第4話 憩いのとき

 返礼品を乗せた快速船を送り出した翌日、バルクトライは麾下の戦列艦8隻を動員して演習を行う。

 1日半ほどかけて操船と戦列の維持の訓練を行うと母港であるエディンシアの港に帰投した。


 旗艦から降りて港に付属する要塞の司令官室に引き上げる。

 帽子を脱ぐとフリスビーのように投げて、コートハンガーにかけようとした。

 もちろん上手くいかず帽子はポトリと床に落ちる。

 バルクトライは髪の毛を撫でまわした。

「やっぱりイマイチだな」

 

 イシュタルが大股で歩み寄ると帽子を拾い上げる。

 ぱっと手で払ってからコートハンガーのてっぺんに帽子をかけた。

 その間にバルクトライはキャビネットを開けて秘蔵の酒の瓶を脇に挟み、グラスを2つ取り出す。


 応接テーブルまで運んでソファに腰を降ろすとグラスに指1本分の等量のブランデーを注いだ。

「まあ、座れよ」

 目線で向かいのソファを指し示す。


 イシュタルはバルクトライの向かいに腰を降ろすものの、体を捻って窓の外に視線を向けた。

 鼠色の雲が垂れこめているのが見える。

「まだ日も落ちてませんが」


「まあ、いいじゃないか。首都に対して真面目に仕事をしているアピールのために演習をやって戻ってきたんだしさ。本日はもう営業終了でいいだろ」

 そう言いながら片方のグラスを持ち上げた。

 イシュタルは仕方ないというように腕を伸ばし、残ったもう片方のグラスを持ち上げる。


 バルクトライは目線までグラスを持ち上げた。

「アーケア帝国に栄光あれ。乾杯」

「乾杯」

 琥珀色の薫り高い液体に口をつけると満足そうな吐息を漏らす。


「まあ、次の戦でうちの艦隊の上に栄冠が輝くことは難しそうだけどな」

「閣下!」

 あまりに直接的な物言いにイシュタルが切迫した声をあげた。

 バルクトライはそれには反応せずイシュタルの手の中にあるままのグラスに視線を向ける。


「それ、ニーメアに送ったのと同じ最上級品だぜ。飲まないともったいない」

 イシュタルはむすりとした顔だったが、それでも口を付けた。

 それを見てバルクトライはニヤリと嬉しそうな笑みを浮かべる。

「これで共犯な」

 グラスを両手で抱えながらソファの背もたれに体を預けた。


「で、さっきの話だけどさ。率直なところうちの海軍の艦隊運動を見てどう思うよ」

「以前よりは向上したと思いますが」

「まあな。だけど、コールタス海軍に比べたら全然ダメだろ。まるで子供と大人だ。同数で真正面からやりあったらまず負けるな」


「閣下。そのようなストレートな物言いはおやめください。首都の連中に聞かれて無駄に攻撃材料を増やすことはないでしょう」

「だけどさあ、イシュタル。うちの方が練度が低いというのは確固たる事実なんだ。それを無視して虚勢を張っても仕方ないだろ」


「練度を上げるのも閣下の仕事の範囲です」

「無理、無理。やる気のある奴は海軍なんて入らないから。陸軍に比べれば給料も低いし、賄いは不味いし、女にもモテない。仕方なく水兵やってるんだからさ。海軍が花形のコールタス王国のようなわけにはいかねえよ」


「食事に関しては閣下が改善されたではありませんか」

「まあ、飯に関してはな。だけど給料に関しては俺の権限外だし、女にモテないというのは致命的だろ。どこの花街に行っても竜騎兵や擲弾兵の方が人気だからな」

「そういう閣下の夜遊びもほどほどにしていただきたいのですが」


 バルクトライは日常はかなりダメ人間だが、確固たる名声を築いている。

 ともすれば若い頃はやや軽薄に受け取られがちだった顔立ちは年齢を重ねたことで渋みが増して魅力に溢れていた。

 口を開いて余計なことを言いさえしなければ、紳士然とした佇まいである。

 そのせいで女性からの人気は高かった。

 重病から回復して軍務に復帰するよりも先に馴染の店に顔を出してイシュタルに盛大なため息をつかれている。

 

 バルクトライは人好きのする笑みを浮かべた。

「まあ、俺の給料の範囲で遊んでいるわけだからいいじゃないか。遊び方もキレイなもんだろ」

「自分で言わないでください。まあ、確かに悪い評判は聞かないですが」


 陸軍と海軍を併せて統べるバルクトライの権限はエディンシア周辺に限ってのことではあるが、皇帝に等しいものがある。

 権力にものを言わせて女を囲うこともできなくはないし、店の支払いも踏み倒すことだって可能だった。


 市民にそのようなことをすることを部下に対して厳禁する一方で、自分だけは好き勝手に振る舞うという将軍も少なくはない。

 その点に関しては、バルクトライは身を綺麗に保っていた。

 これ以上言っても無駄だと思いイシュタルはグラスをぐいを開けるとソファから立ち上がる。


「ご馳走様でした」

「ん? もう1杯ぐらい付き合えよ」

「まだ仕事が残っていますので」

「……そうか。よろしく頼む」

 バルクトライが煩雑な書類にサインするだけで済み、事務仕事に煩わされていないのはイシュタルのお陰であった。


 一人残されたバルクトライはグラスに少しブランデーを注ぐ。

 最初よりも心持ち少なめなのはイシュタルに遠慮したのかも知れなかった。

 ゆっくりと時間をかけながら2杯目を楽しむ。

 そこにイシュタルが駆け込んできた。


「お、もう1杯付き合う気になったか」

 嬉しそうな顔をする。

「閣下。それどころではありません。早馬の連絡によれば、首都で反乱発生とのことでございます! 皇帝陛下が崩御されました」

 イシュタルの叫びにバルクトライは面倒そうに身じろぎをした。

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