第3話 重大なことを知ってしまう

 やけに夕日の差し込む、蒸し暑いところだった。ボクと男は、旧棟の最上階にある休憩広場にいた。

 そこはレストランと売店があり、広いホールのような空間に、テーブルとイスが置かれている。患者さんとお見舞いに来た人が、一緒に食事ができる場所だ。そしてそれ以外にも、携帯電話で話ができる場所や、自由に本が借りられる図書室もあって、患者さんの憩いの広場になっている。

 ここは床から天井まで届く大きな窓が一面に張られていて、坂の上にあるこの病院で、一番眺めのよいところだ。いまは、西側の窓から夕日が差し込み、この階全体を橙色に染めていた。

 僕たちは長椅子に座っていた。そのすぐ横では、若い女性の患者さんと、小さな女の子が、楽しそうにお菓子を食べている。

 きっと親子なのだろう、女の子が母親にいろんなことを話していた。母親に会えて興奮しているのか、幼稚園でのことや、きのう観たテレビの内容などを、手振りも交えて熱心に話している。

 母親は女の子がせわしなく動く様子を、楽しそうに眺めながら、ときおり女の子に触れて落ち着かせたり、散らかすお菓子を拾ったりしている。

 その光景は、家庭の居間をのぞいているようで、ボクにはここが病院だと思えなかった。誰も具合が悪そうに見えないし、誰も不幸そうじゃない。「病気」という厳しい現実が感じられない。

 ボクがその親子に気を取られているあいだ、男は黒のファイルを膝の上に置いたり、片手で持ち替えたりと、落ち着かない様子だ。どう話を切り出すべきか、言葉を探しているようだ。

 ボクは視線を親子から男の方へ向けた。男はその視線に気がついて、ようやく口を開いた。

 「いや、ここはいいな、明るくて」

 そういって、隣の親子を目を細めて見た。「明るくて」という言葉には、日差しがまぶしいという意味と、人々のおだやかな日常という意味もきっと含まれている。

 男は前屈みに座り直し、またじっと動かなくなった。きっと話しにくいことがあるんだ。

 「……キミはすごいね、ワタシのことを見つけちゃったね」

 ぽつりと男がいった。

 「約束は守ってよ、今度会ったときに教えてくれるっていったよね」

 「……そうだね、約束したね。でも、知らないほうがよかったって思うだろう。それでもいいかい?」

 「もったいぶらないでよ。もっと知りたくなるよ」

 男はふふんと鼻で笑う。観念したようだ。夕日が眼鏡に反射して、男の表情は見えなかったけれど、なぜか悲しそうに見えた。

 「ワタシはあの晩、あの部屋のある女性に、説得に行っていたんだ」

 そして前屈みの体勢のまま、黒いファイルをパラパラとめくり、あるページを開く。

 「世谷(せたに)ハチさん。九十八歳。女性。」

 「説得?」

 男はファイルを閉じると、そのまま床を見つめた。

 「ボクの仕事はね、人を死に迎えることなんだ。……つまりね、死神っていうのかな、こういうのを……」

 「シニガミ……?」

 ボクは言葉の意味が、はじめ理解できなかった。しばらくその言葉を頭で繰り返して、ようやく「シニガミ」が「死神」だということに気づいた。そして死神のイメージを思い出す。ボクが思い浮かべたのは、黒いローブを着て、片手には大きな鎌を持つがいこつだった。

 言葉につまっている様子を見て、男は話を信じていない、と受けとったようだった。つけ足すように、そのまま話を続けた。

 「つまり、このファイルには死亡する予定の人の名前がのっていて、ワタシはその人たちに、死を受け入れるように説得するんだ。そして、受け入れてくれた人から魂を体から離して、運命裁判所に連れて行く。すべての人は天の裁判を受けて、それから先の運命を決めていく。それがワタシの仕事で、この病院にいた理由でもあるんだ。

 でも普通の人はね、ワタシのことは見えないはずなんだ。ワタシと話ができるのは、このファイルに名前がのっている人だけだからね」

 その言葉に、ボクはどきりとする。

 「あの……つまりそれって、ボクも、死ぬってこと?」

 「……そこがワタシも驚いたところなんだ。キミの名前はこのファイルにのっていない。……いまのところはね、安心していい」

 男がボクの顔を見上げる。

 「いまのところは」という部分を強調していた。それはボクも必ず、いつか死ぬということだ。

 窓の外に目を向けた。夕日に照らされた景色が、すごく美しく感じられた。そしてふと、ボクはあることが気になって、聞いてみた。

 「武蔵塚さんも、いつか死ぬの?」

 男はだんまり、何もいわなかった。

 「こんなこと知らなきゃよかった、って思っただろう?」

 「うっ、んん……」

 いまから武蔵塚さんのことを病院の人に話をして、死なないように、治療法を変えてもらえないかな。そうすれば武蔵塚さんは、死なずにすむんじゃないかな。

 「無理だよ、死は止められない。もう、決まっていることなんだ」

 ボクの考えを見透かしたように、男がいった。ボクは視線を落とす。もう決まっていること。それは、わかっていても、どうしようもないってこと。

 「説得ってどういうこと? 死ぬことが決まっているのに、説得する必要あるの?」

 すると、男はボクのほうに身体を向けた。そして丁寧に、答え始めた。

 「その人が死ぬことと、どうやって死ぬかは決まっている。でもね、いつ死ぬかは、多少、その人自身が決められるんだ。ワタシたちはそんな人たちが、安心して死を受け入れてくれるように説得する。それが仕事なんだ。

 死ぬ人は次々にでてくるし、早く死を受け入れてもらわないと、後がつまってしまうしね」

 なんだか、役所の都市開発計画のようだ。いつまでも住んでいる人が、家を立ち退かないと、都市開発計画が進まない、といっているみたいだ。話を聞いていて、複雑な気分になる。

 「でも死ぬのを嫌がる人しかいないでしょ? ふつう」

 「そうだね。だからワタシたちにもノルマがあるんだ。たくさんの人を裁判所に連れていけば評価が上がるし、そうでなければ怒られる。お給料だって減らされるんだ。結果をださないと生活できない」

 男は申し訳なさそうに、目をふせた。やっぱり、気の弱いやつだ。

 「人の命で生きてるんだ」

 ボクは、思いっきり嫌味を込めていってやった。

 「誰もが多くの命の上に生きている。もちろんキミも」

 男は目をふせたまま、そういった。ボクも目をふせた。

 そうだ、それが事実だ。

 ボクも肉や魚を食べている。その肉や魚も、元は生きていた。そういう意味では、男と同じだ。よいとか悪いとかではなく、それが現実だ。

 だけど……やっぱりそんな仕事を、受け入れたくない。だって、ボクは生きているから。

 少しのあいだ、ボクたち二人はそのまま夕日の町をながめた。

 そしてゆっくり夜がやってきて、やがて町に灯が灯り始めた。


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