第5話 会ってお話をしてみたい

 ボクは次の日から、またベッドにもどらなくなった。二日も寝たから、左耳の耳鳴りも軽くなっていた。また看護師さんたちにはにらまれるけど、退院の日も近づいていたし、その日まではもう少しあの男のことが知りたかった。

 ボクは世谷さんの病室をのぞきにいった。おばあちゃんは、ベッドで静かに眠っていた。

 ベッドが大きく感じられるほど、おばあちゃんは小柄だ。髪はほとんど白く、深いしわが数本、おでこにあった。右側には点滴の台がおかれていて、喉に点滴がつながれている。見たようすは苦しそうじゃない。

 たしか九十八歳っていったっけ。すごい長生きだ。

 ボクにもおばあちゃんがいるけど、少し離れたところで暮らしているから、二・三回しか会ったことがない。まだすごく元気だ。ボクのおばあちゃんも、いつかはこれくらい白髪になって、しわしわになって、入院するのかな。

 「ごめんね、通らせてね」

 突然、後ろから声かけられた。ぎくりとして振り向くと、年配の女の人二人と、若い女の人が病室に入っていった。そして、世谷おばあちゃんのベッドにいく。どうやら、お見舞いに来たようだ。

 ボクはそそくさと病室をでて、廊下のすぐ横にある長椅子に腰をおろした。ここにいれば話し声がきこえる。

 「はあちゃん、きたよ! おきてる?」

 お見舞いの女の人が、大きな声でおばあちゃんに話しかけた。

 『はあちゃん』って呼んでるんだ。あ、ハチさんだからかな。

 「どう、起きてる?」

 「うーん、目を開けないから寝てるのかな」

 三人の女の人は、順番に世谷おばあちゃんに声をかける。持ってきた花が、花びんに生けられる。おばあちゃんはとても大切にされているんだ。

 それからおばあちゃんの足をマッサージして、ブラシで髪をとかす。そして、そろそろ美容院の予約をしようと話しあっていた。

 話を聞いてわかったことは、二人のおばさんはおばあちゃんの娘さんで、若いおねえさんは孫だということだった。三人は、おばあちゃんが起きないことを、あまり気にしていないようで、ひととおりおばあちゃんのお世話をすると、そのまま世間話をはじめた。

 結局、おばあちゃんは三人がいるうちには目を覚まさなかった。きのうの夜中は、あんなに楽しそうにおしゃべりしていたのに。

 しばらくして、おばさんたちは「また来るね」と声をかけて、帰っていった。

 ボクはきょうの出来事を、その夜男に話した。

 「世谷さんは、ほとんど寝たきりだよ。食事もできないから、点滴で栄養を取り入れている。ワタシは死神だから、ふつうの人と違って、どんな人とも話ができるんだ。

 娘さんは、毎日ようすを見に来ているみたいだね。きょうは日曜日だから、お孫さんも一緒だったんだね。そういえば、世谷さん話してくれたな。元気だったときは、娘さん夫婦と、お孫さんと一緒に暮らしていたって」

 「おばあちゃん、本当は娘さんたちとおしゃべりしたいだろうね。きょうだって、本当は一緒におしゃべりしたかったはずだよ」

 「……そうかもね、それがこころ残りなのかな」

 「ねぇ、きょう世谷おばあちゃんに聞いてみない? ボクも会っちゃだめ?」

 ボクは、少し前から考えていたことを、男にきりだした。どうせだめだと、いわれるのはわかっていたけど。

 男はこの提案にためらったが、意外とすぐに反対はしなかった。だから、もう一押ししてみることにした。ボクは死神と話ができるし、おばあちゃんとも話ができると思った。

 「おばあちゃんだって、おじさんとばかり話をしているより、たまには違う人間と話をしたほうが楽しいよ。娘さんたちとおしゃべりしたいかも、ボクが聞いてみるよ」

 男はまだ迷っているようだった。ボクはしびれを切らせて、返事を待たずに、世谷おばあちゃんの病室に歩きだす。すると男があわてて後ろからついてきた。後ろで肩をおとし、ため息をしているのが想像できた。



 世谷おばあちゃんは、目をしょぼしょぼさせて、はじめボクを見た。やっぱり、ボクはおばあちゃんと話ができた。おばあちゃんは、ボクを見ても特におどろかず、前から知っているように話してくれた。

 「世谷さん、きょうはお孫さんもお見舞いに来ていましたね」

 おばあちゃんはこくりとうなずく。なつかしそうな顔をする。やっぱりおばあちゃんは、ボクたちと話をするみたいに、娘さんやお孫さんとおしゃべりしたいんだろうな。

 「また、娘さんやお孫さんといっしょにおしゃべりしたい?」

 ボクは聞いた。

 「したい」

 おばあちゃんは少しぶっきらぼうに答えた。どこか諦めているように感じられる。

 「だから、まだ生きていたいの?」

 おばあちゃんはなにもいわなかった。

 少しのあいだ、だれもなにもいわなかった。男は、この沈黙をなんとかうめようと、言葉をさがしているようだったけど、ボクはその言葉をまたずに、つぎの質問をした。

 「おばあちゃんはこころ残りがあるから、おじさんの説得を受けいれないの?」

 おばあちゃんは目をふせたまま、やっぱりなにも答えなかった。

 「……もうきょうは、この話はやめましょう」

 男がやさしい声で、おばあちゃんに声をかけた。

 なんだかボクのほうが死神みたいだ。ボクのほうがおばあちゃんを説得しているようで、きまりが悪くなってきた。

 「おばあちゃん、このままいったら無理やり魂をからだから引きはがされちゃうんだって! もっと怖い死神がきて、無理やりにおばあちゃんを連れていっちゃうんだって! そんないやだよね?」

 ボクはおばあちゃんに死んでほしいなんて思ってない。だからいいわけがましく、おばあちゃんに本当のことをいってしまった。

 「朝日くん!」

 男があわててボクを叱責した。めずらしく大きな声だった。

 ボクはうつむいた。二人の顔を見られなかった。

 「世谷さん、ごめんなさい」

 男がおだやかな声で、世谷おばあちゃんに話しかけ始めた。

 「ワタシが無能なせいで、世谷さんが死を受け入れることに、多大な不安を与えてしまっています。どう伝えれば不安に感じないか、わたしはもっと考えなければならないんです」

 男は、世谷おばあちゃんの手に自分の手をそえた。そして小さく頭を下げた。

 おばあちゃんは首にとおされた点滴のチューブを邪魔そうにしながら、男のほうに顔を向ける。男が伝えようとする気持ちを、精いっぱいくみとろうとしているように見えた。

 「ワタシ、世谷さんの担当を外されてしまうかもしれません」

 おばあちゃんが、男の手のひらを包むように指を曲げる。そしてしばらくのあいだ、おばあちゃんと男は手をつないだまま、おたがいに相手の気持ちを理解しようとしているようだった。

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