第3話 来世
あれから、長い時間が過ぎた。
私の大好きな王子様は大好きな国王陛下になり私は王妃になり――、そしてもう引退した。
すっかり将棋の都となった王都をゆっくりと二人で歩く。昔のようにスタスタとは歩けない。あちこち痛いし体のバランスもとりにくくなった。彼の赤い髪も私の水色の髪も、ほとんど白に染まっている。
そこかしこに将棋盤付きのベンチが設置してある。各自で駒を持ってきて大人も子供も将棋を楽しんでいる。前世でも将棋の町、加古川にはそんなベンチがあった。私たちはそれを真似しただけだ。
世界中に将棋も広めた。タイトル戦は各国で定期的に開かれる。熱狂的な将棋ファンも多数現れ、多くの協力者によって識字率も上がり生活水準がどの国も大幅にアップした。
将棋愛好家が増えれば増えるほど天才が現れる確率は上がり、それは人々を魅了する棋譜が多く残されることを意味する。
――最高の棋譜を求め、世界中が立ち上がった。
「やっぱりここ、現実じゃないわよね。天国よね。何もかも上手くいきすぎよ」
新緑が眩しい。
柔らかな風が心地いい。
「天国だと思ってもらったのなら嬉しいが、宇宙進出まではできなかったから現実なんじゃないか?」
彼との間に子供は二人。
男の子と女の子だ。
既に孫もたくさんいる。
「絶対違うわ。なんで漢字があるのに名前がカタカナなのよ。そんななんでもありの世界で宇宙進出できなかったのだけは納得いかないわ」
「そのうちできるさ」
「……そうね。きっと、そのうちできるわね」
多くの人の熱意に押され宇宙進出に向けて積極的に各国で研究はされているものの……前世でのインターネットを魔法でもって実現する方が早そうだ。あらゆる方面から可能性を探っている。
プロ棋士や女流棋士制度もつくった。
私たちはどちらにもなれていない。国王陛下と王妃にはなれたけれど、棋士にはなれなかった。
――努力をする凡人は努力をする天才には敵わない。
私たちの棋力を凌駕する人は、将棋人口が増えるほどにたくさん現れた。指導対局をする側ではない。私たちは受ける側。無双できたのは最初だけだ。どんどんと多くの人に追い抜かれていった。
悲しくはない。
だって、私たちがいなければ彼らはその才能に気付きもしなかったのだから。
「いい景色ね」
「ああ、君のお陰だ」
歩いていると、将棋サロンが賑わっていることがガラス越しに分かる。道にあるガチャガチャの中には光る将棋駒が入っていたりする。
「いつか彼のような人は現れるかしら」
私の言う"彼"が誰なのか、名前を出さなくても分かる。あの人の将棋を見た人なら誰だって魅了される。
「必ず現れるさ」
前世で彗星のように現れた最年少中学生棋士。誰よりも深く誰よりも先まで手を読み、最善を追求する王道の将棋を指す絶対王者。まるでサーカスのような掟破りの手で見ている者の度肝を抜き、最後にはその手が最善だったのだと証明するような構想を実現してみせる。あまりにも美しく綺麗で、人の胸を打つ将棋を指していた。
――まだ、あそこまで感動する棋譜を見たことがない。
「私たちが舞台をここまで整えたんだぞ? 現れないわけがない」
「……そうね」
私たちは歳をとった。
もう彼はヒーローと呼べるような見た目はしていない。快活なお爺さんだ。……私もそう。ヒロインなんかにはとても見えない。皺がいっぱいの少々勝ち気なお婆さん。
「私たちが主人公でなくたっていいのよね」
「そうだ。私たちがいなければ主人公など現れることすらできない。それだってずいぶんと立派な立役者じゃないか」
「ええ」
「そんな人になりたかったんだ」
どうして過去形なのとは聞かない。聞かなくたって分かるほどに私たちは一緒に過ごしてきた。
「次に生まれ変わるなら、建築士になる?」
主役が活躍する建物を設計する側になりたかったと聞いた。世界にはたくさんの主役がいる。そんな人たちの舞台を考える側にまわりたかったと。
今は少し考え方を変えたらしい。
誰もが主役なんだと。
ラッキーなことに国を支えられる身分なんだから、広く浅くになるかもしれないけれど、人々の生活の全部を支えるんだと。
今はその意志を息子が継いでいる。
「どうかな。女流棋士の旦那さんにはなりたいかな」
目配せしちゃって、まったく。
もう一度、あちらに転生したのならなれるかもしれない。もうこの世界の方が将棋人口は多い。女流棋士になれる可能性ならあちらの方が高いはず。
先のことなんて分かるわけがない。そもそも今の記憶が保持できるはずがない。
それでも――。
「あなたがいるから、この世界に私は来たのね」
「――――!」
夢が叶う人もいる。
叶わない人もいる。
でも、私は幸せだった。
これからも最期の時を迎えるまで私は幸せであり続けるだろう。
「この年齢になって、やっとそれを言うのか君は……」
え。なによ、その反応。好きだとか愛してるだとかは今まで散々言ってきたんだけど。
「感動の言葉はないの?」
「遅すぎる。あまりにも遅すぎる」
「もしかして、待ってたの?」
「そうだよ、何十年も前から。君にプロポーズをしたあの日から」
知らないし。
早く言ってよ。
「はぁ……もうこの世界に心残りはないな」
「縁起でもないからやめて。今すぐ倒れてもおかしくない年齢なのよ」
「君は変わらないな」
……なにがよ。
「私を導いてくれるんだ」
「今の私の言葉は、あなたをどこに導いたのかしら」
「えっ……うーん、長寿かな」
もう長寿じゃない。
適当にしゃべってない?
私たちの紡いできた歴史は全てキラキラと輝いている。もう……昔のようには生きられない。老いはリアルに私たちを襲い、目も耳も記憶力も発想力も何もかもが衰えているのを感じる。あの頃の棋力すら私たちにはもうない。
「君が生きてほしいと望むなら、どれだけでも」
「ええ。一緒にまたまだ生きましょう。明日にだって、今まで見たこともないような感動的な対局があるかもしれないのよ?」
「ははっ、そうだな」
いつだって将棋は私たちと共にあった。
そうして手に入れたんだ。
――とびっきり最高の充実した人生を。
■□■□■□■
彼らの死後、世界中が悲しみその功績を讃えた。ゆかりのある場所には献花と献駒が絶えない。将棋の創始者として彼らの名前は歴史に刻まれ、その名前はこれからも忘れられることがないだろう。
■□■□■□■
日本のとある場所。
とある町のどこかで、誰かが誰かに話しかける。
「ねぇ。昨日さ、将棋教室に見学に来ていたよね」
「う、うん」
「将棋、好きなの?」
「うん。好きだからお母さんに連れていってもらったの」
「俺も少し前から入ったんだ。名前はなんていうの?」
――将棋は何者をも拒まない。
あなたの隣にも、いつだってそこに。
〈完〉
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