第2話 愛
表彰前の小休憩のための控室に、誰かがノックをしたかと思うと扉が開いて勢いよく王子が入ってきた。
「レベッカ嬢!」
満面の笑みだ。髪も瞳も赤の男が満面の笑み。イケメンとはいえ実に暑苦しい。
「あら、アルマート様。女性の控室に返事も聞かずに入るなんて、王子らしくないのではなくて?」
そんな泣きそうな顔をされても困る。私だってびっくりしたのだ。
「わ、悪かった。すまない。興奮していたんだ。まさか将棋を知る転生者がいるとは思わなくてな。どうしてこんな世界にと思ったが、君がいてくれるからだったんだな。私は君に会うために……!」
瞳をウルウルさせた王子に両手を握りしめられる。
そうよね。「研修会」や「鬼殺し」という単語も出したし、私が転生者であることはさっきの対局の中でアルマート様も確信したことだろう。
「アルマート様」
「なんだ」
イケメンのはずなのに、なぜかワンコのように見えるわ。イケメンっていうのはクールでないと映えないのかもしれない。
「転生前も自分のことを『私』って言っていたのかしら」
彼がガクーと項垂れる。
「言うわけないだろう……。ちゃんと俺って言ってたよ」
王子がぶーたれている。
イケメンのせいで可愛くも見えるわ。これだからイケメンは得よね。ムカついてくるわ。
「だが、ここではなぜか王子だ。王子である以上、それっぽく演じる必要がある。君だって口調がまさに貴族のお嬢さんだぞ?」
「そうなのよね……この子の生きた記憶もあるし、突然キャラが変わったら心配されるし」
「いや……お前、絶対キャラ変わってるだろう。このゲームについては妹に話を聞いたことがあるだけだが、ヒロインらしくなさすぎる」
「……なよなよした女なんか、演じるのも嫌よ」
確かに家族には「何か不満があるのか?」と心配されたけど……この長きに渡るトーナメントの間に慣れてもらった。
「そうだな。なよなよした女と一緒には世界平和なんて目指せないよな! 対局中、君の実力が高いことが分かってすぐに結婚したいと思ったが――、」
さすがに結婚相手選びは慎重になりなさいよ。あれでしょ? 国対国のご挨拶とか妻だって連れ添うでしょう? そーゆー目でも選びなさいよ。失言しやすい嫁なんて連れていったら世界平和どころじゃないわよ?
「あの言葉で完全に君に惚れたんだ」
ドキリとした。
さっきぶーたれていたとは思えないような、大人っぽい瞳で私を見つめるから。
「せ、世界平和がそんなに好きなのかしら」
焦って変なことを言ってしまった。彼は苦笑して首を振る。
「君には目標があったんだろう」
彼が言葉を続ける。
「夢があって、努力していた。職業にしようと思えるほどに」
有名棋士の対局集はボロボロになるまでその棋譜を並べた。将棋の書籍もたくさん買って何度も読んだ。詰将棋だってたくさん解いた。大会にもたくさん出場した。友達ともほとんど遊ばなかった。できる限りの時間を将棋に費やした。
――私は天才じゃない。
努力をやめたら落ちていくだけだ。
あなたなんかに分かるわけないという思いと、この世界ではこの人にしか分かってもらえないという思いがせめぎ合う。
「それなのに私という格下の相手に負けた」
心臓を抉られる。
「でも君は、何も言い訳をしなかった。苦しむ姿も見せずすぐに受け入れ、私を導こうとした。この世界ごと高みへと」
……せめて言葉でくらい上回ってやろうと思っただけだ。
「私にも夢があったんだ」
え?
「いつか一級建築士になって自分の事務所を持つんだと夢をもっていた。大学では建築学科に入った」
「……将棋は関係ないのね」
「そっちは趣味だ。ネット対戦したり将棋祭に行ったりタイトル戦を見に行く程度だ」
……ミーハーね。ネット対戦で鬼殺しにハメられたこともあったのかもしれない。だから対策を勉強して覚えていたのかも。
「じ、地元で指導対局が行われる時は行ったりもしたんだぞ」
にわか将棋オタねって顔をしていたかしら、私。
「そう。それなら建築士闘技場にすればよかったじゃない」
「どんなんだよ!」
「想像もつかないわ」
「私もだ。そこは価値感を共有できてよかったよ」
彼が掴んだままの私の両手を大事そうになでる。
「君に惚れたんだ。君のこれまでの努力が伝わってきた。それなのに、負けをすぐに受け入れられる強さも感じた。すぐに前を向けるその姿勢に憧れたんだ。君となら世界だって平和にできる。宇宙にだって進出できるって思ったんだ」
本当に暑苦しい男。好きでもない女のたった一言に、壮大な夢をみるなんて。
暑苦しすぎて……泣いてしまいそう。
「そんなこと、できるのかな」
「言い出したくせに」
「そうだけど」
「目指すことはできる」
「そうね、目指すことは」
将棋の手には人柄も現れる。一度対局すれば、相手のことがなんとなく分かる。あらゆる手が考えられるところで、守るのか攻めるのか。負けそうなところで、どんな手を放つのか。
私は勝ちそうだった。それなのに、プロポーズ予告を受けて読みの精度が落ちて詰み損なって負けた。
でも、私が詰み損なったら負けるような局面にもっていったのは彼の実力だ。たった一手で奈落の底に落ちるような局面に誘導した。先を見通せる力は確かにある。
「あなたとなら、目指してもいい気になってきたわ」
「よかった……」
アルマート様がへなへなと座り込んだ。
「どうしたのよ。結婚の約束ならさっきしたじゃない」
「あんなに観客がいて断れるわけがないだろう。仕方なく受け入れたのかと思った……。いや、仕方なく受け入れたんだろうな。だから、少しでも表彰式の前に私のことを知ってもらおうとここに来たんだ。今から君は、私の未来の奥方として扱われる」
誠実で卑怯な男だ。
断れないと分かっていたからあの場所でプロポーズしたのね。そのうえ勝つための心理戦にも利用した。
案外、王子向きの性格なのかもしれない。
――ここはどんな世界なのだろう。
死んでここに来るのなら間違いなくあの世だ。自分の願いが叶う天国だというのなら、女流棋士になる夢を見せてくれたっていいのに、ここにそんな職業はない。
そして、ここには棋譜もない。AIもない。勉強しようにも……材料がない。過去の記憶と自分で考えるしかない。考えた手が最善かどうかヒントも何もない。前世での日課を続けることすらできない。大きな喪失感の中、将棋大会の開催は希望でもあったけれど、素人だらけの対局に絶望したのも事実。
彼はさっき、「どうしてこんな世界にと思ったが、君がいてくれるからだったんだな」と言った。
「どうしてこんな世界にと私も思ったけれど……」
「ああ」
「あなたがいてくれるから――」
「…………っ!」
「だったらいいわね」
「はぁぁぁぁ!?」
そんなまたすっごい顔して。
「今のは私がいるからだと断言するところだろう!? めちゃくちゃ期待したぞ!? おまっ、今俺を天国から地獄に突き落としたことは自覚しているのか!?」
俺とか言っちゃってるし。
こんな早くにそこまで思えるわけないじゃない。この王子は思っているようだけど。せっかちな熱血タイプなのかな。
「対局中に私にプロポーズ予告をして天国から地獄へと突き落としたくせに」
「ぐは!」
ほんっと、コロコロ表情が変わる人ね。
「ごめん。悪かったよ、レベッカ嬢〜……」
そんなこと言って。今、あの場面に戻ったとしても勝つために同じことをするくせに。
――でも、それでこそ王子だ。
「レベッカでいいわ」
「え」
「私を妻にするんでしょう?」
「あ、ああ! レベッカ! 私のことはアルでいいぞ。大切にするからな。君の希望通りの将棋ライフを実現する。難しいかもしれないが」
彼の次の言葉は予想できる。
ここには棋士がいない。だから強い棋士の棋譜もない。前世にあった将棋ライフを実現することは難しい。でも――、
「「目指すことはできる!」」
ノックの音が響く。表彰式の準備が整ったのだろう。私たちは笑顔で見つめ合う。
彼の話しぶりから、この世界のゲームをプレイしたことはないのだろう。私もない。私たちがどんな恋愛過程をゲームで迎えていたのかは分からないけれど――。
将棋は私たちの間に愛を生み出した。
私は見つけたんだ、この世界で。
これからも一緒にいたいと思える人を。
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