第6話 起床と朝食
翌朝、バルクトライは急に顔に当たった陽光に眠りを妨げられる。
カーテンと木製の窓は開け放たれていた。
イシュタルは首を突き出して要塞の塔に半旗が掲げられているのを見上げる。
首を引っ込めベッドサイドに立つと起床を促した。
「閣下。いつまで寝ていらっしゃるんです?」
「あともう少し……」
低血圧気味のバルクトライは寝起きが良くない。
明るさから逃れようと手で覆う顔からイシュタルが視線をずらすと、寝間着のボタンは下の方しか留められておらず、胸がはだけていた。
しかも、その少ない留まっているボタンもチグハグである。
「もうちょっとしっかりした格好をしてください。私だからいいですけどメイドに見られたらどうするんです?」
「だから、滅多にメイドはこの部屋に入れてないんじゃないか」
「それで、こんなに汚いんですね」
ようやく諦めて上半身を起こしたバルクトライは辺りを見回した。
「ん。独身男の寝室なんてこんなもんだろ」
「今日という今日は掃除に入らせます。捨てられては困るものは事前に退けておいてくださいね」
イシュタルは部屋の入口に置いておいた箱を抱えて持ってくる。
「大事なものはこの中に。いいですね」
「ああ、分かったよ。しかし、お前んところに生まれる子供は大変だな。お袋が2人いるようなもんじゃないか」
「私も家ではここまで口うるさく言うつもりはありません。子供というものは誰かさんよりも聞き分けがいいものなので。とりあえずベッドから下りてください」
「なんで?」
「私が居なくなったら、また寝るでしょう?」
バルクトライは渋々と起きると伸びをした。
寝間着がめくれ上がりへそが見える。
「副官の仕事も忙しいだろうに俺を起こしに来るのまでやっていたら大変だろ?」
「そう思うのならキチンと起床をしてください」
くああと欠伸をして目に涙を溜めている上官を見てイシュタルも覚悟を決めた。
「確かに負担なので、今度という今度は従卒を置いてもらいます」
「えー、やだよ。私的な空間に他人がいると落ちつかなくなっちゃうから。俺の神経が衰弱してもいいの?」
「戦列艦の係留索並みに太い神経をされているので、全く心配しておりません。近いうちに候補者のプロフィールをお持ちしますから、ちゃんと選んでくださいね」
頭をポリポリと掻くバルクトライは唇の端を歪める。
「じゃあ、俺が選ばなかったらどうする?」
「全員採用ということで従卒が1個小隊つきます」
ビシッと言うとイシュタルは部屋を出ていった。
やれやれ。
首を振るバルクトライは違和感に下を見下ろす。
寝間着の下は穿いてすら居らず、下着姿だった。
「参ったね、こりゃ。従卒がついたらこういう格好じゃ居られなくなるじゃないか。まあ、男なら構わねえか」
バルクトライは床に放り投げてあった軍服を拾い上げるとノロノロと着替え始める。
着替え終わると士官用の食堂に出かけていった。
食堂のおばちゃんはバルクトライを見かけると声をかける。
「随分と遅いね。危うく部下に全部食われちまうところだったよ。1食分は確保してあるけど。卵はどうする?」
「ゆで卵でよろしく」
「あいよ」
できあがるまで近くのスタンドに置いてある地元の新聞を読んで待った。
発行日は5日前で大見出しにはバルクトライが重病だという文字が踊っている。
記事には実は刺客に襲われただの、コールタス王国の女スパイに毒を盛られただの、推測で面白おかしく書いてあった。
「記者やめて小説家にでもなりゃいいんじゃねえか」
呟きながら文字を追う。
軍の広報官からは、閣下が人事不省でも滞りなく軍は活動しているので心配はいらないとの声明が出ていた。
夜のお店を中心に早期の回復を祈るとの街中の声も拾ってある。
自分が新聞の紙面を飾る重要人物だという現実をバルクトライはなかなか飲み込むことができなかった。
3年前の海戦でペテンのような策略で大勝を得てからというもの虚像が一人歩きをしているような気がしてならない。
勝ち過ぎちゃったのが良くなかったかなあ。
そんなことを考えていると珈琲の香りが鼻をくすぐった。
見れば食堂のおばちゃんがトレイに乗せた食事を運んできてくれている。
「や、これは申し訳ない」
士官用の食堂とはいえ、1度に多くの食事を提供することから、本来は料理はカウンターで受け取って自分でテーブルまで運ぶ方式だった。
おばちゃんはテーブルの上にトレイを置く。
「まあ、今日は閣下が最後の1人だからね。これぐらいのサーヴィスをしても罰は当らないだろ」
小首を傾げるとおばちゃんは手を伸ばしてバルクトライのドレスシャツの襟元を直した。
「せっかくのいい男なんだ。服もきちっとしなきゃ。いい歳なんだからさ」
「ああ。直してもらってすいませんね。今朝の料理もどれも美味そうだ」
「やだよ。本当にこの人はからかってばかりで」
おばちゃんは顔の前で手をひらひらと振ると厨房に戻っていく。
バルクトライは薄くカリッカリにトーストしたパン、厚切りのベーコン、フライド・トマト、エッグスタンドに乗ったゆで卵を平らげた。
別に先ほどの発言はお世辞ではない。
料理はどれもかなりの水準の味である。
ただ、問題はなあ。
バルクトライはカップに入った黒い液体を情けなさそうに眺めた。
他に飲み物がないので珈琲を口の中に流し込む。
香りは悪くないのだが焦げたような苦いだけの液体が喉を通り過ぎていった。
淹れたてでも微妙な味のものが煮詰まったことでさらに酷い味になっている。
フロックについたパンくずを払っているとおばちゃんが珈琲のお替りを持ってきた。
心遣いはありがたく、その実、味には辟易しながら2杯目を頂戴し礼を言って席を立つ。
それから嫌々ながらというように司令官室へと足を向けた。
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