第3話 辺境の将軍

 ついと白い海鳥が帆柱をかすめて飛んでいく。

 その様子を後甲板の船べりにもたれて眺めていたバルクトライ将軍は声をかけられ、日に焼けた顔を乗せた首を捻じ曲げた。

「おう、イシュタル。なんだ? そんなに深刻な顔をして?」

 よく通るバリトンで問いかける。


「閣下。考え直しませんか。此度のこと、それがし納得できません」

「お前も頑固者だよなあ。まだ若いのに。若者はもうちょっと柔軟にものを考えないといけないぞ」

「閣下には言われたくありません」

 バルクトライは黙って副官のイシュタルを見つめた。


 身の丈も身幅もイシュタルの方が大きく、顔つきも歴戦の勇将という風貌である。

 バルクトライには齢を重ねたいぶし銀の魅力があったが、無駄に顔がいいので指揮官としての威厳には恵まれていなかった。

 事情を知らない人が2人が並んでいるところを見れば、イシュタルが将軍でバルクトライは頼りなげな参謀というように見えてしまう。


 元々は一介の下士官だったイシュタルはバルクトライに目をかけられて、懐刀と言われるまでに育てられている。

 実直で折り目正しいが上官に対しても媚びるところがないのが気に入られていた。

 イシュタルの思考は直線的で柔軟性に欠けるところがある。

 それでも、戦略・戦術を考えること以外は諸事いい加減なバルクトライを良く補佐していた。

 ちなみに、数か月前にイシュタルが結婚した際においてはバルクトライは仲人を務めている。


 何も語らぬバルクトライに痺れを切らしたイシュタルはずいと詰め寄った。

「閣下。コールタス王国はそこまで義理を尽くす相手ではありますまい」

「いや、そうは言うけどさ。一応あちらから薬を送ってもらった礼はしなくちゃならないだろ」

 バルクトライは腕を持ち上げると海の彼方を指さす。


「コールタス王国に関してはお前の言うことも分からんではないが、俺の相手はニーメアだ。あの男は礼を尽くすに値する」

 バルクトライは手すりに背を向けてイシュタルに向き直り銀髪をかきあげた。

 問いかけるように片眉をあげる。

「俺の病気は治っただろ? 一時期は酷い咳が出て、体の中のものを全部出しちまうかと思ったがすっかり良くなった」


 つい先日までバルクトライは病に臥せっていた。

 良く日焼けした肌も色つやを失いかさついて目も落ちくぼむ。

 あまりに具合が悪く一時はもう駄目ではないかとイシュタルが青くなったほどであった。


 そこに届けられたのが隣国コールタス王国の海将ニーメア将軍からの薬である。

 コールタス王国が友好国ならば特に不思議な話ではない。

 しかし、バルクトライが属するアーケア帝国とコールタス王国は覇権を争う関係だった。


 しかもバルクトライとニーメアは3年前に直接干戈を交えたこともある。

 イシュタルは送られてきたものは薬は薬でも毒薬ではないかと疑った。

 それでもバルクトライ宛に届いたものを勝手に処分するわけにはいかない。

 酷かった症状が小康状態になったときにお伺いを立てた。


「ニーメア将軍から薬だと言って小瓶が届いております」

 そう告げられたバルクトライは持ってくるように命じる。

「まさか飲まれるのですか?」

「え? 飲み薬じゃなくて座薬なのか? だとしたらどうするかなあ。あのニュルンとした感じ好きじゃないんだよな」


「……違います。飲み薬で間違いありません。私は敵国から送られたものを信じて飲むというのは不用心ではないかと申しあげています。どうしてもと言われるのなら私が毒見をします」

「だけど、こんな小瓶だぞ。一緒についていた手紙にも1服分しか手に入らず申し訳ない、と書いてある」


 バルクトライは親指と人差し指に挟んだ小瓶を窓の方に向けた。

 目を細めて茶色い瓶の中身を透かし見る。

 それから栓をしているコルクに指をかけた。

 イシュタルは慌てて止めようとする。


「閣下。冗談はおやめください」

「冗談じゃないさ。本気で飲むんだよ。大丈夫だって。ニーメアには俺を毒殺する理由がない。国内の強硬派を押さえてるのは俺だよ。俺が死んで手柄を立てることに逸った誰かが後任に任命されてみろ。向こうはまだ海軍の立て直しが終わってないんだから困るだけだって」


「そうは言いましても……」

「日中はこうやって話ができるけど、夜は本当にきついんだぜ。毒で楽に死ねるならそれもまた良し。俺の体なんだからさ。好きにさせてよ」

 コルクを引っこ抜くと一気に小瓶の中身をあおった。

 

「うお」

 奇声を発するバルクトライにイシュタルは狼狽する。

「閣下。大丈夫ですか。やはり毒だったのでは? 吐き出してください」

 横に回って大きな手でバルクトライの背中を叩こうとした。


「ちょい待ち」

 手をあげてその動きを制する。

「いや、死ぬほど苦かっただけだ。たぶん、これは薬だと思う。じゃあ、しばらく眠るよ」


 そのときはこんな会話をしていたが、結果として病から回復したバルクトライにはつい先ほどまで病人だったという面影すらなかった。

 ニーメアからの薬が効いたのかは分かりませんと食い下がるイシュタルに、まあまあと言ってお礼の品を送ることを決定している。


 お礼の品を乗せた快速船が泡立つ波をかき分けバルクトライの乗る船の横を通り過ぎていった。

 船べりに佇む姿に気づいて見上げるように敬礼をする快速船の乗組員にバルクトライはゆるっと答礼を返す。

「ということでね。もう出航しちゃったし、まあ、いいじゃない」


「コールタス王国と懇意だということで内通を疑われたら困るんじゃないですか」

「首都の連中は宮廷での勢力争いに夢中で、こんな僻地のへぼ司令官のことなんざ気にかけちゃいないさ」

 のほほんとした表情を見せるとイシュタルも引き下がるしかなかった。

 

 

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