第5話 演技と弔意
「首都ロミナスカヤでは反乱を起こした部隊と3人の皇子が手勢を率いて交戦しているとのこと。いずれ、ここにも参戦要請が来ますぞ」
「辺塞に寧日無しか。やだねえ。首都での勢力争いに巻き込まれるのが嫌で地方勤務を志願したのにさ」
「慨嘆している場合ではありません。どう対応されるのかご指示を」
「どうもこうも、何もしないよ。コールタス王国の海軍に動きがあるからエディンシアの要塞を離れるわけにはいかんだろ。イヤア、コマッタナ」
「棒読みで何を言っているのですか」
「まだコールタス王国に情報は伝わっていないだろうけど時間の問題だよな。ニーメアだって俺が不在と知ったら攻めてくると思うぜ。本人は火事場泥棒みたいな真似はしたくないだろうが、国と国との争いだからな。上から命ぜられれば動くだろう。だから俺はこの場から動けない」
「首都に居るのはそんな戦略眼を持つ人間ばかりじゃないですよ。こっちの事情を気にせず無茶を言ってくるのでは?」
「まあ、色んな人間が色んな命令を出してくるだろうな。首都の部隊は見栄えはいいし装備も潤沢だが実戦経験はほとんどない。案山子みたいもんだ」
「閣下は誰に従うんです?」
「誰にも。俺は皇帝陛下からの金勅文書による命を受けている。エディンシアを守れってな。それを反故にできるのは金勅文書だけだ。さすがにどんなアホウでもそのことは理解している」
金勅文書は皇帝の命令を下す文書の中で最高の権威を持つものである。
末尾の皇帝の署名に金泥を用いることからその名がついていた。
その命令を取り消すには金勅文書によるしかないし、それを発することができるのは皇帝だけである。
つまり、前皇帝が崩御した現在、バルクトライへの命令を取り消すことができる者は存在しない。
「でも心証は悪くなりますよ。少しぐらいの兵は融通してくれてもいいじゃないかって」
「畏れ多くも金勅文書による命令なので勘弁してくださいとお願いするしかないだろうな。まったく面倒なことだよ。なので……」
だらりとソファにもたれかかっていたバルクトライは弾みをつけて立ち上がる。
イシュタルは気を付けの姿勢を取った。
「士官を集めて対応方針を決める会議を開かれますか?」
「いや、情報が揃わないうちに開く会議なんて無駄の極みだよ。これからの心痛に備えて憂さ晴らしに出かけてくる」
「は?」
「だから、金鹿亭に出かけてくるんだよ。イシュタルも一緒にどう?」
「遠慮しておきます」
「まあ、奥方に悪いもんな」
バルクトライは手を振ると部屋を出ていった。
首都で騒乱発生の報はエディンシアの町にもあっという間に広がる。
大手の商館は各地に人を配置しており首都ロミナスカヤにも当然の如く連絡員を置いていた。
軍と民間での情報の到達速度の差はほとんどない。
すぐにエディンシアの町は騒然としかけたが、間もなく落ち着いた。
1番の責任者が馴染の店でいつも通りに寛いでいる。
バルクトライ様があれだけ落ち着いておられるのだから、少なくともエディンシアの町は大丈夫なのではないかという観測が広がった。
見た目は軍人らしくないが、実績だけを見ればアーケア帝国一の知将と目されている。
このような緊急事態に落ち着いているのは何かとんでもない戦略を秘めているのであろうと想像して安心した。
実際のところはバルクトライには何の腹案もない。
ただ、普段やらない会議なんぞを開こうものなら、部下やそれを伝え聞いた町の人々が動揺するだろうと演技込みで泰然自若としているだけである。
それでも店の女性がにこやかな笑みを迎えて出迎えたバルクトライの姿は、その場に居る者には落ち着きはらっているように見えた。
自分を信頼し要衝であるエディンシアを任せてくれた前皇帝に対する哀悼の意を感じなくもない。
ただ、自分がものぐさであり、帝位に対する野心の欠片もない点が評価されたということも分かっている。
エディンシアから見ていると帝国が微妙なバランスの上に成り立っているのがよく見えた。
能力的にはどんぐりの背比べである成人済みの皇子たちの折り合いが悪い。
特に皇太子に人気が無く、その他の皇子が追い落としにやっきになっていた。
前皇帝は外征に関しては比較的成果をあげた一方で、家庭内の制御に関しては及第点は出せないと言える。
「ねえ、今夜は泊まっていくでしょう?」
右隣に座るブロンドの娘が潤んだ目で奥のテーブルに落ち着いたバルクトライを見つめた。
華やかな顔立ちで場に居るだけでそこが明るくなるタイプである。
「さあ、どうかな」
テーブルにグラスを置いて少ししたタイミングで、ブロンドの娘はバルクトライの空きグラスを滑らせ、陪席する若い女性にお替わりを注ぐよう促した。
話の合間にバルクトライが酒を欲したときには目の前にお替わりが用意されている。
気持ちよく飲めるように気を配っていた。
この店で働いている女性は皆バルクトライと懇意になることを狙っている。
ただ、バルクトライの気を引くのは容易ではない。
他の男と異なりバルクトライにあからさまなボディタッチは逆効果だった。
そもそも、店の2階にある個室を利用すること自体が珍しい。
その数少ない機会でも嫌な思いをすることがないことから女性たちは気安く誘うことができた。
ブロンドの娘はバルクトライの様子から今夜も誘うことに失敗したことを悟る。
ガツガツとしてすぐに肌に触れてきたりしないのはいいのだけど……。
しばらくバルクトライが楽しんだ後に、ブロンドの娘は失望を顔に出さないようにしながら尋ねた。
「そろそろお帰りになられますか?」
本来であればこのような店で帰宅を思い出させることは禁忌である。
ただ、バルクトライに関してはその意を汲むことが優先されていた。
「ああ、そうするよ。うちの副官は厳しいからね」
貴賓室を出ると護衛が側に寄ってくる。
このときもいつもと変わらないバルクトライの姿を認めた客はホッとした。
要塞まで護衛されたバルクトライは店から出るときに渡された袋から小さな包み紙を取り出す。
「遅くまでご苦労さん」
既婚者には小さな焼き菓子を、独身者には香辛料の効いたつまみが入っていた。
てくてくと要塞内を歩き雑然とした私室に入るとサイドテーブルにグラスを2つ置く。
奇麗な方のグラスを奥側にしていた。
バルクトライは両方のグラスにごく少量の酒を注ぐ。
この場に居ない誰かに捧げるようにグラスを掲げた。
グラスを傾け口に含んだ酒を飲みくだす。
今は亡き皇帝へのたむけだった。
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