の偵察に出たニーメア将軍はエディンシアの町を遠望して感嘆する。

「このような国難でも全く動く気配がない。バルクトライ将軍はものの順序をよくわきまえている。これは付け入る隙が無い」


 もし、当人が発言を聞いていたら過大評価だと即座に否定しただろう。

 金勅文書があることをいいことにぐうたらしているだけだった。

 一応、軽挙妄動すればニーメアにその隙に乗ぜられるだけだという認識は有している。

 ニーメアは帰国すると議会に報告した。


「現時点でのアーケア帝国侵攻に益なし」

 すぐの艦隊派遣はなくなったが、状況の変化に応じてすぐに出動できるようにとの指示は出る。

 真面目なニーメアは完璧にその要請に応えた。

 そのお陰で、バルクトライはエディンシアを離れることができず、困ったねえと言いながらブランデーを啜っている。


 その間、首都ロミナスカヤでの戦況は混迷を深めていた。

 やはり、宮廷での人気が無くても皇太子という立場は強く、ロミナスカヤに駐屯していた近衛部隊の6割が支持する。

 残りの2皇子は劣勢となり、地方の軍団に報酬を約して引き入れた。

 距離的に近かった第6師団は首都に進出して皇太子の部隊と交戦する。


 数は多かったが皇太子の軍を圧倒することはできなかった。

 取るものも取りあえず駆けつけたため、弾薬が各兵士が身に付けているものだけであり、大砲も無いことが影響する。

 勝ちを納めることかできなかったため、2皇子は報酬の支払いを渋った。

 当然、第6師団の兵士は自分たちでその金を調達する。

 箍が外れた軍の規律は急速に乱れた。

 

 ロミナスカヤからの主要街道は避難民で溢れることになる。

 こうなると秩序維持のためにも部隊を派遣しないわけにはいかない。

 バルクトライはエディンシアに駐屯している陸軍を麾下の将軍に預けて北上させた。

 

 南部方面軍は4個師団から成り、エディンシアの東方のロマーニア王国との国境に2個師団、バルクトライの手元に2個師団を配置している。

 その2個師団を丸々派遣して避難民の受け入れに当たらせていた。

 エディンシアを急襲されれば大変なことになるのだが、海軍もいるしとバルクトライは気にせずに全戦力を出している。


 それだけでなく、蓄えていた物資を放出することも決めていた。

 避難民の仮住まいは兵士がバラックを建てている。

 元々戦地で自分たちの手で陣地を構え兵舎を建てているので、そういう作業はお手のものだった。

 あとは衣類と食料があれば当座は凌ぐことができる。

 

 市民に古着の供出を依頼すると共に要塞に蓄えていた保存食を積みだしてどんどん運び出させた。

 ちょうど入れ替え時期だったので、幕僚の不安の声も気にせずに放出する。

 煉瓦のように固いビスケットと塩気の強いハム・ソーセージ、ライムジュースというラインナップだったが、何もないよりはマシだった。

 ロミナスカヤの南方以外に逃げ出した住民に比べれば天国と言っていい境遇である。

 

 受け入れ状況を確認をしてきたイシュタルから詳細を聞きながらバルクトライはデスクの上に頬杖をついていた。

 この間、遊んでいたわけではなく、海を隔てた南方の友好国への援助依頼や、ロマーニア王国からの食料買い付けの手配をしている。

 珍しく勤勉に働いたので疲労していた。


「やっぱ、イシュタルにはここに残ってもらって他の人間を派遣すべきだったなあ」

 右手の手首についたインクの跡をこすりながらバルクトライはぼやく。

「まあ、遺漏なく受け入れが進んでいるとのことで良かったよ。ご苦労さん」

「閣下からのご命令に関する報告は以上ですが、別件のご報告がありまして」


 とたんにバルクトライは警戒する顔になった。

「あ、その言い方、何か厄介事だろ。やだなあ」

 イシュタルは上官の繰り言の相手をせず、控室の扉を開ける。

「入りなさい」

 その声に合わせて入ってきた姿にバルクトライはますますげんなりとした。

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