第2話 いろんなことを推理した

 次の日、ベッドのなかでいろんなことを考えた。きのうの夜はそのあと、なかなか寝つけず、朝ご飯の後にぐっすり眠ってしまった。周りの人が起きているほうが、安心してよく眠れた。

 あの男は何者なんだろう?

 お昼ご飯を終えて、よく寝たすっきりした頭で、再びきのうの夜のことを思い出した。なぜあんな時間に病院にいたのか、なぜあの病室から出てきたのか、書類には何が書かれていたのか、死亡予定者とはどういうことなのか。

 少し考えただけでも、いくつも疑問が浮かんできた。

 そもそも現実だったのか?

 これがすべての疑問の一番先に出てくる。もしかしたら寝ぼけていたのかもしれない。

 毎日ただ眠るようにいわれて、入院中のほとんどをベッドのなかで過ごしている。だから夢のなかでトイレに行き、現実で気になっていた男が、夢に出てきただけかもしれない。

 ボクは古典的な方法だけれど、右手で自分のほっぺたをつねった。痛い。そして今度は左側も同じようにつねった。やっぱり痛い。よし、いまは夢じゃない。

 そしてベッドから出て、きのうの新棟に向かった。このころにはボクの病気もよくなっていた。

 この時間はお見舞いの人がたくさん来ていて、にぎやかだった。家族と楽しそうにおしゃべりをしている人や、読書を楽しんでいる人とか、自由時間を過ごしている。

新棟には、廊下に一定の距離をおいて長椅子が置かれているし、エレベーターの横には、談話室という部屋もある。談話室にはテーブルと椅子が置かれていて、おしゃべりをしたり、自動販売機で飲み物を買ったりできた。いまも二、三人の患者さんがテレビを観ていた。

一見、みんな元気そうに見える。どうしてここは病院なんだろう。

 トイレ手前のあの病室が見えてきた。病室の入り口の名札を確認する。病室の入り口には、そこにいる人たちの名前が書かれている。

その部屋は六人部屋で、名前からすると女の人の病室だ。いまは四人の名前が書かれていた。

 なかを覗くと、手前入口の右側にお年寄りが一人、窓際左右に二人、真ん中の左側のベッドに人がいるようだ。手前のお年寄り以外はカーテンがひかれていて、どんな人かわからない。

 ボクは怪しまれないよう、すぐに病室から廊下に視線を戻し、何気なくトイレに入る。そしてトイレを出たあと、またもう一度、病室の名札を見て、患者さんたちの名前を覚えた。筆記用具を持ってくればよかったな。ちょっと後悔した。戻ったらすぐにノートに書き留めておこう。

 ボクはあまり記憶力に自信がない。こんなとき頭がよかったらな。

 きのうの男はだれかに頭を下げてお願いしていた。とても丁寧に、営業マンのようだった。話し声も聞こえていたし、あの四人のうち、だれかと話をしていたに違いないんだ。

 そしてもう一つ、確認したいことがあった。

「武蔵(むさし)塚(づか)」という人を探すことだ。男が持っていた書類を拾ったときに、書かれていた名前だ。記憶力の乏しいボクが、かろうじて覚えていた、珍しい名字だ。下の名前は忘れてしまったけれど。

 もし武蔵塚さんが実際に存在していて、この病院に入院していれば、きのうの体験が夢でないと確認できる。

 武蔵塚さんを探しだそう!

 でもどうすれば探せるだろう? 病院の病室のすべてを探し歩くのは難しい。たぶん百人以上はいるだろうし、全部の病室に入れるわけじゃない。それに長い時間ベッドを抜け出していると、看護師さんにばれてしまう。

 その日はいい案が思い浮かばなかった。


 次の日もいい案は浮かばず、仕方なく看護師さんの目を盗んで、ベッドを抜け出した。自分が歩いて探せる範囲内から、捜索を始めよう。

あの日の男との会話からいくつかの推理をして、探す場所に当たりをつけてみた。

 まずあの男は「十代は名簿にのっていない」といっていた。ということは、武蔵塚さんは二十歳以上ということになる。小児科は探す必要がない。

 次に「死亡予定者」ということから、あまり考えたくないけど、生死に関係ない眼科や耳鼻科、皮膚科も探さなくていいだろう。

 そんな理由から、二階の病室を探すことにした。病室の入口の名札から、「武蔵塚」の名字を探す。想像以上に入院している人がいた。案の定、武蔵塚さんを見つけられなかった。

 とぼとぼと自分の病室に帰ろうとしたとき、一つの妙案が浮かんだ。

 そうだ、これならすぐに武蔵塚さんを見つけられる!

 ボクは小走りで一階の総合案内所に向かった。

 一階は外来の患者さんや面会の人、お医者さんや看護師さんなど、たくさんの人であふれていた。その一階の入口すぐ横に、「総合案内所」というところがある。そこはお見舞いに来た人に、患者さんの病室を教えてあげるところだ。

 案内所には日焼けしたおじさんがいた。いかにも警備員らしく、口をへの字に曲げて受付の仕事をしていた。

 ボクはその警備員さんに恐る恐る話しかけた。

 「あの……武蔵塚さんって人、何号室に入院していますか」

 警備員のおじさんは目だけを動かして、ボクをちらりと見たまま、なにもいわない。ボクの声が聞こえなかったのかと思った。

 「武蔵塚さんに借りたものがあって。……あの、ボクも入院しているんだけど。それで、借りたものを返したくて。でも、何号室に入院しているかわからなくて、それで……」

 嘘をついている後ろめたさから、声が小さくなってしまう。きっと怪しまれているに違いない。どうしよう、嘘がばれて怒られるかもしれない。緊張で顔が熱くなる。いまさらながら、自分がここにきてしまったことを後悔した。

 「下の名前は?」

 おじさんが低い声で聞いてくる。

そして億劫そうにカウンターの横のパソコン画面に顔を近づけて、右手でマウスを動かし始めた。そして目だけでこちらを見て、ボクの答えを待っているようだった。

 「下の名前は、知らないんです。……すみません」

 そう答えると、おじさんはなにもいわず、またパソコン画面に視線を戻す。そして右手の人差し指で、ぽちりぽちりとキーボードを叩く。

 「武蔵塚……あぁ、これだ」

 おじさんはパソコンで武蔵塚さんを探してくれた。

 「珍しい名字だから、一人しか入院してねぇな」

 「な、何号室ですか?」

 ボクは身を乗り出して、おじさんとパソコン画面に目を向けた。

おじさんはなれない手つきでマウスを動かし、病室を教えてくれた。新棟の六階の部屋だ。

 「ありがとうございます!」

 「なに借りたんだ?」

 「え? あっ……本です」

 「どうせマンガかなんかだろう?」

 ボクはおじさんの質問に曖昧に笑って、新棟のエレベーターに向かった。おじさんが親切に教えてくれたことに少し胸が痛んだけど、それよりも武蔵塚さんが実在したことに、興奮していた。



 エレベーターに乗り込み六階までのぼる。廊下を歩きながら、警備員のおじさんに教えてもらった病室を探す。病室入口の名札を確認すると、「武蔵塚」という名前が確かに書かれていた。

 あった! 

確かに武蔵塚さんはこの病院に入院していた! 本当に実在したんだ!

 やっぱり、おとといの出来事は夢じゃなかったんだ。あの男との会話は、夢じゃなかったんだ! しばらくのあいだ、「武蔵塚」の名札をみつめた。

その間に、何人かの看護師さんが、ボクを不思議そうに見ながら、廊下を通っていった。きっと不審に思ったかもしれない。でもいまは周りの目なんて、どうでもいいように感じた。

 ボクは興奮冷めやらぬまま、このまま病室に入って武蔵塚さんがどういう人か見ようとしたが、ちょうどお昼ご飯の時間になってしまった。お昼ご飯を乗せたカートを引いて、看護師さんが廊下を通る。

 そしてはっと、冷静に戻った。ボクがベッドを抜け出していることが、ばれてしまう。もう一時間は病室を抜け出しているし、一度戻らないといけない。急いでお昼ご飯を食べて、また改めて来よう。

 急いで病室に戻る。まだベッドにご飯は運ばれてないところを見ると、病室を抜け出していたことはばれなかったかもしれない。向かいのベッドのおじさんは、退屈そうにクロスワードパズルを解いていた。

 ボクは何気ない顔でベッドに入り、頭まで布団をかぶった。まだ武蔵塚さんを見つけ出した喜びで、心臓がドキドキしている。

 まさか、本当に見つけられるとは思っていなかった。自分のなかのどこかで、おとといの夜のことは夢かもしれないと思っていた。

 わくわくしてきた。

 「朝日くん、お昼食べられる?」

 優しい看護師さんの声が、布団越しに聞こえてきた。



 病室に武蔵塚さんはいなかった。

 お昼ご飯の後、面会時間を待って、六階の病室に向かった。その時間はたくさんの人が廊下を行き交うし、看護師さんも忙しくなるから、病室を抜け出しやすかった。

 ボクは病室に何食わぬ顔をして入り、武蔵塚さんのベッドの前に行った。けれどベッドには掛け布団が半分に折り畳まれた状態で、読みかけの本がふせて枕元に置かれていた。トイレに行ったのかな。病室の前の長椅子で、武蔵塚さんを待ち伏せすることにした。

 名札を見ると武蔵塚さんは男性だった。年齢まではわからないから、ベッドに戻るのを見て、本人を確認するしかない。どうしても、武蔵塚さん本人に会ってみたい。ここまで突き止めたんだし、自分の目で、どんな人か確かめたかった。

 どれくらい待っただろう。武蔵塚さんはなかなか戻ってこなかった。

 次第にボクは時間が気になり始める。そろそろベッドに戻らなくてはいけない。今度こそ、看護師さんにばれてしまう。それにこの階の看護師さんも、ボクがずっと長椅子に座っているのを、怪しく思うころだ。

 仕方ない、また明日くればいいや。

 下りのエレベーターが到着するのを待っていたが、三機あるエレベーターは、どれもなかなか到着しなかった。ボクはしびれを切らせ、隣にある階段で降りることにした。

 その階段のすぐ隣には談話室がある。そこはテレビが置かれていて、テーブル席もあって、お見舞いに来た人と患者さんが、おしゃべりできる部屋だ。

 ふと、ボクは談話室に人がいるのが気になった。よく見ると、二人の男性が部屋の奥で会話していた。

 ……あれ、あの人は……。

 その二人がよく見えるところまで近づく。一人は上下黒の背広で、髪をぴっちりと整えた三十代くらいの男性だ。脇に見覚えのある、黒いファイルを置いている。あの男だ!

 ボクは思わず声を出しそうになる。大急ぎで、階段近くの壁際に隠れた。

 男は、もう一人の男性と話をしているようだ。長椅子に、向かい合って座っている。いったい何を話しているんだろう。

 男性は入院患者さんだった。ひょろりと細くて、青白い顔色をしている。

 もしかして……武蔵塚さんじゃないかな? 直感した。

 武蔵塚さんは前屈みに座り、話に耳を傾けたまま、じっと床を見つめている。深刻な話をしているように見える。

 「……わかりました」

 小野塚さんがぽつりといった。

 「ありがとうございます」

 男はお礼をいい、静かに頭を下げた。

 ぞくり。

 ボクの背筋が震えた。

 どうしてだろう、なぜか見てはいけない光景を見てしまった気がする。でも、神聖な光景にも感じた。立ち聞きしていることが、居心地悪くなってきた。

 それから二人は同時に立ち上がった。そしてボクのほうに向かって歩いてくる。

 しまった!

 ボクは慌てて、階段のほうに体の向きを変えた。二人が背後を通り過ぎる。緊張しながら、二人の様子をうかがい見ると、二人は気にしていないようで、そのまま武蔵塚さんの病室まで行き、病室に入っていった。

 ぼんやりと武蔵塚さんの病室を見つめた。心臓がいまになって、ドキドキと早くなる。手のひらは汗でベトベトだ。

 ボクは大きく息を吐いた。病室に戻ろう。

 そう考えているととつぜん、にゅっと男が病室から出てきて、迷うことなくボクのほうを見た。男と目が合う。

 チン、という音がして、下りのエレベーターがようやく到着する。エレベーターから、点滴を引いたおじさんが一人降りてきた。

 ボクはただそこに突っ立ったまま、動けなかった。

 男は、ボクが立ち聞きしていたのに気づいてたんだ。


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